翡翠の騎士たち

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  06  

「傭兵の旦那方は、オリムで何を?」
 行商人が話しかけてきたのは、丁度馬を休ませるために道端に寄った時のことだった。
 西空の天辺が茜色に染まりつつある。もうそろそろ今夜の宿を決める頃合だった。
「傭兵に見えるか?」
 謎めいた笑みを浮かべられて、行商人ははて、と首を傾げる。
 てっきりそうだと思っていたらしいが、クロノアはそれまで傭兵と呼ばれて否定こそしなかったものの、肯定もしていない。
 商人の視線はクロノアからアーサーへと移る。
 クロノアが傭兵ならその手下というあたりに見ていたのだろうが、そうではなさそうな口ぶりだ。では一体この男は何だろうかと考えている顔つきである。
 アーサーは詮索の視線を肌に感じながら、そ知らぬ顔で明後日の方向を見ていた。
 下手な受け答えをしてクロノアにまた睨まれてはたまらない。
「――まあ、アーベルさんはともかく、エリックの旦那は傭兵にしか見えないですよ。旦那は傭兵じゃないんですか?」
「俺は語り部だよ。オリムにはその関係で商売に行くんだ」
「へえ、その割には大層な剣をお持ちで」
 大層な剣、と行商人は評したがそれは大きさのことだろう。どこにでもあるありふれた拵えの長剣だが、語り部が持つには確かに大層な剣だ。護身用にしても大きすぎる。
 クロノアは、どこか懐かしむような視線を剣に落とした。
「……ああ、元々は俺の剣じゃないんだ。貰い物でね」
「なるほど」
 行商人は頷いて納得したようだったが、アーサーは驚いてクロノアと剣を見比べた。
 今まで、笑っていても、どこか底の知れない表情だと思っていた。それが、心底懐かしそうな、本当に優しい目を見せている。
「……」
 思わず凝視してしまったアーサーを、クロノアが視線を感じて見返してきた。
「あ? 何だ、アーベル?」
「あ――ああ、いや何でもない」
 あわてて視線を逸らすアーサーに不審げに首を傾げ、クロノアは行商人の方に向き直る。
「今夜はどこに泊まるんだ? 野宿か?」
「いや、この先に小さな村があるんでそこに泊まりまさぁ。空が赤く染まりきるまでには着けるでしょう」
「――だったら、急いだ方がいい」
 急にアーサーが口を挟んだ。クロノアも行商人も、驚いて振り返る。
「悠長にしていると、一雨くるぞ」
 空を見上げれば、雲こそあるものの綺麗な青空である。雨が降るとは到底思えなかった。
「そうか、だったら急いだ方がいいな」
 クロノアが頷いたが、行商人が首を傾げた。
「雨、本当に降りますかね?」
「降るさ。こいつの天気を読む力はすごいぞ?」
「へぇ……魔法使いみたいですねえ」
 何気ない一言だったのだろうが、アーサーは目に見えて顔を強張らせた。素人目にも不審だと分かるだろう。だが、クロノアは気づかせる暇を与えない。即座に行商人に言葉をかけた。
「はははっ、何言ってんだよ? 魔法使いってのはもっとおっかねえ、鼻の曲がった皺くちゃの連中だぜ? アーベルとは似ても似つかねぇだろうよ」
「ははは、こりゃ失礼。確かにアーベルさんみてぇな男前に魔法使いってのは失礼すぎる!」
「おお、その通りだ。だが、男前ってのは言い過ぎだろ? どっちかってえとこいつは美人の枠に入るって。男前ってのは、俺みたいなことを言うんだ」
「はっはっはっ、否定できないから困りまさぁ」
 腹を抱えて笑う行商人とクロノアの後ろで、アーサーは青い顔で佇んでいた。




「いやあ参った……本当に降るとは……」
 行商人が感心したような呆れたような言葉を漏らしたのは、暖炉の前だった。宿の広間は、雨に濡れた旅人やら雨宿りに来た村人たちで溢れている。
「アーベルさんはたいしたもんだ、本当に雨が降っちまった」
「そう言われると、俺が降らせてしまったような気になる」
「ああ、こりゃ失敬。言い直しましょう、アーベルさんの目は大したもんだ」
 行商人が葡萄酒を片手にほろ酔い気味に笑い声をたてた。
 アーサーも苦笑気味に酒を口に運ぶ。クロノアは食事を胃の腑に入れるのに忙しい。
