翡翠の騎士たち

BACK | INDEX | NEXT

  04  

 それは、緩慢な春の光が庭に満ちていた日のこと。
「サイラス! 来たぞ、おい! サイラス!」
 庭に運び込んだ椅子でその光を浴び、本を読んでいた青年はその声に顔を上げた。
 金色の髪が、きらきらと反射して輝いた。
 側に控えていた下男や侍女たちに下がるように示し、彼らは従順に一礼して屋敷の中に入っていく。
「勝手に呼んでおいて、迎えにも来ないとはいい度胸じゃねえか、サイラス」
 不機嫌そうに、美しく手入れされた木々の間から長身の青年が現れた。黒い闇色の髪と目が印象的な、精悍な顔つきの男は、すたすたと歩いてサイラスの前に立つ。
 サイラスは苦笑して立ち上がり、隣に運び込ませた小さな陶器のテーブルに本を置いた。
「おやおや、我が友人は毎度のことながら玄関からは入ってきてくれないんだな」
「当たり前だ。俺が正面から入ってきてみろ。またユーリーに面倒くさいこと言われるだろうが。この屋敷に入るなら、この格好をどうにかしろってな……そういやユーリー、今日はいないのか?」
 サイラスは答えず、視線を落とした。
 クロノアは軽く肩を落としてため息をつくと、サイラスの椅子にすすめられもしないのに座った。
「俺の椅子がないのだけれど?」
「人を呼びつけといて、椅子も用意しねーような奴に座る資格はねえ」
 眉を吊り上げて言うクロノアに苦笑して、仕方なくサイラスは地面に腰を下ろす。
「やれやれ、こんな所を見られたらまた兄上に雷を落とされるな」
「じゃあ友人思いの俺は、友人が怖い兄上に怒られない内に聞いてやろう。用件は何だ、サイラス」
 椅子に座り、足を組んで尊大にクロノアは訊いた。
 一度おかしそうに笑って、サイラスは表情を消す。
「……実は、東で問題があってね」
「オリムか」
「さすが、耳が早い」
「お前――本当に俺を誰だと思ってるんだ?」
「悪い悪い、今のは失言だった。――ちなみに、どこで?」
 ふん、とクロノアは腕を組む。
「俺の仲間は各地に散らばってるんだぜ。オリムは色々ときな臭い噂が漂ってたからな。こっちでも警戒してたとこだ。あそこはただでさえウチが入りにくい所だったからな……そこにきてお前の呼び出しだ、薄々予想はしてたさ」
 オリムはクラナリアと隣国マークドの国境から少し離れた場所にある都市だ。
 数年前、領主である貴族、ベルナール男爵が亡くなり、その息子が跡を継いだことからオリムは一躍有名になった。
 息子はベルナール男爵の称号を継ぎ、辣腕を振るい田舎の一城下町を都市として作り上げることに成功した。
 現領主であるベルナール男爵は、特定税や労役の免除などを行って、領民には評判がすこぶるいい。それだけでなく、都市において最も有益な相手、商売人をかなり優遇しているらしい。それも、利益を独占させるのではなく、勢力の拮抗してる商人連中を集めてうまく競争させている。
 前の男爵が、課税の厳しい、人柄もあまり評判が良くない男だっただけに、現ベルナール男爵の評判はすこぶる上々らしい。
 いまやベルナール男爵の治めるオリムは地方での有力都市になりつつあった。
「そもそも、ここまであの都市が大きくなったのはここ数年、あの付近で内乱が一つもなかったことが大きい。だから、俺は火種を一つか二つ投げ込んでおくべきだと進言したのだけれど」
「さらりと不穏な発言をするなよ、サイラス。まあ、確かにベルナール男爵は急に力をつけすぎたな。ウチの団員が目をつけてた。奴は例の秘密を握ってる可能性があるってな」
「そうなのか? それはまた……随分と困った事態だ」
 サイラスは考えこんで、クロノアを見上げる。
「それで、君の部下は証拠を見つけたのか?」
「いいや。三月前、連絡を絶って以来消息不明だ」
 恐らくはもう、とクロノアは口の中で呟いた。
「――そうか。……クロノア、これは友人としての頼みなんだが」
「何だ?」
 いよいよ友人が本題に入りかけているのを察知したクロノアは、傲岸な姿勢を解いて、サイラスを見下ろす。
