翡翠の騎士たち

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  23  

「町の隔壁が壊された、か。ということは、山から抜ける気だな?」
 ベイフォード卿ジャック・ラトレルは、伝令の報告を聞きながら、にやりと笑って呟いた。
 あの騒ぎが起こっては隠しようもない。
 ジャックは堂々とオリム城の内部で姿を現していた。もっとも、目立ちすぎる紅い目は眼帯で覆って隠していたが。
 傍に控えた兵は恐れと好奇の視線をもって、ジャックを見ている。
「どうした、貴様。私が恐ろしいか」
 意地悪く問いかければ、あわてて視線を逸らし、面白いようにかしこまった。
「い、いえっ、そのような……滅相なことは」
 ふん、とジャックは鼻を鳴らす。
 隠していても、真紅の目は、この異相は、忌まれる証。それは、例え生まれ故郷のマークド皇国でも、クラナリア王国でも変わらない。
「どうなさる、ベイフォード卿」
 ジャックの対面で、ベルナール男爵は思わぬ事態にうろたえている。
 これだから、とジャックは内心顔を歪める思いだった。
 軍事に不慣れな男と組むのはやりにくい。施政ができれば軍事面でも才能を発揮するかというとそうではない。
 この男、典型的な文官である。
 士気の上げ方一つ知らないだろうことが、簡単に予測できる。
 今が交戦中ならば、この男が城主ならば、堅城として名高いこの城も易々と落とせただろうに。
 そんな思いはおくびにも出さず、ジャックはマークド皇国の竜騎士、ベイフォード卿としてふさわしい余裕の笑みを浮かべる。
「何をおっしゃる、ベルナール男爵。これぞよい機会ではないか。あの男たちに追っ手は出した。何せあのルーウィス卿がお相手故、いささか厄介だろうが――なに、人海戦術と言う、寡兵は多勢に勝てぬが道理。これを良いきっかけと捉え、ご同志たちに使いを走らせれば、必ずや援軍が参るだろう。その軍勢をして、狼煙となされてはいかがかな?」
 実際のところは、そうは思っていない。
 時期が尚早すぎる。武器が各々に回りきっていない上、情報戦の狼煙すら上げていない。
 しかも、クロノアたちがそれを国側に知らせてしまえば状況はあっという間にひっくり返る。
 たかが田舎領主の集まりと、数になれば馬鹿にはできないが、一つ一つを切り離せば驚くほどに脆い。
 寡兵は多勢には勝てぬと言ったジャックだが、それが、一番危うい場所だと思っている。
 たった三人、何ほどのものか、と追う側の兵士たちは思うだろう。
 駆け込む先も特定できるだろうから、その街道を封鎖すれば訳もないと侮っているに違いない。
 心理戦に長けたあの男が、それを見逃すはずもない。
 しかし、さすがのクロノアといえど、追っ手の人数がきついのではないだろうか。
 さて、どちらが勝つか。
(面白くなってきた)
 密かに喉の奥で笑うジャックに、考えこんでいたベルナール男爵が顔を上げ、声をかける。
「左様ですな、ベイフォード卿。今すぐに貴殿のおっしゃる策を用いましょう」
「是非ともそうなされよ。――ああ、それから。彼を、もしも捕らえたならば、必ず始末なされた方がよろしい」
 ぎょっ、とベルナール男爵が目を見開いた。
「それはエリック――いや、ルーウィス卿のことだろうか」
「無論。何かご異存でも?」
 冷ややかな笑顔のベイフォード卿に、ベルナール男爵は気圧されながらも食い下がる。
「彼はスペンサー公爵家の末弟だとあなたはおっしゃったぞ。スペンサー公爵家といえば、クラナリアが三国併合を行う前から存在する、由緒正しい大貴族だ。その末弟を殺めるなど言語道断であろう」
「殺めるとは申していない。ただ、動けないようにしなければ、あの男――失礼、ルーウィス卿は、何が何でも脱出を試みるだろう」
 そういう意味合いか、と胸を撫で下ろしかけた男爵に、ベイフォード卿は冷気の漂う微笑を維持したまま言った。
