翡翠の騎士たち
34
「そう言われましても――私には分かりません」
アーサーは同じ銀色の髪を持つ青年を見て、苦い表情で言った。
クロノアの行き先を教えろ、と命令口調で言われた直後のことだ。
城の外からか、梟が鳴く音が聞こえる。その音を背に、竜騎士は眉を上げて薄く笑った。
「隠しているのか?」
「まさか。山の中ではぐれてしまったからです」
意図的にはぐれたのだ、嘘ではない。
心の中で言い訳のように重ね、アーサーは不思議な圧力を持った藍色の瞳から目を逸らした。
居心地の悪い沈黙が続いた後、不意にラトレルが口を開いた。
「コーネリアス。席を外せ」
コーネリアスは驚いたように目を見開いたが、逆らわずに笑顔を浮かべて一礼した。
「それでは、男爵殿と今後のことを相談して参ります」
アーサーの方を見もせずに出て行ったのは、先ほどのことを根に持っていたからか、それとも疎外感を味わった当て付けなのか。
人払いをしてどうする気だろう。
警戒心をもたげさせたアーサーに、ラトレルは意外な行動をとった。
おもむろに頭の後ろに手を伸ばすと、くくっている眼帯の紐を取り外したのだ。
何の意図かと訝る気持ちは、その眼帯の下から現れた目による驚きで押し流された。
――紅い。
血をそのまま凝縮させたような、そんな瞳。
普通の人間にはまずないその目の色に、アーサーは魅入られたように動けなかった。
クロノアたちとこの城を抜け出そうとした時にも一度見ているはずだが、月光の下とは印象が全く違う。
その紅を気持ち悪い、とは思わない。ただ、驚いた。次いで、何故眼帯を取り去ったのかを疑問に思った。
竜騎士は左右で色の違う目を細める。何かを探るように、何かを期待するように。
――あいつは未だに二十歳にもなってないはずだ。
クロノアの言葉に従えば、自分よりも数歳以上年下になるはずだ。
だが、クロノアと互角に戦っていた時といい、マークドの大貴族に対する態度といい、少年らしさをまだ残したような笑顔は、今までアーサーが描いていた人物像とは異なる。
「合格だ」
笑みの余韻を含んだ声のままラトレルが言い、アーサーは首を傾げる。
「合格……?」
「ここで私の目を見て気味悪がる連中もいるからな。もしそんな態度を取るようなら誘うのはやめておこうと思っていた」
「誘う?」
予想外の単語に眉をひそめたアーサーに、隣国の騎士は笑った。
「あの男が簡単に行き先を教えるはずもないからな。そこは単なる確認だ」
どうやら、クロノアのことは誤魔化せたようだ。
もっとも、既に助けが来ている可能性もある。アーサーがあの洞穴に案内させられたところでもぬけの殻かもしれない。
だが、不確定要素がある以上迂闊に行動はできない。
それに、誘うとは、まさか。
アーサーの心を読んだように、ラトレルは言い放った。
「お前はこの国が憎くはないか」
アーサーは、自分の顔から表情が一切掻き消えるのが分かった。
神院にいた時、受けさせられた訓練の一つだった。
依頼主には国を握る貴族の連中もいる、それらに対して失礼な態度を取ることは許されない。
何も顔に出すな、何も口に出すな、何も考えるな。
道具に、表情は必要ない。
しかし、そんなアーサーを見たラトレルは唇に弧を描いた。
「当たりだろう?」
「私は……」
「家族を殺され、居場所を奪われ、人としての心を奪われ、それでも復讐を考えないと?」
アーサーは思わず目を逸らした。
考えたこともないと言えば嘘になった。
復讐するにはあまりに巨大すぎる相手に、ただ膝を折るしかない日を呪ったことが何度あっただろう。
アーサーは、相手が隣国の貴族というのも半ば忘れて、思わず口に出していた。
「あなたは――あなたも魔法使いだと、あの男から聞きました」
「そうだ。お前と同じく、虐げられてきた人間だ。ただほんの少し常人には見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる、ただその程度でな」
――お前たちは神を信じるくせに魔法のことなんて信じもしない。
宿屋でクロノアに向かって放った言葉を思い出し、アーサーは天井を仰いだ。
あの時の自分はクロノアがどんな人間かも知らず、何と無責任な発言をしていたことか。