「――ユーリーが、戻らない」
「……は?」
 一瞬言葉の意味が掴めずクロノアは眉をひそめ、続いて大きく目を見開いた。
「何だと?」
「俺の使いでオリムに行ったきり戻らない。もう一月近くになる」
 その言葉にクロノアは目を鋭く細めて、椅子から立ちあがった。サイラスの目の前に腰を下ろすとぐっと顔を近づけて、唸るように言った。
「どうして、俺に言わなかった?」
「お前は――兄君のことでごたごたしてたろう? 最初は、そこまで心配することもないと思っていたし、な」
「で、どこでそれが心配になったんだ?」
「元々、ユーリーにはオリムの急進的な発展について調べるよう、命令をしていたんだ。半月もしないうちに戻ってくる、予定だったんだが」
「だったら何で、その時点で捜索しなかった?」
「ユーリー自身が、遅れるという伝令を出してきたからな」
 ユーリーは引き返してくる途中、何かを掴んだらしく、オリム城主には反乱の兆しありという文をしたため、同行した部下に託して自分はまた戻ったのだと言う。
「まさか一人で? ユーリーがそんな軽率なことを?」
「いいや、数人の部下が一緒に引き返した。……そして全員、行方不明だ」
「――で? 男爵に何か怪しい動きは?」
「皆無だ。――だから、余計に困っている」
「……念のため訊いておくが、俺に頼むくらいだから他の奴には言ってないな?」
「当たり前だ……ユーリーのことが知られたら……」
 サイラスは沈痛な表情で黙り込む。
 クロノアはあえてそれに触れず、淡々と言葉を重ねた。
「で、敵方に捕らえられたという確固たる情報は?」
「ない」
「ま、だよな。でも、俺に頼むってことは何か思ってることがあるわけだ」
 サイラスは疲労の色を隠そうともせず、ため息をついた。
「……ユーリーが消えた日、男爵はその近くの城にいた」
「――それだけか?」
「それだけだ」
 たったそれだけでは、動くわけにもいかないだろう。
 クロノアはそこでようやく冷淡な仮面を外して思い切りため息をついた。
「ま、いいだろう。見捨てるわけにはいかないしな」
「!」
 はっ、とサイラスが顔をあげる。
「引き受けてくれる……のか?」
「俺が助けに行かなかったせいで、ユーリーに化けて出られたら敵わねえからな。あいつの場合、お前じゃなくて俺に延々と恨み辛み言いそうだから嫌なんだよ」
 クロノアは、立ち上がってついた汚れを払い、サイラスを見下ろす。
「それから、一番大事なこと訊いとくぞ。これはあくまで、友人としての頼みなんだな?」
「ああ、そうだ」
「……はいはい、分かりましたよ。で? 用立てくらいはしてくれるんだろうな?」
「もちろん」
「気前いいねえ、うちの上役にも見習って欲しいぜ」
 あながちお世辞でもなく呟いて、クロノアは笑った。
「その依頼、シドゼスの名において承った。じゃあもう少し詳しく、その時の状況について教えてくれ」




 クロノアは、そんな経緯を思い返しながら、アーサーを相変わらず探るような瞳で見つめる。
「二月前のことになる。俺の知り合いが、消息を絶った」
「探せ――と言われても無理だからな。占いの類は俺の専門外だぞ」
「分かってるよ、検討はついてるようなついてねーような、ちょっと微妙なところなんだが。そこに忍び込むのにお前の力が必要でな」
 そこで、アーサーはあからさまに嫌な顔をした。
「忍び込むのか?」
「ああ、お前の技を使ってちょちょっとな」
 今さら、それを非合法と言って攻め立てることも、嫌だと口に出したりもしない。アーサーはまた厄介事に利用される我が身を少し憂いはしたが、内心でついたため息一つで諦めた。
「――それで? どこに忍び込むんだ?」
 クロノアはにっこりと笑って、何でもないことのように――散歩に行く先を告げるように軽く、言った。
「オリム城の牢に」
「……」
 言葉を失った、否、奪われた。自分の耳を疑い、穴が開くほどクロノアを見つめる。
「……正気か?」