「しかし、どうして分かったんです? 俺にも雨の気配くらいは分かりますが、こんなざんざんに雨が降るなんて――あんないい天気だったのに、どうやって?」
「……大したことじゃない。俺は色んな所を渡り歩いてるから、天候に自然と詳しくなっただけだ。早く読めるというよりも、勘みたいなもので、外れることも多い」
「へえ、しっかしそりゃあ便利ですねえ」
 行商人は羨ましそうに言った。荷台に商品を積んで移動する行商人たちには天候を読むことが重要な能力となってくる。雨に濡れて商品を台無しにしてしまっては一大事だ。羨ましがるのも無理はないが、アーサーはどこか影のある笑みでその言葉に応えた。
「そうでもない。――気味悪がられることもしばしばだ」
「そうですかね?」
 男は便利なのになあ、と呟きながら酒をがぶ飲みした。ようやく一段落つけたらしいクロノアが葡萄酒を一気に飲んで話に加わる。
「気味悪いといえばなあ、知ってるか? オリムの方で囁かれてる噂……」
「へえ、どんな噂です?」
 内緒話でもするような調子で、手を口にあてる。
「知ってるか? オリム城主のベルナール男爵様は――」
 そこで、クロノアはためらうように言葉を途絶えさせ、
「いや、やっぱりやめておく、馬鹿な話なんだ、こんなことあるわけないしなあ」
「何だ、気になるじゃないですか。言って下さいよ」
 後ろの席の連中が聞き耳をたてているのをちらりと確認して、クロノアは話を続けた。
「ベルナール男爵様は、実はお父上を暗殺したってのさ」
「そんな馬鹿な!」
「しぃっ、声が大きいって!」
 そうたしなめる、クロノアの声の方が大きい。どんなつもりなのかと思いながら、アーサーはクロノアを横目で見た。
 にやりと悪戯っぽく笑ったところを見るとやはりわざとやっているらしい。
 どうやら、クロノアはこの話を広めたいようだ。特に協力する必要性も感じなかったが、疑問に思ったので訊いてみる。
「父上を暗殺? 先代のベルナール男爵をか?」
「ああ、そういう噂があるって話だ」
「そんな馬鹿な! 俺は何年もオリムと王都を行き来して品物を売り捌いてるんですぜ、そんな大きな噂がありゃあ俺だって知ってまさぁ」
「そりゃ、秘密にしてるからさ」
「馬鹿な。だったらなんでエリックの旦那の耳には入るんですか」
「そりゃ……あのな、あんまり大きな声じゃあ言えないんだけどよ」
 少しだけ声を低め、クロノアは男の方に少し体を傾けた。後ろの席の男たちが、さり気なく椅子を後ろにずらす。
「語り部なんて仕事をやってる関係上、俺もお偉いさんの所に出入りする機会もあるんだ。その時、まあ――とある高貴なお方のサロンで聞いた噂なんだけどな? あくまで、あくまで噂だぞ?」
「分かってますよ、ただの酒の肴に聞く話でしょう?」
 男もさすがに商人だけあって飲み込みが早い。こうして言っておけば、あくまで噂でありただの与太話ということになる。
「そうそう。――前のベルナール男爵様は有名な嫌われ者だったらしいな」
「そうですとも、通行税の高かったこと――今のご子息が爵位と土地を継いだのは、私たちにとっちゃ僥倖でした」
「だがなあ、その爵位と領地継承には、一騒ぎあった、ってのさ」
 クロノアはにやりと笑う。いつの間にか、背後の男たちも身を乗り出して聞いていた。
 ただ一人、アーサーだけは見事なものだと感心しながら葡萄酒をちびちび飲んでいる。
「今代のベルナール男爵様は、昔は王宮でフェルディナンデス伯爵様の所で書生をしてたんだ」
「おお、その話は聞いたことがありますよ。数年前、代替わりの時にそんな噂が流れてましたねえ。いいお人の下で勉強なさったもんだって、いい箔がついてるって城下で皆噂していましたっけ」
「そう、あの王国の中枢を担う重臣、フェルディナンデス伯爵様の下で、男爵様は優秀な成績を収めて、王宮でも信頼を得ていたんだそうだ」
 優秀な次代の若者を育てるため、親戚や縁のある人物に息子を託し、勉学をさせることはそう珍しいことではない。
 アーサーは一体何の関係があるのかと首を捻る。
「フェルディナンデス伯爵様に気に入られて、ベルナール男爵様は王宮の書院で随分勉強に励みなさったらしい。そこまではいい話だ。それだけご勉学に励んでくださればオリムも潤うし引いてはクラナリア王国のためにもなるってもんだ。そうなりゃ俺たちの仕事も増えるってもんだしな?」
