翡翠の騎士たち

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  05  

 語り部という職業に就くのは、何も下層の民だけではない。名の知れた吟遊詩人に貴族社会出身者が多いように、古の物語を伝える者たちも教養を備えた階級の者がいる。
 そして、語り部たちはさまざまな場所に旅をして民衆や、時として王侯貴族や諸侯の日常に華を添える。
 その性質上、旅芸人たちと行動を共にする語り部も多い。
 物語を歌いあげるのは吟遊詩人の役目だが、面白おかしく話術で人を惹きつけるのは語り部である。吟遊詩人たちとは比較にならない量の話を頭につめこんだ語り部たちは、日常を忘れさせる一時の芸として、常に歓迎される。
 そしてそれは、一城の主であっても同じだ。
「粗略には扱えねえだろうよ。王宮で会ったなんていう箔がついてる上に、死んだとは言え、父親が招待した正式な客人だ」
「それはいいが――お前、本当に気に入られるような語り部の役ができるのか? それも王宮の諸侯が気に入るような語り部だぞ?」
「俺はやれもしねぇことは言わねえ」
 クロノアは自信満々に言い切り、アーサーはそれに返答しなかった。
 この風変わりな依頼主に会ってから一夜が経っていた。
 昨夜は軽い経緯と目的を聞いただけで、クロノアはほとんど詳しいことを語らなかった。だが、アーサーにしても尋ねる気はほとんどない。
 元々、誰がどのような目的で自分を雇おうと、自分はただ上から与えられた役目を果たすことができればそれでいい。
 謎が多いのは気になるが、クロノアがアーサーを軽蔑し、道具として使おうとしないだけ、いつもの仕事に比べれば居心地がいいくらいだ。
 もっとも、そのおかげで解決できそうにない疑問が生まれてもやもやした気分にさせられているのも確かだったが。
「とりあえず、俺は語り部で、お前は元旅芸人で俺についてきてる従者ってことで。まあ、覚えてなくても旅芸人の暮らしとか尋ねられたら答えられるだろ?」
 朝食を口に詰め込みながら、クロノアは器用に話す。
 堅焼きのパンを噛みながらアーサーは静かに頷き、薄めた果実酒でそれを胃に流し込む。
 酒と一緒に飲み込んだ空気を吐いて、炒り豆に手を伸ばしながら訊いた。
「これからどうやってオリムまで行くんだ?」
 朝食は宿屋のすぐ目の前にある料亭でとっている。日が昇ったばかりだが、さすが王都だけあって混雑は並ではない。
 さすがに夜のように怒鳴りあわなければ聞こえないことはないが、神院の静寂に慣れ親しんでいるアーサーにはひどく騒がしく感じられた。
 しかしクロノアの声は、そのうるささの中でもしっかりと耳に届く。
「徒歩と、荷馬車に乗せてもらう。今から王都の外れまで行くぞ。朝飯食って行ったら丁度いいくらいの時間だろう」
 栄えている都市ほど、物資の流通が盛んだ。毎日商人たちが地方から持ち寄った様々な品を、商売相手である店などに売りつけに来る。
 来る商人がいれば去る商人もいるため、王都ならば、オリムの方面に行く商人が一人か二人、必ずいるはずだった。
「街道沿いに東に向かう。徒歩でもいいが、できるだけ早く行きたいからな」
「万が一見つからなかったら?」
「その時は、近くの村から食料を運んでくる商人たちの馬車にでも乗せてもらおう。適当な位置まで行ったら、そこでまた行商人の荷馬車を借りる」
 そう言いながら、クロノアは一つの野菜を細かく刻んで煮込んだスープを飲み干し、その汁を綺麗にパンで拭って口に運ぶ。
「まあ、ないなんてことは多分ない――と、考えていいだろうな。この時季にオリムに行かない荷馬車がいるとは思えねぇ」
 それには同意して、アーサーも最後の一切れを口に運び、食事を終えた。
 旅慣れているだけあって、しっかりと噛みながらもかなり手早い。
「それじゃ、行くか」
 クロノアの声に頷き、アーサーは椅子から立ち上がった。