「残念ながら、気が狂ったわけでも言い間違えたわけでもねえぞ。俺はオリムの城に忍び込むために、お前を雇ったんだ」
「――それに、牢というとんでもなく厄介な条件がつくだろうが」
 アーサーは、さすがにこの仕事を引き受けたことを後悔した。
 拒否権など元からないに等しいにせよ、これはあまりにも無謀すぎる。
「俺の人生もどうやらここで終わりそうだな……」
 アーサーが諦めの色を隠さずに言うと、クロノアは顔をしかめた。
「おいおい、若い身空で一体何を嘆いてるんだよ」
「原因はお前だ!」
 どうもこの男と話していると調子が狂う。
 アーサーは盛大なため息を一つついて、世間一般の常識を口にした。
「言っておくが、オリム城の牢に忍び込めと言われた時点で、大半の人間は生を諦めるぞ」
 地方とは言え貴族の城、都市を配下に従える城だ。
 通常、城内において警備の厳しい場所として、主人の寝室や金蔵、食料庫などと並んで罪人を放り込む牢があげられる。
 罪の軽い者ならばともかく、話している口調からしておそらくは生かして帰してもらえないような者だろう。余計に奪還は難しい。
 そのくらい絶望的な状況に飛び込もうとしているのに、クロノアの表情は明るい。
 それはアーサーを犠牲にして自分が生き残る算段があるからか、クロノアも死ぬ覚悟を決めているからなのか。
「何でだよ。やる前から諦めんな。あんな城に入ることくらい、訳もねえぜ」
 胡散臭い。
 顔にそう書いてあったのか、クロノアは苦笑した。
「いや、入るだけならいくらでも方法あるだろうが。問題はそのあとなんだよ、そのあと。忍び込むってのはそこだ。入り込む方法は考えてあるが、そのあと、お前の技を使って牢に捕らわれている奴に会う」
「……その、入り込む方法っていうのは何だ?」
 クロノアはにやりと笑った。何故か、不吉な予感がアーサーの背筋を這い登る。
 そして、それは現実のものとなった。
「お前、神院に拾われるまでは旅芸人に混じってたんだって?」
「売られた、の間違いだ」
 アーサーは冷たく即座に否定を入れる。思い出したくない過去を、不意に目の前にさらされた屈辱をすり潰すように、ぎり、と奥歯を噛んだ。
「――そんな昔のこと、覚えてなどいない」
「へえ? んじゃしょうがない、お前従者役な」
 言葉のつながりが見えず、アーサーは沈黙する。
「……何がどうなって、そういう話になるんだ」
「頭の回転の鈍い奴だな。だから、俺が主人で、お前がそのお供。そうだな、本名を名乗るわけにもいかねーし、アーベルとでも名乗っとけ」
「ちょっと待て!」
 あわてて、アーサーはクロノアの喋りを止めた。
 ようやく頭が回り始めた。クロノアは偽の紹介状か何かを使い、オリム城に潜入するつもりなのだろう。
 だが、そんなことをしては怪しまれるのにもほどがある。
「それと旅芸人とどう関係があるんだ?」
「俺は、王宮で運よく貴族様たちに気に入られた語り部で、何回かサロンで前のベルナール男爵に話しかけてもらったこともある。で、お父上は是非この城にも遊びに来てほしいとおっしゃっておられましたが、ご存命中は残念無念ながらそれも叶わず、せめてご子息のお顔を拝見してそのお言葉に報いたいと思った次第でございます――って、まくしたてるわけだ」
「――お前、傭兵じゃないだろう」
 傭兵ならばもっと乱雑な言葉遣いになり、ここまで丁重な挨拶を瞬時に思いつけるはずもない。また、すぐばれるような嘘を言うとも思えないから、語り部でもできるのだろう。特殊にもほどがある。
「だから最初に言ったろ? 今は傭兵だって」
 にやにやと笑うクロノアに、アーサーは今夜何度目かになるため息をついて、窓から黒々とした新月の空を見上げた。
 これが、神官として最後の仕事になりそうな気がした。
BACK | INDEX | NEXT
Copyright (c) 2009〜 三毛猫 All rights reserved.
inserted by FC2 system