翡翠の騎士たち

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  01  

 王都の夜は明るい。特に王宮の裾野に広がる歓楽街は、夜も眠らない場所だとして知られていた。松明が煌々と輝き、喧騒がさざめきのように広がっていた。
 貴婦人たちが着るような意匠の、もっと粗野な布で作られた服をまとった女たちが辻に立って客を呼び込んでいる。
 彼女たちは濃い化粧を肌に乗せ、つんと鼻をつく香水の匂いをあたりに充満させていた。
「ねえ、お兄さん、一人?」
 そんな女の一人に、彼は声をかけられた。見目麗しい若年の男である。背が高く、白に近い銀の髪を束ね、都一の彫刻家が作ったかのように整った顔立ちをしていた。瞳はそんな顔にふさわしい、冷たい青だ。
 あながち商売用とも言えない笑顔を浮かべて擦り寄ってきた女に、青年は冷ややかに答える。
「約束がある。失礼する」
「あら、つれないわね。ね、その約束のお相手と一緒に飲まない?」
 滅多に出会えない上物の客である。女はさっと青年の全身を観察した。
 着ているもの自体は珍しくも何ともない羊毛素材だが、羽織った上衣につけられた金属の紋章が、この界隈では見たこともない印だった。
 どこかの貴族がお忍びで出て来ているのかと思い、女はとっておきの微笑を浮かべて体を寄せた。
「あなた――本当にこんな所に来るお方?」
「どういう意味だ?」
「その紋章……」
 伏せ目がちに意味ありげに言うと、男の目つきが変わった。
「……知っているのか?」
 低い声になって尋ねる。声調子が下がったのを、女は脈ありと見た。貴族と関わっておくのは損にはならない。そう思って、知っているふりをして話を続けようとした時だ。
「おい、こんな所にいたのかよ」
 背後から男の声が割り込んだ。振り向けば、これまた滅多とない上客がいた。
 謎めいた雰囲気のある初めの青年に対して、新しい男は一目で戦いを生業にする者だと見て取れる。細身ではあるもののしっかりと筋肉のついた体や、日焼けした肌を見れば恐らくは傭兵であるだろうと思われた。腰には大振りの剣が差してあり、その想像を確信に変える。短い黒髪が、端整な顔によく映えた。
「何やってんだよ、『隊長たちが探してるぜ』?」
 にやりと笑って黒髪が銀髪に話しかける。ふ、と息を吐いて銀髪は言い返した。
「『ただの息抜きだ』」
「息抜きも結構だが、そろそろ戻ってきてくれよ。こっちじゃ『問題が起こってるんだ』」
 改めて銀髪は黒髪の頭から足の爪先まで眺め、ため息をついた。
「――分かった、戻ろう」
「いやあ助かる! 俺じゃどうにもならないんでなー」
 親しげに銀髪の肩を叩き、黒髪は女の方に振り向いた。
「悪い、姉さん。また今度な」
 あっという間に上客を失った女はしばし呆然とした後、大きなため息をついた。逃した魚は本当に大きかった。




