翡翠の騎士たち

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  14  

 主塔とは名の如く、城の主たる塔の事である。
 城の主人であるベルナール男爵も、その主塔に居を構えている。最上階には見張り台があるためにその一つ下の階が居室となっているが、さすが堅城と称するだけあって、そこまで辿り着くのも容易ではない。
 だが、二人が向かうのは城主の部屋ではない。
 その付近で、男爵が常に監視しやすい場所にあり、それでいて城の住人にも人を監禁している事を気づかれないような部屋。
 恐らく、城の者たちの様子からして、ベルナール男爵の謀反は彼らにとっても驚くべき事だろう。
 ごく一部の者たちだけで計画が進行している。
 でなければ、語り部をここまで厚遇したりはしない。何よりの証拠は、いくら気に入ったとはいえ、執事をクロノアたちにべったりと張り付かせている事だった。
 昼の間は、ほとんど老執事と顔を合わせて行動する。監視しているつもりなのだろう。夜にそれがないのは、恐らく城の警備体制に自信を持っているからだろうか。
 こちらにはそれが効かないとは考えていないようである。愚かしい事だが、それは好都合だった。
 この四日間、接してみて分かった事だが、ベルナール男爵は確かに有能だ。しかし、それは行政や社交の面においてである。
 軍事面には驚くほどに疎い。もとい、考えが浅い。
 それでよくマークドから密輸などという大それた事を考えたものだ。どんな結果を生むか分かっていないのだろうか。
 クロノアは、そんな事を考えながら、行儀良く口に葡萄酒を運ぶ。年代物なのだろう、まろやかでありながら心地良く喉を刺激する美味さだ。
「さて、今宵はどのような物語を聞かせてくれるのかな?」
 男爵の芸術への造詣はかなり深い。クロノアも度々ひやりとさせられたほどだ。フェルディナンデス伯爵の元で余程戯曲やら芸術やらにのめり込んだらしい。
 だが、この程度で負けてはいられない。
 連れにできない事は言わないなどと豪語してしまった以上、意地でも語り部の役をやり抜いてみせる。
 クロノアはアーサーに見えないのを承知で、とっておきの微笑を浮かべる。訓練された、嘘臭さが一片もない完璧な笑顔でクロノアは言った。
「お望みならばどんな物語でも」
 恐らくはこれがこの男爵に語る最後の物語になるだろう。クロノアたちは、今夜主塔に近づき、事を起こす。
 これで見つからなければ明日にでも退避し、帰る。もし見つかれば、その場でユーリーをさらって行く。どちらにせよ、今宵が穏やかな最後の夜だった。
 だから、クロノアはあえて何を語ろうともしなかった。
 最後くらいは、相手の要求に応えようと思った。
 ――幼い頃、憧れた語り部のように。
「そうだな、今宵は月が綺麗だ。『こんな夜には妖精が出る』」
 男爵は気の利いた洒落を言った時のように、少し笑ってみせた。
 クロノアもそれに応じるように反射的に口角を上げる。ひやり、と寒気にも似た物が背筋を走ったのを、感じ取られはしなかっただろうか。
 男爵が口ずさんだのはこの台詞を皮切りにした、物語の始まりだ。
「今宵は、妖精の恋物語をご所望ですか?」
 男爵が邪気のない笑みで頷いた。
 物語の名前は『ミランダ』。妖精が人間の男に恋をするところから物語は始まり、妖精は不運な境遇の男を妖精の力で助けていく。だが、妖精は男の目には見えない。結局、男は美しい姫と結婚して、子供をもうけた。妖精は、悲しさと愛しさのあまりその子供と、自分の子供をすり替えて育てる。その子供は美しく成長し、やがてその取り替えられた運命故数奇な冒険の旅を歩む事になる――という、ありきたりと言えばありきたりな物語だ。
 ミランダ、とはその妖精の子供の名前である。
 クラナリアで最も古く親しまれている古典童話の一つだった。
「――かしこまりました。……『こんな夜には妖精が出る。なあ、そうだろう?』」
 よりによってこの物語か、とクロノアは心の中で苦笑した。
 男爵は極上の調べに聞き惚れるようにクロノアが紡ぐ声の旋律を聞いている。
 思ったより、悪い人物ではないのかもしれない。ただの一領主として収まっていれば、何も起こさなければ、平穏な人生を送って、あるいはクロノアと本来の場で話すような事もあったのかもしれない。
 何もなければ良かったのに。
 そう思いながら、クロノアは喋り続けた。
 妖精にも人間にもなれなかった、数奇で哀れな子供の話を。




