翡翠の騎士たち

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  29  

 クロノアは、痛む上体を無理に起こして、土の壁にもたれかけさせた。
 その僅かな動作の間に息が上がってしまっている。
 大丈夫か、と声をかけることすら今はためらわれるアーサーの代わりに狼がもそもそとその脇に潜りこみ、これでいいかとでも言うように顔をアーサーの方に向けて見せた。
 それを見て、クロノアは熱のせいで凝った笑い声を出す。
「知ってるか、アーサー。今現在残っている物語や戯曲の中で、特にここ二百年間のもので魔法使いを題材にしたものはない。だが、その代わりに妖精や精霊が出てくる話は激増した。――かつての位置から置き換えられたんだな。妖精、精霊は自然の一部、人間よりも遥かに神の膝元に近い位置にいて、動物たちの上位に立つ」
「……つまり?」
 やや要領を得ない説明に、アーサーは少し怪訝な顔をした。
「魔法使いは、動物に好かれやすい。物語に出てくる妖精みたいにな。特にお前みたいに力のある奴はそうだ」
 アーサーはそこに深く言及しない。自分のことより、魔法使いのことより、今からこの男が話そうとしていること――恐らくは、彼自身の過去に、目が向いていた。
 クロノアはなおも饒舌に続ける。
「力のある魔法使いには、共通点が出る。二百年前、故意に歴史から削られた特徴がな。王都を半壊した魔法使いもそうだったらしい。お前にもばっちり出てるよ」
「俺にも? 何だ、その特徴は?」
「髪と瞳の色の剥落。それも、銀の髪はその最たるもんだそうだ」
 簡潔明瞭な答えを聞いて、アーサーは自分の髪に触れた。
「……これが?」
「そう。珍しいんじゃないのか、神院の仲間内でも。銀髪に、薄い色の蒼い目は」
 大陸の人間の大半は黒か茶色の髪、次いで多いのが金髪だ。老人でもないのに白い髪の者はまずいない。老いてからも、白というよりは金に近くなる髪色になるのが普通だった。
 目の色も同様で、黒、茶、金、という色合いの瞳は珍しくも何ともないが、青色や赤色になるとそういない。
 生まれながらにして魔法使いというわけか、と暗澹たる気分になったとき、ふと、アーサーの頭に掠めるものがあった。
「……クロノア。嫌なことを訊くが」
「何だ?」
「城で会った、あの男。お前がハンフリーと呼んでいた男ではない方で……お前を背後から斬ろうとした、俺と同じ銀髪で、片方が赤目の――あの男は、まさか」
「何だ、覚えてたのか。――そう、あいつも、魔法使いだ。もっとも、クラナリアじゃなくマークドの出身だがな」
 他国にも当然いるだろう魔法使いのことをあっさりと肯定されて、アーサーは体が沈みこむような感覚を覚えた。
「……一晩で飲み込むには、かなり胃にもたれる話ばかりだ」
「じゃあやめておくか? 俺の話も」
「いや、聞かせろ」
 即答し、アーサーは小さくなった焚き火の中に、細く新しい木の枝を放り込む。さんざん打ちつけた拳が、ようやく鈍い痛みを放って頬の皮膚を引きつらせた。
「……どうせ、一生かかっても同じことだ」
 違いない、とクロノアが小声で同意し、次いで長く息を吐き出す音がする。
「――俺の剣」
「……ああ、すまない」
 その言葉にようやく、アーサーは自分がクロノアの剣を、話では父親がくれたという剣を無造作に置いていたことに気付いた。
 クロノアは無事な左腕でそれを受け取り、鞘に収める。怪我をしていても、発熱していても、流れるような動作だった。その動きだけでよほどの訓練を積んできたのだと察せられるほどに。
「この剣の誓言は――魔法使いだった親父が書いたもんだ。親父も、銀髪だったよ。目は茶色かったけどな」
 懐かしむような視線を剣に寄せて、クロノアはそれを抱きかかえるように鍔に手を乗せる。平凡極まりない作りの剣でも、彼にとっては何物にも代えがたい宝なのだろう。アーサーはそんな形見めいたものすら与えられる余裕がなかった。ほんの少し、嫉妬まじりの羨望が胸を突く。
「――さっきも言った通り俺の名前はヴァレッテ・フォンダイク・スペンサー。スペンサー公爵家の本家末弟だ。生まれはそこで間違いない。……血の繋がった兄が二人、その内の一人はスペンサー公爵だ」
「正真正銘のお貴族様か」
「ああ……お前の大嫌いな、な」
 無理に吊り上げたような口唇は、一抹の寂寥感を乗せていた。アーサーは、視線で話の続きを促す。