「少なくとも両足を斬り使い物にならなくした上で、利き腕を焼く。その上で動けぬように、鎖で牢に繋ぐくらいのことをしなければ、恐らくこの城を脱出するだろうな」
 さらりと放たれた言葉に、一瞬ベルナール男爵も、控えていた兵隊たちも顔色を失う。
 そんな非道な真似を、という抗議が喉元まで出てくる。
 そこでようやく、男爵は思いだした。
 男女の差において、マークドは驚くほどに寛容だ。現に今代の皇帝は女であり、クラナリアでは考えられないような職業に就く女もいる。だが、その分マークド皇国は大陸でも一番の血族重視を行う国家である。
 目の前の竜騎士は、今でこそ爵位を与えられて姓を名乗っているが、元は氏素姓の知れない出であるという。そんな者がこの若さで、そのマークドでのし上がったのだ、後ろ暗い噂を立てられない方がおかしい。
 目の前で泰然と微笑む男の背に、凝った澱みがたゆたっているような気がして、男爵は背筋を震わせた。
 そんな男爵の怯えを見て取り、ベイフォード卿は唇を吊り上げる。
「ベルナール男爵、これは戦争だ。今さら後ずさる道は、もうあなたには残されていない」
 穏やかな声音がいっそ恐ろしい。
 自分はとんでもないものを呼び寄せてしまったのではないかと、男爵は今さらながらに冷や汗を流した。




「恐ろしい……あれが、マークド皇国の竜騎士か」
 男爵は、執事に言って各地の同志たちに使者を出した後、ぐったりと寝台に座り込んで呟いた。
 隠れているはずの真紅の瞳が、男爵を射抜いていた。
 あれが戦場を知る者の空気か、と男爵は改めて慄然とする。
 あれが、自分がこれから作ろうとしている場所の気配。
 同じように戦場に立つ騎士でも、あのエリックことルーウィス卿とは全く違う。
 もっとも、ルーウィス卿も本性を隠していたのだろうからはっきりとしたことは分からないが。
 ぎり、と男爵は奥歯を噛んだ。
 負けるわけにはいかない、怯えるわけにはいかない。
 この国の腐敗を変えるために、自分は折れてはならない。
 ぐ、と握りこんだ指先はしかし、拭いきれない恐怖に震えていた。




「随分とのん気で悠長な御仁だ」
 先程と同じように、対面の相手にジャックは話しかけた。もっとも、今回の相手は男爵ではない。
 相手は杯を片手にしたゴードンである。
 ジャックも極上の葡萄酒をすすり、豪奢な椅子に腰掛けている。男爵が客間として用意した、最高級の部屋での言葉だ。
 ゴードンは老いを刻んだ皺を震わせて、苦笑したようだった。
「それ故、扱い易い部分もございます」
「この謀反も、どうも好かない。誰か優秀な参謀が、最後までつけば話は別だろうが――」
 そこで、ジャックはあえて言葉を切ってゴードンに目を遣る。
「さて、お前にそこまでの忠誠心はあるのか?」
「私の忠誠など……分かっておられるでしょうに、竜騎士殿は意地が悪い」
 ジャックはそこでようやく、楽しそうな笑みをこぼした。
「まあそうだろうな。ユアン・エトナは民であるならば忠誠を誓いやすい相手ではあるが、騎士として主とはしたくない」
 そんなことを平然と、その男爵の城内で言うのだからジャックの面の厚さも相当なものだ。
「大丈夫なのですか」
 聞き耳を立てられてはいないか、と尋ねたゴードンを、ジャックは笑い飛ばす。
「平気だ。あの男爵は、そういう初心な所が面白い」
 例え敵国の相手であろうと、恐れを抱いた竜騎士であろうと、身分に応じた義理はしっかり通す。ジャックからすれば、愚かしい限りだった。
「実に、扱いやすい」
 月夜に映える、美麗な横顔を見つめ、ゴードンはそっとため息をついた。
「……あの方の理想には、何も伴っていませんからな」
「その通り。あの男の理想は、実に気高い――が、所詮はそれだけだ」
 高価なガラスの杯を机上に置いて、ジャックは薄い嘲笑をその赤い酒に映す。