 同僚の体で華やかな街を抜けた二人は、裏通りに入ると自然に距離を置いて、お互いを見た。先ほどまでの知り合い然とした空気はなく、初対面の人間に対する態度をとる。
「お前がアーサー?」
「ああ。お前が今回の依頼者……クロノア、か?」
 返答の代わりに、クロノアと呼ばれた男は懐から銀細工を取り出した。鎖と、それにつながった太陽のペンダントが松明の光を反射してゆらめく。
 無言でそれを受け取り、アーサーは自分の紋章を外して太陽の中心部分にはめこんだ。軽い金属音と共に内部に取り付けられた歯車が回転し、跳ねるように上蓋が開く。
「……確かに」
 中に入っていたのは通貨としては用を成さない、鈍い色の硬貨だった。
 それを懐にしまいこみ、アーサーはペンダントをクロノアに突き返す。
「おいおい、随分無愛想だな?」
 クロノアの呆れたような声に答えず、アーサーは別の言葉を口にした。
「依頼は?」
「味も素っ気もねえ野郎だな……」
「俺たちの仕事は迅速が商売でな。無駄口を叩いていると追加料金をもらうことになる」
「そりゃ勘弁してもらいたいな。お前一人雇うのですら相当金かけてるってのに、これ以上となったら上司に殺される」
 肩をすくめ、クロノアは顎で近くの酒場を指した。
「とりあえず腹ごしらえだ。腹が減っては何とやらだしな」
 アーサーは頷いて、歩き出したクロノアの後に続くが、入る前から胃の腑をかきまぜるような刺激臭が漂う安酒場に、アーサーは眉をひそめた。
「何だ、こんな酒場は初めて、ってわけじゃないだろ?」
「当たり前だ。ただ、嫌いなだけだ」
「そりゃ、神院で随分楽させてもらってるな、お前。俺たちは普段こういう所しか飯食えるとこないんだからな」
 馬鹿にするでもなく、羨ましがるでもなく、クロノアは淡々と言う。お前は恵まれている、という揶揄にアーサーは苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべた。
「恵まれてなんかいないさ。ただ選べなかっただけのことだ」
 しかし、クロノアはそれに気を悪くした風もなく、黙って酒場の扉を開けた。
 途端、むっとした熱気と酒場の空気が押し寄せてくる。
「いらっしゃい! 何にする!」
 ほとんど怒鳴り声の持ち主は酒場を仕切っている女給仕のものだ。
「麦酒とシチューにレンズ豆のスープ、あとパンをそれぞれ二人前だ!」
「あいよ!」
 クロノアが怒鳴り返すが、その声すら酒場に充満する騒がしさに負けてしまいそうだ。
「勝手に注文して悪いな」
「いや、好き嫌いは言わないから構わない」
 さっきは言ったじゃないか、というような目で見られ、アーサーは軽く手を振った。
「食べられるなら俺は構わない。その好悪は別物だということだ」
「分かったような分かんねーような、だな」
 癖なのか、肩をすくめてクロノアは空いた席につく。その向かい側にアーサーが座ったところで盆を手にした給仕が飲み物を置きに来た。
「お待ちどう! 食べ物はもうちょっと待っててね」
 返事も聞かずさっさと立ち去るところを見ると、相当忙しいらしい。
 ジョッキに入った酒を手に、クロノアはにやりと笑う。
「改めて、よろしくなアーサー。俺の名はクロノア、今のところは傭兵だ」
「アーサー。レイトクレル、ユレタ神院の者だ」
「ユレタか。厄介なとこにいるねえ。あそこの院長、かなりがめつい奴だろ?」
「知っているのか?」
 アーサーは驚きに眼を見張った。レイトクレルのユレタ神院と言えば、国内でも有数の神院だ。レイトクレル自体が大きな都市だから、そこに存在する神院も必然的に重要なものになってくる。そこの院長ともなれば、王宮の祭事に招かれるほどの地位を持っていた。
 いかにも裏街道を歩いている雰囲気をまとうこの男が易々と会えるような者ではない。不審そうな目でみると、クロノアは苦笑した。
「いや、一回ちらっと見たのと人づてに話聞いただけだがな。同じ仕事やってる仲間が会ったことあるらしい。料金ぼったくられたって話だ」
 笑いながら、クロノアは酒をあおった。
「お前も、神院の一員なら会ったことくらいあるんだろ?」
「会うには会ったことがあるが、俺みたいな下々の人間には口をきく気もないらしい。取り立てた寄付金で豪勢な衣装をまとって、偉そうにふんぞり返っていたさ」
「意外に言うなあ、お前も。まあ、気持ちは分かるけどな。神院の連中は俺も嫌いだ」
 口元についた泡を拭って、クロノアはアーサーを見た。クロノアの方が若干背が低いからか、試すような、挑戦的な上目遣いで見上げられる。底の見えない、漆黒の瞳がきらりと光った。
 瞬間。
 訳もなく背筋に冷たいものが走り、咄嗟に感じたのは圧迫感だった。
 野生の獣を目の前にしたときのような、本能的な警戒心が鎌首をもたげて、ここが酒場だということを一瞬忘れそうになった。反射的に手が腰の袋に伸びる。
 目の前が真っ暗になるような感覚が突き抜けて、アーサーの指が紙を掴んだ時、
「はい、お待ちどうさま!」
 どん、とやや乱暴に、運ばれてきた料理が机の上に置かれる。
「……!」
 我に返ったアーサーのことは目にも入らないように、クロノアは手を叩いた。
「あーやっと来た! 俺朝から何にも食ってないから腹減ってんだよな」
 何事もなかったかのように匙を使ってスープをすくうクロノアをしばし呆然と見つめて、アーサーは舌打ちのような息を漏らした。
「お前……」
「あ? 何だ?」
 一瞬前まで見せていた気配を霧散させ、クロノアはきょとんとアーサーを見る。
「さっさと食わないと冷めちまうぜ?」
「……」
 変貌ぶりに、寒気と呆れを同時に感じ、アーサーは深く息を吐き出した。
「……俺は、自分のことをかなりおかしい奴だと思っているんだが……お前は、さらに俺よりおかしい奴かもしれないな」
「へえ?」
 楽しそうに笑うクロノアを、アーサーは睨んだ。
「俺を試すならこんな所じゃなく、もっと人気のない所でやれ」
「あ、分かったか」
 悪びれた風もなく、愉快そうに肩を揺らすクロノアに、アーサーはさらに言い募ろうとする。だが、クロノアはそれを掌を掲げて制した。
「待った、ここは食事の場だろ?」
「先に仕掛けておいてそれを言うか?」
「そうつんけんすんなよ。ただ、今度組む奴がどんな奴なのか、知りたかっただけだ」
 正確にはどの程度の力量かだろうが、と内心で言って、アーサーはため息をついた。
 今まで組んできたどの相手よりもやりにくい男だった。
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