「俺も、嫌いだったよ。貴族連中なんてな。――俺が育ったのは、魔法使いの一座だ。旅から旅への渡り鳥、貴族連中なんて最も関係ない所にいる奴らだと思ってた」
「公爵家の生まれのくせに、旅芸人に混じっていたのか?」
 通常ならばありえない。貴族は一般庶民とは隔たった世界で暮らしている。例え同じ町、下手をすれば使用人として同じ建物の中に住んでいても、庶民と貴族は顔を合わせることの方が稀だ。
 ましてや旅芸人のような、いつ命の危険にさらされるか分からないその日暮らしの者たちの中に王国の次代を担う公爵家の末弟が――年代的に考えて当時は末子だったのだろうが――いるのは不自然を通り越して変だ。
「……王宮は、二百年前から独自に魔法使いを内部にこっそり抱えこんでる。自分たちの手駒として利用するための、追い込んだ里とはまた別の奴らだ。その中には、お前みたいに直接世界に影響を与える呪文を得意とする奴もいるが、占いや預言を主にする奴もいる」
 それは、アーサーがいた神院でも同じだった。
 アーサーは世界そのものに直接働きかける魔法を得意としていたが、仲間内ではアーサーと同じように呪文を手順通り唱えても何も発動せず、その代わりに未来を視ることが得意な仲間がいた。
 アーサーは占いや預言といった未来視の分野が極めて不得意だったが、一応理解はしていたので頷く。
「公爵ってのは、知っての通り王家の血筋を引く人間だけに与えられる爵位だ。王家とそれに連なる家では――特に、王家の血が濃い家の連中は、魔法使いの占いを受ける。魔法使いは元々あらゆる階級層に存在した。だから、その血を引いている以上王族にも魔法使いが生まれる可能性がある。魔法使いが魔法使いに成り得るには、その血と訓練が必要だ。血を引かない連中が訓練を受けてもなれないし、血を引いてる奴が訓練なしに魔法使いになることもできねえ。だから、王家は選別するんだ。生まれてくる子が魔法使いかどうか」
「魔法使いかどうか? そんなことが分かるのか?」
 今までアーサーが聞いたことがない種類の魔法だ。眉をひそめて尋ねると、クロノアは疲れたように笑った。
「王家の連中は、魔法使いに余計な知識を植え付けないように教える魔法を選別した。お前、こういう方法は知らねえんだろ?」
 そう言って、クロノアは刀に刻まれた誓言を指す。
「こうやって媒体に誓言を刻み付けるとある程度儀式を省略できる。そういう方法をあえてお前らに伏せて、都合のいい道具に仕立てあげようとしたんだが――話が逸れたな。王宮に飼われた魔法使いが、まだ母親の腹の中にいた俺に出した預言は、『不明』だった」
「……不明?」
 占いは不得手だが、それでもやったことくらいはある。不得手なアーサーですら吉兆か凶兆かくらいは判断できた。曖昧で分かりにくい占いもあるが、不明というのはいささか妙だった。
「どうしてそんなことが……」
「正確にはおかしい、ってことだ。俺は魔法の力はあるが、使えない。そういう意味で、『不明』だったんだ。だが、そんな細かいことまで占いで分かるわけがないからな。生まれてきたとき、スペンサー公爵は悩んだそうだ」
 魔法の力は持っているが、使えない。一体どういうことか、アーサーは尋ねようとした口を閉じた。それは、今から本人が語るだろう。
 クロノアの瞳は、何の情景を思い出したか、凄惨な色を浮かべていた。
「――相当に迷ったらしい。殺すかどうか。それを止めたのは、俺の母親だった」
「公爵夫人が?」
「そうだ。けど、お前が思うような慈愛に満ちた美談じゃねえぞ。産みの母親も公爵家出身でな。ウィルフォード公爵家だ。知ってるか?」
「ああ」
 スペンサー公爵家には及ばないが、名家の一つだ。確か、アーサーが昔住んでいた村の近くに所領があった記憶がある。その血筋を辿れば、サルサードの王家につながっている公爵家だった。
「高貴なウィルフォードの血がそんな風に消されるのは耐えられない。そう夫に――公爵に強く訴えたらしくてな。実家の後押しもあって、とられた方法がこれだ」
 そこに、実の子供を救いたいという思いはない。ただ、己の高貴な血を絶やさないための道具として扱い、それが壊れるのは困るという理念だけしかない。
 絶句したアーサーに気付いているのかどうなのか、クロノアは視線を落とし、自分の剣を見る。