「魔法狩りが意図的に行われたことは知っているな。――クラナリアでは村や町という籠に追いやって半分放し飼いにしていたらしいが、私たちの国は違った。生まれた時から完全に飼い殺しが決定していた」
凄絶な色が、ラトレルの目に浮かぶ。
「どういう意味です……?」
「お前ならどうする? お前が、魔法使いたちを完全に飼い殺しにすることを目的とする貴族だったとしたら」
試されているのだろうか。
謀反に加担する気はさらさらないが、下手な受け答えをして睨まれるのもまずい。彼の気分一つで、アーサーの命など軽く飛んでしまうだろう。
しかし、思いつかない。
完全な籠。自分たちですら放し飼いというような状況。飼い殺し。貴族の考え。
単語が頭を飛び交う中で、ふとアーサーはラトレルへの違和感を覚えた。
飼い殺しにしているはずの貴族の立場に、ラトレルは立っている。
――あいつは小身貴族の出からここまで這い上がってきた。
「あなたは……貴族なのですか」
「ああ」
事実確認にも聞こえるその応答に、アーサーは推測を確信に変えて重く息を吐き出した。
「――それがあなたの檻ですか」
小身貴族として縛り続ける。
クラナリアが見張りを置きわざと追い込んだ籠の中で血が濃くなるのを観測していたのとは対照的に、マークドは徹底的な管理を強いたのだ。
貴族とはいえ、全員が安定した生活を保証されているわけではない。領地も与えず、明日の生活にも困るような状況に置き、魔法使いの仕事をさせることで収入を得させていたとしたら。
血の濃さの調整も容易かっただろう。貴族は恋愛で結ばれない。ほぼ全員といっていいほど政略によって結婚する。
そして、貴族には召使いが必要だ。召使いが全員、国の手の者だったとしたならば。
「あの男が気に入るわけだ」
アーサーの思考に遠まわしな肯定をしながら、喉奥でジャック・ラトレルは笑った。
色の違う左右の目には、心底面白がるような光が踊っている。
敵の国でこれから謀反を起こそうという癖に、こういう会話を楽しんでいるらしい。それは純粋な貴族とはまた違った、繰り言を楽しむ表情だった。
「頭の回転が早いな」
そういう風に褒められたのは、村にいた時以来だ。自然と苦笑が浮かぶ。
「そう言われたのは久方振りです」
「見る目のない御仁が多かったと見える」
「……この間、彼にもそう言われましたよ」
ふと、クロノアとこの男の接点に興味が湧いた。同時に、ろくな出会いではないのだろうと想像がついた。
ラトレルは、アーサーの顔をしばらく見ていたが、軽く首を傾けて問う。
「それで、どうする?」
謀反の誘いにしては軽い口調だった。どちらでも構わないというような空気さえ漂っていて、拍子抜けしそうになる。
「どうする……と言われましても。私には何もできません。この国では、特に私のいた神院では、魔法使いは仕事以外何も出来ないようにされていましたから」
「まあ、そうだろうな。野良仕事ができるようには見えない」
アーサーの体の細さを揶揄しているのだろう。
「事実、鋤鍬を持ったことは久しくありませんから」
村にいた時は家の手伝いでたまに野良仕事もやらされた。村では富裕層とはいえ、やはり自分の畑くらい耕さなければいけなかった生活だった。
見世物として旅芸人に引き取られてからは、ほとんど何もしなかった。思えばあの二年間ですっかり鈍ったようなものだ。
兵としてはおろか、後方で雑事をするにも不適当な人材だ。
力量を充分に自覚しているアーサーは、一体何の目論見があってジャック・ラトレルはこんな自分を謀反に加担させようとしているのか気になった。
「私を引き入れても特なことなど何一つありはしないと思いますが、何故……」
考えてみても答えはでない。
思い切って単刀直入に尋ねたアーサーに、ラトレルは意味深長な口角の上げ方をした。
「魔法使いではないがな。ある男がいた。マークドの話だ。何の変哲もない、どこにでもいるような男だった」
急に話の方向が飛んだ。
何を言いたいのかと、アーサーは黙って竜騎士の話に耳を傾ける。
