翡翠の騎士たち

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  02  

 クラナリア王国は大陸でも有数の、広大な土地と権力を持つ国家だ。元々は西から迫ってくる強国への対策として結託した国々の集合体だったのが、その筆頭だったクラナリアに吸収されて巨大国家への進化を遂げた。
 そのためか、少し住み慣れた地域を離れれば驚くほどに風習や感覚が違ったりする。
 それを解決するために王家が利用したのが神である。土着の神々を使った神話を作り上げ、各地にその神々を崇める神院を作った。その本拠地は王家の住まう宮殿であり、そこに存在する神院だけが「神殿」の称号を名乗ることができるのだ。
 そこに属する者は神官と呼ばれ、神に仕えることで日々を過ごしている。
 故に、人前に出てくる神官は少ない。民の前に出てくるのは説教師と布教師、会計係の神官くらいだ。
「お、珍しいなあ」
 クロノアが酒場を出てからそんな声を上げたのは、滅多に見ることのない神官が現れたからだった。
 純白のローブを身にまとい、太陽を象った紋章を胸に縫い付けた神官たちが裏通りを早足に歩いている。彼らは角を曲がり、すぐに見えなくなった。
「お仲間だぜ、アーサー」
「誰が」
 茶化すクロノアに、アーサーが低く答える。
 しかしそれも当然で、同じ神官でもアーサーと彼らの性質は天と地ほど異なる。
 アーサーは王国内でも限られた存在しか知ることのない神官の一人だった。
「意外と気にするんだな?」
「?」
「誇り持てよ。お前、選ばれてる側の人間なんだから」
「……聞き飽きた台詞だな」
「――ま、思想の強制はしねーよ」
 クロノアは低く笑うと、さて、とばかりに伸びをした。
「――仕事の話に移らせてもらうぜ。いいな?」
「当たり前だ。さっさと終わらせてさっさと帰りたいな」
「そう簡単にいくなら、お前を呼んでないけどな」
 本当はそう願いたかった、とでも言いたげにクロノアは目を細めた。
「じゃあ行くか。今夜中に仲間と合流する必要がある」
「他にもいるのか?」
「いや、実質動くのは俺とお前だけだ。新しい情報が必要なんで接触するだけだ」
「なるほど」
 アーサーには元より拒否する理由などない。
 クロノアの後に続いて、王都では定宿だという宿屋に急いだ。
 決して上等とはいえないが、主人がきちんとした身なりの者で、クロノアの顔を覚えていたというのが安心材料だった。
 治安が悪い場所では、宿屋の主人が盗賊の手引きをして客の物を奪うこともままあるのだ。クラナリアの王都がそうなってしまえばこの国は終わりだが、アーサーには警戒してしすぎることはなかった。
 主人は初老の男で、クロノアを満面の笑みで迎え入れた。
「久しぶりだなあ、エリック。どうした、自由気ままな傭兵稼業のしすぎで随分と焼けたじゃないか」
 どうやらクロノアは偽名を使っているらしい。それとも、クロノアが偽名なのか、いや、どちらも偽物なのかもしれない。もっとも、アーサーは大して驚かなかった。自分たちを雇うような奴が、まともな人生を歩いているとは思い難いからだ。
 クロノアは違う名前を呼ばれた動揺など微塵もなく、主人と会話を続ける。
「そうか? でも色男っぷりは変わりねえだろ?」
「確かにな、はっはっはっ!」
 突き出た腹を揺すって、主人は笑った。そして、アーサーに手を差し出す。
「ようこそ我が宿へ。主のエドモンド・カドロスだ」
「アーサーだ」
 傭兵は下層民出身者が多く、苗字がない者も多い。アーサーはどう見ても傭兵には見えないだろうが、苗字を名乗ってクロノアの同業者ではないと教えてやる必要もなかった。
 偽名を使えという指示を受けたわけでもない。ここは本名を名乗るべきだと思った。
 大体、アーサーはその顔で既に目立っているのだ。クロノアと二人並べばなおさらである。無為にこれ以上人目を引くのは避けたかった。
 アーサーは素直に手を握り返し、エドモンドがにこにこと笑う。
「これからも、王都では是非我が宿をよろしく、とお仲間にも宣伝しておいてくれ」
「……そうする」
 実際は、アーサーたちが宿を使うことなど滅多にない。大抵の依頼者は敷地持ちで、アーサーたちはそこで秘密裏に仕事を行うのである。
 ちら、とそんなことを考えて、アーサーはエドモンドの手を離した。
「しかしエリック、お前さんがどれだけの色男で、傭兵稼業で忙しいとしてもだ。美人を待たせるのはいただけないねえ」
「そんな美人が待ってるのか?」
「おお、こっちのお兄さんにもひけを取らない美人だぜ」
 その冗談に、アーサーは軽く顔をしかめた。
「ふーん?」
「心当たりのあるくせに。そういう目をしてるぞ、エリック?」
「ははは、敵わないな。で、その美人の待ち人はどこにいるんだ?」
「先に部屋に通してるぞ。三階の階段を上がって右側の部屋だ。寝台は二つしかないがいいのか?」
「いい、あいつは先に帰るから」
「あれだけの美人を好きに呼んで帰せるとは、羨ましいご身分だねえ」
 主人の揶揄を受けながら、クロノアたちは階段を上がった。
「……あんたが、エリック?」
「似合わねえ名前だとは自分でも思うさ。咄嗟に名乗っちまって後悔したね」
「確かに、似合わない名だ」
「人に言われると腹立たしいな」
 互いに声を抑えてのやり取りで、それが終わる頃には三階への階段を上りきっていた。
 言われた通り、上がってすぐ右側の部屋の扉をノックする。
「エリックだ」
 名乗ると、衣擦れの音と、靴音が部屋の中からした。
「――合言葉は?」
「シドゼスの風に殉じよ」
 鍵が外れる音がして、扉が軋んで開く。そこに、室内であるにも関わらずフードを目深にかぶった人物がいた。
 二人は部屋に入り、鍵をかけて小柄な人物に相対する。
「――お久しぶりです、クロノア様」
 彼女の方が先だった。フードを取り去り、蝋燭の明かりで照らされた顔は確かに美しい。二十歳そこそこだろうか。貴族の娘には劣るだろうが、綺麗な肌と焦げ茶色の髪が特徴的だった。
「久しぶりだな、ダニー」
「はい、クロノア様はご健勝のご様子、安堵いたしました」
 どう見てもこれは貴人に対する態度だ。アーサーは首を傾げた。しかし、口にはしなかった。それより早く、ダニーと呼ばれた女性がアーサーを見たからである。
「それに、レイトクレル、ユレタ神院の魔法使い、アーサー。この度はご苦労さまです」
「――俺は依頼で来ただけだ」
 魔法使い、とさらりと口にされたことに居心地の悪さを感じてアーサーは顔を背けた。
 魔法を使う者――魔術師、魔法使い、様々な表現方法はあるが、それを一言に要約すると「異端者」である。
 故に、二百年前大陸中で起きた戦争で魔法を使う者はありとあらゆる方法で駆逐された――はずだった。
 しかし、アーサーは現にここにいる。
 忌まわしい歴史に思いを馳せたアーサーを現実に引き戻したのは、女の声だった。
「私の名はダニエラと申します。以後お見知りおきを」
 典雅な仕草で一礼したダニエラに、アーサーはますます強い違和感を覚えた。
 傭兵を様付けで呼び、格好こそ町娘のそれだが、洗練された仕草と気品を併せ持っている。
 今まで不可解なことにはかなり首を突っ込んできた自信があるが、ここまで謎だらけなものは初めてだった。
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