 そこで、クロノアはぐるりと一同を見回した。すっかり引き込まれている彼らは、盗み聞きの体も忘れて身を乗り出している。
「だけどな、男爵様は王宮でちょーっとまずいことまで勉強してきちまったらしいんだ」
「ほほぉ?」
 その内容は、と皆が固唾を呑む。
 クロノアはわざと、焦らすためにそこで葡萄酒を飲んだ。
「何だよ、語り部の兄さん、焦らすなよ!」
「そうだそうだ」
 小さな村の宿屋に泊まるような連中には、雲の上の貴族たちの話はほとんど関係がない。まさに絶好の酒の肴だ。それも悪口とあれば、普段の鬱憤も解消されるからなおのこと聞き入って、愚痴を言い合いたいと思う。
(計算し尽くしているな)
 心の中で密かに賛辞を送りながら、アーサーは欠伸を噛み殺そうとした。
「――それが、なんと」
「なんと……?」
「悪魔の召喚方法だってんだ!」
 一瞬、広間が静寂に包まれる。アーサーは思わず欠伸の息を飲み込みそこね、咽せた。
 次の瞬間、爆笑が渦巻いた。
「はははははっ! あ、あ、悪魔の召喚方法だあ!? ひーっひっひっ!」
「言うに事欠いてそれかい、語り部の兄ちゃん!」
「あははは! 傑作だ! まさか、その悪魔を召喚して、お父上を呪い殺したとでも言うんじゃないだろうな!?」
「そのまさかさ!」
「あははは! 確かにこりゃあ、酒の肴にしかならねえ噂だわ!」
「く、くっだらねぇ! はーっはっはっは!」
「そうだろう? だから言ったろ、馬鹿な噂だってな!」
 広間一帯が笑いで弾けた。あまりの馬鹿馬鹿しさに、全員が腹を抱えて笑っている。
 だが、アーサーだけは笑わなかった。クロノアが何の目的もなしに言うとは思えない。一体どんなつもりかと思ったが、クロノアは葡萄酒を飲み干し、広間の真ん中に躍り出た。
「失敬、失敬! 語り部らしくもねえ、くだらねえ話聞かせちまったな! その詫びに、とっておきに面白い話を聞かせてやろう!」
「おおっ、いいぞ語り部の兄ちゃん!」
「今度はちゃんと、面白い話聞かせてくれよ!」
「いいぜ、何かご要望は? 古今東西、どんな話でも言い伝えでも話してやる!」
「俺は、シドゼス騎士団の、武勇譚が聞きてえなあ!」
 アーサーはその名詞に、軽く反応した。
(シドゼス……?)
 一角から声があがったのを皮切りに、次々と声が広場に満ちる。
「いやいや、神殿にこき使われてるあんな騎士団の話なんかより、俺は魔法使いの殲滅戦の話が聞きたいねえ!」
「バッカ野郎、ありゃ何十年前の話だよ。あんな御伽噺より、最近王都であったっていう話を聞きたいねえ!」
「そんなもんいっぱいある! もっと具体的に言えよなお前!」
「分かってるよ! 語り部の兄ちゃん、王家の話とか知ってるかい? 最近王様方の話題とか何も入ってこないもんで、皆退屈してんのさ!」
 好き勝手に叫ぶ観客たちに苦笑して、クロノアは宿の主人に声をかけた。
「親父さん、ちょっと机借りていいかい?」
「好きにしてくれてかまわんよ、私も話を聞きたいんでね」
 奥で座っていた主人が、磨いていた器を少し掲げて見せた。
「ありがとうよ」
 手を挙げて応え、クロノアは机の上に躍り出た。ぱん、と一つ拍手を打って、芝居がかった仕草で一同を見回す。
 いつの間にか、広間中の人間がクロノアを見ていた。
「皆さんご静聴願います。これから語るは王都で起こった珍妙な物語、シドゼス騎士団の一騎士と、第二王位継承者、レイヴィアス様の冒険譚だ!」
「いいぞー!」
「最高だぜ、語り部万歳!」
 野次が盛んに飛ぶ中、アーサーは椅子から立ち上がった。
「……食事代だ」
 硬貨を取り出して、宿の主人に渡した。銅貨が数枚跳ねて、机の上に転がる。
「おや、見ていかれないんで?」
 主人の何気ない一言に、アーサーはふ、と笑いを漏らした。凍るような、冷たい笑みだった。
「くだらない話だからな」
 そう吐き捨てるように言うと、アーサーは沸き返る広間を振り返りもせず、どこか暗い目のまま、部屋へと続く階段を上っていった。
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