「覚悟があるなしの問題じゃないと思うんだがな」
 今はアーベル、と呼ばれているアーサーがこの期に及んで呟いた。
 どうやらまだ納得がいかないようだ。
 最悪の場合このまま城から出ることを考えて、路銀などはしっかり身につけている。
 クロノアは剣の具合を確かめながら揶揄するように訊く。
「何だ、依頼主に言われたら死ぬ覚悟はあるんじゃなかったのか」
「そんなものがあるなら、とっくに神院から逃げ出している」
 道理だな、とクロノアが喉で笑う。
 自由が焦がれるほど欲しいなら、レイトクレルの神院から抜け出している。例えその結果、死ぬことになろうともだ。
 しかし、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。
 もし失敗すれば問答無用で処刑されるだろう。そんな大事である。
 皆が寝静まるまでには、まだ少々時間が要る。だから、二人は何気ない会話をして暇を潰していた。眠るには、浅すぎる暇を。
 ふと、クロノアが思いついた疑問をそのまま口にする。
「お前、今までの依頼ってどんなのだったんだ?」
「……気になるのか?」
「まあな」
「神院長が金で請け負ってきた仕事の肩代わりだ。色々あったが――ここまでおかしな依頼ではなかった」
 そう言ってやると、クロノアはおかしそうに笑う。
「まあ、そうだろうな。城の牢に入り込むから手伝えなんて、普通依頼でも中々ねえもんな」
「そうそうあってたまるか。……俺も、気になっている事がある。お前、以前にも魔法使いと手を組んだ事があるのか?」
「……何故そう思う?」
「お前自身が言っていただろう。俺が天気を予想した時に」
 ――雨、本当に降りますかね?
 ――降るさ。こいつの天気を読む力はすごいぞ?
 その後の行商人の発言に動揺して、その時は聞き流してしまっていたが。
「あれは、俺たちの力がどんなものか、実際に見たことのある奴の口調だぞ。旅芸人の中に、魔法使いでもいたのか?」
 そんな他の「同種」に、クロノアは会った事があるのか。
 そう思って尋ねてみる。返答までに、やや間があった。
「アーサー、本当に相手に答えを求める時はな、自分から回答を提示するな。相手が本当の事を喋らなくなる絶好の機会を、自分から与えてやるな」
「それは忠告か? それとも、俺の質問をはぐらかすための偽装か?」
 呆れたようなアーサーの言葉に、クロノアは、今度はすぐに返事をする。
「単なる助言だ。――俺が、以前に他の魔法使いに依頼をした事があるとか、仕事の関係上会った事があるとは思わないのか?」
「依頼者なんて限られている。魔法使いの数もだ。お前が知っているかは知らないが、レイトクレルのユレタ神院には、俺を含めてたった七人の魔法使いがいるだけだ。男も女も合わせて、このクラナリアに、たった七人の同種の人間。嫌でも、どんな依頼者がどんな事を頼んできたのかお互い耳に入る」
 アーサーを含めた七人は、デルハイワーの戦で神殿騎士団に住んでいた村を焼かれ、方々で拾われたり買われたりして神院にやって来た。
 魔法使いが存在する事を恐れた王宮が、神殿が、その子飼いである騎士団に命令を下した。デルハイワー盗賊団をけしかけて、魔法使いの村を襲わせろ。デルハイワー盗賊団を討ち取るふりをして、全ての罪を擦り付けて、魔法使いを完全に抹消しろ。
 騎士団は、その命令を忠実に実行した。
 しかし、それでもその目をかいくぐって逃げた者はいる。
 レイトクレルという大都市の神院長は、それに目をつけた。
 失われた力、恐るべき力、使い方次第で自分自身をも滅ぼしてしまう力、しかし、いつでもそれに惹かれる人間は後を絶たない。
 ユレタ神院の長は、その力を金儲けに使えないか画策した。魔法を使う禁忌を、後ろ暗い連中に提示した。奇跡の力を使って、望みを叶えないか、と。
 それに飛びついてくる連中がアーサーたちの依頼主となり、その依頼をこなす代わりに、アーサーたちは神院の加護の下で生きていく事ができるようになった。
 代償として、自由を縛られて。
 神院に買われてから知った事だが、アーサーの村の他にも、そういった魔法使いの村はあったらしい。それが、デルハイワー盗賊団が狼藉を続けた国内の村々であり、他の六人の出身地もそんな場所だった。彼らもアーサーとそう差異のない経緯で神院にやって来た。
 雨に濡れた猫たちが自然と身を寄せ合うような、彼らとアーサーは互いにそんな関係だった。
「……仲いいのか? 他の魔法使いと」
「そこそこな。――それで? 俺はまだ、質問の答えをもらっていないんだが」
 クロノアは、薄く笑った。初めて会った時を彷彿とさせる、謎めいた顔だった。
「……俺は、お前の事が嫌いじゃない、アーサー。だから、あまり嘘はつきたくねぇんだ」
「言えば嘘になるような答えなのか?」
「察しが良くて助かるぜ。その通り。一応これでも、俺も国の暗部とやらに関わってる身だからな。言いたくても言えない事もあるんだ」
「まあ……そうだろうな」
 当然だろうが、喋れない、と拒否されたのは初めてだったので、アーサーは面食らった。この男が、義理立てするような性格には見えなかった。最も、義理立てではなく単なる保身なのかもしれないが。
 すると、クロノアはその思考を読んだかのように言った。
「別に義理立てしてる訳でも保身してる訳でもねーよ。強いて言うなら、お前の保身だ」
「俺の?」
 アーサーは眉をひそめる。
「その言葉だと、まるでその答えを聞くと俺が殺されるような風に聞こえるが?」
 返ってきたのは低い笑い。
 肯定とも否定ともとれないその反応に、アーサーは惑う。
 しかし、何かアーサーが言う前に、クロノアが顔を上げた。
「もうそろそろ頃合だな。――行くぞアーベル」
「……分かった、エリック」
 この偽名も使うのはこれで最後だろうな、と立ち上がりながらアーサーは思った。
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