「貴族だけが支配する世界。身分の出など関係のない商人連中が権力を持たない世界――理想だな、特権階級の連中にとっては。それが実現したのは遠い昔だと、どうして気づかないのだろうな」
 貴族と聞けば、誰もがかしこまって跪く。
 だが、そこに本当の尊敬と畏怖の念が裏打ちされていた時代は、とうに過ぎ去っている。
 確かに信仰心も、義侠心も、忠誠心も、なくなったとは言わない。だが、無条件に貴族たちや王族たちを信仰する時代は過ぎた。
 過去の栄光に目を焼かれて、今が見えない哀れな男。
 ジャック・ラトレルにとってはベルナール男爵などその程度の認識でしかなかった。
 それよりも、彼にとって重要なことがあった。
「それで、ゴードン。お前の方は、エトナのように倒れてもらっては困る。計画は、うまくいっているか」
「ええ、今のところは。――しかしクロノア様に、既に目的は悟られていることと思われます」
「私が行く直前に話していた、あれか」
 思い出して、ジャックは舌打ちをする。
 あの銀髪の魔法使いさえいなければ。
 クロノアにしては珍しい以上のありえない大失態だった。敵地の真ん中で、話に集中して背後への注意を怠るなど。
「……惜しかった。あの銀の髪さえいなければな」
 言ってから、自分も銀の髪だと気づいてジャックは苦笑する。
「あのとき、やはりルーウィス卿をお斬りになるおつもりでしたか」
「無論だ。あの男が隙を見せるなど、千載一遇の好機だぞ。みすみす逃す手はない。――それともお前は、俺が情に流されることを願っていたか?」
「いいえ。例えあの方であろうと、障害となるならば斬るのみです」
 その答えに、ジャックはさもありなんと頷く。
「あいつとは旧知の仲だが、敵同士になれば容赦はできない。一度くらいは酒でも飲み交わしたいと思うが」
 それも紛れもない本心だろう。だが、敵として相対すれば、その瞬間殺す気でお互い斬りかかる。
 先程のように、二人とも微塵のためらいもなく。
 それぞれが己の信念を懸ける道のために。
「……惜しい、と私も思います」
 ゴードンの言葉に、ジャックは意外そうな顔をする。
「お前は、あの男のことを慕ってはいなかったのか? あの男の部下だったのだろう? 意外だな」
「いいえ、それ故に残念でならないのです。――あの方が、こちら側についてくださらないことが」
 ジャックは、ふと表情を消し、窓から差し込んでくる光に目を向けた。
「ああ、惜しいな。あの男はエトナのような小者とは違う。痛みも知らず崇高な正義だけを振りかざす輩ではない。――本当に、あの男がいてくれたら、随分状況も気持ちも違うだろうにな」
「はい」
 二人は、黙って杯を傾けた。
 理想と現実の溝は、知れば知るほど深くなる。
 必ずしも道理が正しいわけではないことを、知り抜いている沈黙だった。やがてゴードンが、その均衡を破る。
「クロノア様は、果たしてあの包囲を抜けられるでしょうか?」
「さてな。――賭けてみるか?」
 ジャックの戯れに、ゴードンは微かに笑んだ。
「いいえ、やめておきます。どうせ答えは同じでしょう」
「そうだろうな。――さて、ルーウィス卿が過酷な労働を強いられている間、我々は休息を取るとしよう。これからが本番だ。英気を養っておけ、ゴードン」
「はい」
 ゴードンは頷き、ふとジャックの髪を見つめる。
「ベイフォード卿。あの若者、いかが相成りましょうか」
「あの、銀髪の魔法使いか? ああ……計画に加えるという手もあるか。まあ、そこはお前の考え次第だがな」
「同志は、多いに越したことはありません」
 即答に、ジャックは予想通りと言うように微かに笑んだ。
「まあ、好きにやれ。できればの話だがな」
 礼の代わりに、ゴードンは深々と頭を下げて見せた。
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