「それじゃあ高い、せめて十五!」
「いやいや、傭兵の旦那、こっちだって色々積んでるんだ、その上あんたらみたいにごつい男を二人も乗せたら、馬が参っちまう。二十が相場だね」
「待て、俺はともかくこいつはひょろいじゃねぇか。何だったら、体格のいい女騎士よりひよっこいくらいだ、その分を考えて十六」
「旦那、そりゃ言いがかりってもんですぜ。どんな国にこっちの旦那よりもがたいのいい女がいるってんですかい? ――十九。これ以上は下げられませんぜ」
 アーサーは内心ため息をついた。
 それはその通りだ。アーサーは男の中で比べれば細身の部類だが、それも男同士を比較にしての話である。
 値切るにしてもひどい言い掛かりだ、と思うと同時に、あれだけの路銀を渡されているのだからそこまで無理して値切る必要もないだろうにと嘆息する。
 だが、クロノアは熱心に行商人相手に硬貨一枚単位の値切りをしていた。呆れたことに、その交渉を楽しんでいる顔つきである。
「こいつより体格のいい女を俺は見たことあるぜ。並の男じゃ霞んじまうような長身で、筋骨隆々とは間違っても言えねぇが、実に見事な体格だった。それでいて顔は王都の囲われ娼婦も真っ青の、凛々しさと可憐さを併せ持った実に美人だ。ありゃあ、体は女にしとくのは惜しいと本当に思ったな。今でもそいつのことを考える度にしみじみと、あれは絶対にユレタ神も祭事の準備に追われて首から下を間違えたんだと思っちまう。信じられないだろ? でもな、世の中にはあんたも知らねぇ、想像もしねぇ不思議に満ち溢れてるんだぜ。例えば――」
 立て板に水、というのがぴったりだった。
 喋りで相手を篭絡するのが本職の商人に一言も発する暇を与えない。すらすらと、絶妙な瞬間で息を継ぎながら自分の知っている面白おかしい話に続かせて、行商人を押さえ込んでしまっている。
 アーサーは内心舌を巻いた。
 王宮に伺候できるような語り部を演じるというのは嘘ではなかったらしい。
 むしろそれが本職なのではないか、と、風貌を見ていなければ錯覚するくらいだ。だが、鍛え抜かれた傭兵の体なのは間違いない。
 とすると、この話術は特技ということになるが、それにしても随分と便利な特技を持っている。
 とりとめのない思考を遮ったのは、不意にこちらを向いたクロノアの顔だった。
「な、アーベル?」
「あ? あ、ああ」
 呼ばれた偽名に反応が遅れ、生返事をすると、クロノアがアーサーだけに見える角度で顔をしかめてみせた。
 もっとうまくやれ、と怒っているのかもしれない。
 だったら路銀をケチるな、と同じく目線だけで返しておく。
 その心が伝わったかどうかは不明だが、クロノアは行商人の方に向き直って笑顔で交渉を再開した。
「……ってわけで、どうだ? 十七!」
 さんざん手こずった行商人は苦笑いで手を差し出した。交渉成立の合図だ。
「傭兵の旦那に面白い話を聞かせてもらったから、勉強させてもらいますよ。しょうがない、大負けに負けて十七だ」
「おお、ありがてぇ!」
 文字通り小躍りしそうなくらい喜んで、クロノアは懐から小さな皮袋を取り出した。
 その中から硬貨を十七枚選んで行商人に渡す。
 アーサーが妙に思ったのはその小ささだ。ダニエラから渡された袋はもっと大きく、中身の硬貨ももっとたくさん入っていた。
 だが、そのアーサーの懸念をよそに、クロノアは上機嫌で荷馬車の荷台に乗り込む。
 丁度王都で取引を済ませたばかりだとかで荷台はほとんど空に近かった。
 クロノアが遠慮なく寝転び、アーサーはやや距離を置いて座る。
 行商人は乗り込んだことを確認すると、御者台とも呼べない粗末な木の板に腰を下ろし、栗毛の馬に一鞭をくれた。
 一声嘶いて、馬は軽快に走り出す。ゆるやかな震動が足元から伝わってきて、クロノアが一つ欠伸をした。
 ようやく四半分を登った太陽が、上から光を投げかけている。
 朝早くから起きて体を動かしていただけに、満腹具合も相まって眠気が襲ってくる時間かもしれない。
 眠そうなクロノアに、アーサーは小声で尋ねた。
「使ったのか? あんな大量の路銀を」
「違ぇよ。――おい、まさかと思うが」
 今までの緩やかな表情を捨てて、クロノアは上体を起こし、低い声音で問う。
「お前、あれだけの大金を一箇所に隠し持ってるんじゃないだろうな?」
 アーサーが返答に詰まると、クロノアは明らかに怒声を張り上げたそうな顔をして、行商人がいることを思い出したか、息と共に言葉を飲み下した。
 その息を太く吐き出して、クロノアはじっとりとアーサーを睨む。
「……お前、旅芸人に混じってて、いや、神官として色々旅はしてんだろ? 何でその程度の常識分かってねぇんだよ?」
「神院じゃ、逃亡を防ぐために大金なんかまず持たせない。俺のいた一座も――金を直接子供に渡すほど馬鹿じゃなかったからな」
「まあ、そうかも知れねぇけど……」
 言いよどんで、クロノアは首を捻った。
「例えば、到着した町で見世物をする時、食料の買い付けなんかやらされなかったか?」
「ああ、あったな」
 旅芸人はその名の通り旅から旅への渡り鳥である。簡易保存食などはある程度持って興行するが、やはり新鮮なものはその土地で購入することが多い。
 買いに行かされるのは下っ端である子供たちが多い。
「だったら、その時言われなかったか? 財布をすられても大丈夫なように、何箇所かに分けて仕込んどけって」
「……言われた覚えはないが……お前、詳しいな」
 過去を思い出していたアーサーが怪訝な顔で言えば、クロノアはふん、と笑って遠くを見つめる。
「俺も昔いたんだよ」
「いたって――旅芸人の一座にか?」
 少し声が大きくなったのを諫めるように、クロノアは唇に人差し指を当てた。
 情報が命の商人が、すぐ側の御者台に座っているのだ。
 どんな小さな情報でもほとんど逃すことのない行商人が、聞き耳をたてていないとも思えない。
 クロノアは既に、王宮に伺候した語り部の役になりきっているらしい。
「なるにしても――早すぎないか?」
「どこで誰に足を掬われるか分からねぇのが世の中ってもんさ」
 欠伸をして言わなければ、そして再びごろりと寝転ばなければ、まさしく真理をついた台詞だった。
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