「生まれた子を野に放つ。天運に任せ、もし『魔法狩り』が行われるまでに死ななければ引き取り、死んだならばそれまで。――ふざけてるだろ」
 本当に自分のことを語っているのかと問い質したくなるような、軽い口調だった。だが、額面通りに受け取るほど、アーサーは若くはない。
 陰惨な、血の争い。そこに個人の温かな情はない。存在しているのは、目を覆いたくなるような利権と覇権の争いだけだ。アーサーは、やっとの思いで声を絞り出す。
「ああ――ふざけているな」
「それで、王家子飼いの傭兵だった男に、俺の身柄を預けた。神殿騎士団傭兵部隊、レオン・アレハンドラ。俺が父親と呼んだ男だ」
 クロノアは、そう言って静かに目を閉じた。傷が疼くのかもしれない。
 狼が、心配そうに鳴いた。微笑んで、クロノアはその頭に手を置く。
「悪いな、心配かけさせて」
 苦しそうな息を吐いたのは一度、再び顔をあげたときは既にいつもの顔に戻っていた。
「――親父は、いい傭兵で、いい魔法使いだった。魔法の力が使えない俺に、使えるようにこの剣をくれた」
「その剣は一体、どんなものなんだ?」
 あのハンフリーという男が放った魔法を、一瞬で消し去った。
 あれは、クロノアの力なのか、それともこの剣なのか。そう口に出すと、クロノアは笑った。
「両方だ。この剣は、俺の魔法の力で魔法を消す。消すというよりは――相殺と言った方が正しいな。俺の力が途切れればそこで終わりだ」
 クロノアは、懐かしむようにその刃を撫でた。
「親父は、察していた。俺が公爵家に戻されるときが来れば、自分は用済みとして殺されるとな。知っていながら、俺に復讐しろとは言わなかった。生まれたときから俺を育ててるんだから、それぐらい楽に教え込めただろうにな」
 表情は笑っているくせに、その目はどこか寂しげだった。
「……お前は、知ったとき考えなかったのか。復讐を」
 アーサーの問いに、クロノアは笑った。乾いた、熱を孕んだ笑いだった。
「当たり前だろう。あいつらは目の前で育ての親を殺された俺に、ぬけぬけと『よく生き残ったな、さればお前も公爵家の末席を汚す身となれ』と言いやがった。罪悪感も、羞恥心も、何もない涼しい顔でな。何かが切れた気がしたさ」
 ――私に感謝をしろ。
 何度恨んだか知れない、レイトクレルの神院長の声がアーサーの耳にこだまする。
「……では、どうして」
 今、ここにいる。よりもよって、そのクロノアの父を殺し、彼の同胞とも呼べる仲間たちを殺した連中についている。
 続きのない問いかけを、クロノアは理解して目を閉じた。
「……この剣は、親父があの日、俺にくれたものだ。七歳で。何かを予感してたのかもしれない。普通の魔法使いじゃない俺には、分からない。ただ、朝早くに起こされた。丁度、村を旅立つ日だった。まだ夜の明けない中、親父は俺にその剣を譲ると言って、お前の身を守る唯一の方法だと言って――村を出た。……その後は、悪夢だったよ」
 親しかった者の悲鳴。草の焼ける臭い。大地を濃く染める血。耳を劈く悲鳴。今でもありありと目を瞑れば思い描けてしまう、最悪の記憶。避けられなかった、最低の思い出だ。
「……ああ。そうだな」
 この男は、自分と同じ情景を見てきた。アーサーは追憶を振り払うように、痛む拳を押さえた。
 うつむき顔を歪めたアーサーとは対照的に、クロノアは上を向いて、目を開いた。
 低い土の壁しか見えないはずなのに、その闇色の瞳はもっと遠くを見つめている。
「――全てを聞かされたときは呆然とした。何で、親父がこんなことのために殺されなきゃいけなかったのか。ふざけるな。そんなくだらないことのために、親父は殺されなきゃいけなかったのか。何が公爵家のためだ、何が王家のためだ、何が国のためだ――ふざけるな」
 それはそのまま、アーサーの気持ちだった。
 クロノアの瞳は、そのときを思い返して苦々しく歪んでいる。
「だから、七歳のときに誓った。このくだらない目論見も、このくだらない王国も、それに従事する公爵家も――全て、壊してやる」
 力が入ったその言葉に、しかしアーサーはクロノアの方を見ずに訊く。
「……しかし、お前は、そうはしなかった。何故だ」
「しようとしたさ。これ以上ないほど努力したんだけどな。――単に、失敗したんだよ」
 自嘲するような言葉は、確かな寂寥感と、諦念を含んだ響きだった。  
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