「その男は先祖伝来の土地を守って生きていた。だが、ある日騙されて借金を負わされ、土地を奪われた。一家は離散、男は奴隷にされ、若い女は遊郭に売られ、それでも足りないと洗いざらい持って行かれた。まあ、最初に騙されたその男が馬鹿だと言えなくもないがな」
意図が掴めず、アーサーは黙したまま無言で先を促した。
「その男自身も身分を奴隷に落とし、それでも何年も執念深く機会を待ち続けた。二十年後、そいつはようやく刃物を持ち、自分を今の境遇に落とした人間に突き立てた」
彼は唇を歪め、アーサーを見据えて言葉を吐いた。
「お前は、その男程復讐したいという気持ちがないな」
目を見開き、アーサーは反駁しようとする。
自分は恨んでいる。国も、魔法使いを蔑んできた人間たちも。
息を吸い込んで言葉を吐き出そうとしたアーサーを掌で押しとどめ、ラトレルは薄く笑った。
「お前は国や王家を恨んでいるが、前ほど恨んではいない。何故なら、あの男に出会ったからだ。そうだろう?」
違う。そう返そうとして、アーサーは動かない舌を自覚した。
嘘を言うには、正鵠を射ている台詞だった。
クロノアと出会わなければ、まず間違いなくアーサーはこの謀反の誘いに、自分に何ができるかを考える前に頷いていただろう。
「真実を知ると、気が楽になるな。それがいいものであれ、悪しきものであれ。お前の中に今まであった疑問が解消されたことで、張り詰めていたものが切れたんじゃないか」
――お前はあの男を知らない、芝居をした所で見抜かれる。
クロノアの叱責が間近で聞こえるようだった。
胸中を的確に読み、一番嫌な方法で当ててくる。
隠しているはずの表情の仮面を、手で触れることすらせずあっさりと剥ぎ取ってくる。
滑稽なまでに皮肉な例えが思い浮かび、アーサーは静かに拳を握る力を強めた。
――まるで、魔法使いのようだ。
「お前が反旗を翻すのに積極的ではない理由は一つ。あの男に影響されたから。」
じっとりと汗が背中に滲む。
相手に乗せられてはいけないと思えば思うほど、泥裡の中へ沈み込んでいくような気がした。
「無理もない。あいつはそういう騙しにかけては天才的だ。俺も一度騙された口だからな。全てを語らずに、相手に自分を分からせた気にならせる」
騙す、という部分に反応して、妙に子供じみた感慨が沸き起こった。
騙されるほど不甲斐なくはないという思いと、あの男が自分を騙しているわけがないという根拠のない思い。
これまで通り表には出さなかったつもりだがラトレルには読み取れたのだろう、目を満足気に細める。
この嫌な感じの笑みには、見覚えがある。
神院長が、アーサーたちを動かす時に浮かべていたものだ。
「騙されていないと思うなら、教えてやろう。翡翠堂というものを知っているか?」
急に出てきた耳慣れない単語に、眉が動いた。
堂、というからには何かを祀る所だろう。神院に関係があるのだろうか。それにしては、聞いたことがないが。
アーサーが胸中でどう考えているかを読んでいる目をしながら、ジャックは言った。
「翡翠堂。クラナリアの王都のどこかにあるという神を祀った堂だ。何の神が祀られているのかは知らないが、まあ、順当に言ってワルターかユレタか、そのあたりだろう。肝心なのは、堂そのものよりも、そこに出入りすることのできる人間だ」
ラトレルの話しぶりからしてクロノアがその堂を訪れているのは間違いなさそうだが、まだ話が見えない。
「クラナリアの表向きの方針を決めるのは王家の人間と、それに連なる貴族たちだが――裏向きの方針を決めるのはその堂の連中だ」
「……彼は公爵家の末弟です。おかしくもなんともないでしょう」
当たり障りない受け答えをしたつもりだった。
しかし、それすらもこの男の罠だったのかもしれない。
「その堂に集う人間は、どうやって選ばれるか知っているか」
「私に分かるはずがありません」
これ以上何か口にしてはラトレルの思う壺なのではないか。
そんな予感に襲われて明言を避けるアーサーに、ラトレルはおどけた表情をしてみせる。
「警戒するな。単に訊いているだけだ。深く考えず答えてくれ」
額面通りに受け取ると痛い目に合う。
だが、答えなければ不機嫌になるかもしれない。慎重に口を開いた。
「国の裏側を担当するというのなら、まずは頭の良さが必要かと」
「そうだな。それで?」
「……それ以外に私に推測できることはありません」
頑なな態度に、ラトレルは肩をすくめた。
「国の裏事情に精通するということは、王家にとって甚大な借りを作ることになる。それだけ自分たちの弱みを知られるということになるからな。従って、王家も弱みを握っていなければならない。それも、漏れれば即座に死刑になるくらいの、大罪をな」
クロノアの弱みになりそうなものといえば、特殊な魔法の力を持っていることだろうか。だが、打ち消すだけでは大した弱点にならない。証明するために魔法を使ったのでは逆効果だろう。
先代の王を暗殺し損なったことは、許した本人がいない今問題になりそうもない。
「あの男の罪を教えてやろうか。これは翡翠堂にいた他の者から聞いた間違いない事実だ」
「……何なのですか?」
尋ねざるをえない雰囲気がその場にはあった。
気にもなった。
少し間を空けて、ジャック・ラトレルは芝居がかった仕草でアーサーを見据え、口を開いた。
「王の暗殺だ」
予期していなかった単語に、一拍間が空いた。
「……え?」
次いで、そんな呆けた返事をしてしまう。
そんな馬鹿な。
思わず口をついて出かけた言葉を、アーサーはどうにか喉でとどめた。
それは失敗したはずだ。本人から聞いた、嘘を言っている様子もなかった。しかし、ラトレルの様子も法螺を吹いているようには見えない。
「それは……どういう意味ですか。――この国の王を暗殺したと? 彼が?」
あの男が嘘をついたのか、この竜騎士が虚言を呈しているのか――あるいはそう思い込んでいるのか。
思い込んでいるなら、そのままにしておいた方がいいのか。
打算と感情の間で思考がとりとめもなく飛んでいく。
「先代の王オッドワルト。その死因は表向き病死となっている。だが、本当は刃物に刺されて死んだ。刺したのは、もちろん」
アーサーはその先を遮って声をあげた。
「馬鹿な。証拠はあるんですか」
その言語に心底おかしそうにラトレルは肩を揺すった。
「マークドの竜騎士が、クラナリアのスペンサー公爵の末弟が国王の暗殺者だと言ってみろ。ひどい讒言だとそれだけで戦争の理由になる。全く、国というものは面倒くさい」
建前がなければ排除できるという自信が、台詞の裏に透けて見える。
「だが、お前に言ったことは真実だ。あの男が、先代の王オッドワルトを殺害した犯人だという事実に揺るぎはない」
だが、到底信じられない。
そんなアーサーの顔を見て、強固に主張し続けていたラトレルは矛先を変えた。
「証拠があれば信じるのか?」
「……手に入れられるのですか?」
手に入れられるはずがない、あの男がそんなものを残しておくわけがない。
しかし、意に反してラトレルはにやりと笑った。
獲物を捕らえた時の狩人の目を想起させるそれに、アーサーは本能的な悪寒を感じる。
「見たいか?」
どう答えればいいのか迷ったが、素直に心に従った。
「……できれば」
あなたに、それができるのなら。
そんな意味を含ませた言葉に、しかしラトレルは一層笑みを深くして頷く。
「ならば俺たちと共に来い。あいつがいかに嘘をつくのがうまいか、見せてやる」
「……な」
「証拠が欲しいんだろう? この乱が終結する暁には、必ずお前の目にその証拠を突きつけてやれる」
「しかし――」
それではあの男を裏切ることになる。
だが、この思いを気取られるわけにもいかない。
思案するアーサーに、ラトレルはぐっと声を低めて囁いた。
「お前の仲間は、まだ神院にいるんだろう? 彼らに、真相を教えてやりたいとは思わないのか」
感情が、理性を止める。見計らって放たれた言葉の矢は、真っ直ぐに心臓に突き刺さった。
ラトレルは、寒気がするほど優しい微笑みを、色の違う両目を細めて頬に差し上らせて立ち上がる。
「まあ、まだ疲れているだろうから今日はゆっくり休め。全ては明日からだ」
口答えすることを許さない強烈な一瞥を投げかけて、ラトレルは踵を返した。
部屋の扉が開き、閉まるまでの間、アーサーは悪夢の中にいるような心地でただその背中を見つめているしかなかった。
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