翡翠の騎士たち

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  39  

 活字が頭の中を巡る。
 アーサーは夢から醒める間ですら文字に苛まれながら、体を起こした。
 読んでいた本が音を立てて腕の隙間からこぼれ落ち、同時にまともに横にならず眠ってしまった体の関節が痛みを発した。
 呻き声をあげながら眠い目をこすり、床に落ちた本を拾い上げる。
 窓を開ければ、涼しい夜風が流れこんできた。
 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
 相も変わらず、謀反を起こした彼らがこのオリムから動く気配はない。
 こうもじっとしていると、目的が他にあるのではないかとさえ思えてくる。オリム城主を騙すくらい、あの竜騎士たちなら訳もないだろう。
 オリムの城に拘束されてから一月。その時間で多くのことを学んだ。最初の七日間は何もしていないから、正確にはそこを除外した日数だ。
 自分が今まで神院で強制的に教え込まれたことは、この半月に比べれば何とも僅かなものだと悟らされた。
 朝早く起きて庭掃除や火の番をする代わりに、アーサーはハンフリー・ゴードンの指導を受けながら文字と格闘した。
 読み取る内容は多岐に渡り、もう存在しない祭典の儀法、場所も定かでない村の歴史の走り書き、あるいはとある地域に伝わる土着の民話など様々だ。
 本に書かれた内容が、覚える毎に自分の中に知識として流れこんでいく。今の生活とはまるで無縁の学問だが、今まで自分の中にあった点と点が線になる感覚は何とも言えず楽しかった。
 あの時覚えた文句は、こういう語源から発生していたのか。この地域の習慣が残って、今の儀礼に結びついていたのか。
 とっくの昔に失くしたはずの知識欲の蓋が開き、アーサーはいつしか時間を忘れて文字と向き合うようになっていた。
 こんなことを知って、果たして自分の未来に関係はあるのか。そんなことを思ったのは学び始めた当初だけ、アーサーはゴードンが開く新たな世界の知識にのめり込んだ。
 高所に吹く風が、生温い部屋を掻き回して、熱いアーサーの頬を撫でていく。
 窓から見下ろす町並の明かりは不吉な影などどこにも感じさせず、下界に暮らす人々は謀略がこの城を覆っていることなど露程も知らない。
 店を通りに構えた機に敏い商人たちも、まさかこの城の主が隣国から密輸を行っているとは知らないだろう。
 アーサーは、ため息をついた。
 膠着状態にある現状、何も分からないまま学ばされる事柄、この大事の中でありながらそれを楽しいと思ってしまう自分、クロノアやダニエラといった面々の安否も分からないまま安穏としているしかない立場に、苛立ちの吐息が漏れる。
 ただ閉じ込められ続けていたなら、もっともどかしい想いにかられていただろう。
 自分の感情とただ向き合い続けるしかない空間で、唯一の救いが敵である男から与えられたのは皮肉という他なかった。
 母の手に撫でられているような優しい風の感触に浸りながら、明日は雨か、と微かに思った。
 こんな風が吹く時は、決まって翌日が雨だ。
 蝋燭を見張りの人間に頼まなくては、と思った時、部屋の扉が叩かれた。
「はい、開いておりますが」
 誰かは既に予想がついていたが、アーサーはあえて嫌味っぽく丁寧な返答をした。寝ようとした時にかけられる他人の声ほど癪なものはない。
 はたして、覗いたのはゴードンの顔だった。
「寝入りばなを起こしてしまったか?」
「いいや、問題ない。今寝ようとしていたところだ」
 ゴードンは苦笑すると、廊下の外を手で示した。
「散歩にいかないか」
「こんな時間にか」
 散歩というものは普通日がある内に辺りをぶらぶら歩き回るものだ。
 何を考えているんだ、と表情に出したアーサーだったが、断っても何もいいことはないかと思い直して腰を上げた。
「いいだろう」
 ゴードンがいるため、見張りもついてはこない。
 もしや密談でも企んでいるのかと思ったが、それなら部屋の中で話せばいい。
 本気で散歩に誘っているのだとしたら、随分酔狂なことだ。
 石造りの回廊を抜けて、上へ続く階段に足をかける。
 上りきれば、眺めが広がっていた。一部の人間しか見ることができない、文字通りの高みだ。しかし目の前にずらりと並んだ矢狭間は、やはりこの城が戦場になる目的で造られたのだと実感させる。
 立っていた歩哨の兵隊が、ゴードンの顔を見て一歩下がった。
「見張りの途中か」
「はっ」
「ご苦労」
「ありがとうございます。私は任務の続きがありますので」
 恐らくは叙任されたばかりなのだろう、下級騎士の服装をした若い男がきびきびとした動きで去っていく。
 年は十代後半といったところだろうか。言いつけられた仕事をこなすのに精一杯で、未来に何が起こるか考えもしていない。
「恐らく男爵の親戚だろうな」
「何故分かる」
「あの年で騎士の位を授けられ、下級騎士の装いの割には、鎧が磨かれている。房飾りなんぞをつける余裕もある。金があって、そんな贅沢をこの田舎で許されるとなると、親戚くらいしか思いつかないというだけだ」
「なるほど」
 今しがたの騎士が房飾りなどつけていたかと自問したが、夜目のせいでよく見えなかったことを思い出しただけだった。
 それからしばらく二人共口を開かず、ただ時折吹いてくる風に身を任せていた。
 本気で風に当たるためだけに、憂さ晴らしをさせるためだけにここに来たのだろうか。
 随分と伸びた前髪を嬲って、風が面白おかしくアーサーの体をくすぐっていく。
「明日は雨だな」
 先ほど自分も思ったことだったので、軽く頷くに留めた。
 会話の切り口だろうと思ったが、ゴードンはその話題に深く言及する。
「雨の前日に吹く風は、母なる歌を奏でている。君にも聞こえるか?」
 常人には聞こえない歌。
 優しい温度と、これから降る雨の種類を告げる歌。
 人間のように明瞭な声は持たないが、これは歌と表現するにふさわしい。歌うのは人だけではない。アーサーたちのような神官ならば、皆それを知っている。
「当たり前だ」
 俺は魔法使いだぞ――そう続けかけた口を噤み、アーサーは質問の真意を窺うようにゴードンを見た。
 ゴードンはアーサーではなく、眼下に光る町の煌々とした様に視線を投げかけて口を開いた。
「この町には、神院がない」
「時を告げる鐘も、城のものだな」
 古代より、時を司るのは世界を創造した二神であると決まっている。
 神の血を引くとされる王族が時を独占するのは自然なことで、鐘も本来はその支配下にある神院が鳴らすものだ。
 この城には神院がない。おかしなことだが、それが普通になっている。
 礼拝や寄付という観念は、この町の人々にはないのだろうか。
「この町、というか城はな。元々、神院の権力から逃れるために造られたものだ」
 新しい町の開拓は、人々が上からの命令を受けて行う。上へ上へとその糸を手繰っていけば、国を掌握する王に辿り着く。その構造は、何代前に遡っても変わることはない。
 国境にある城や町を造らせた王が、手飼いの者を入れない訳がない。
 王の下につく神殿が子飼いの神院を統括し、神院は民草の生活に密着して支配する。うまくできた仕組みだ。
 神院がない町を許可するような王が過去にいたのだろうか。
「この城を築いたのは、数代前のベルナール男爵だ。その頃はこの辺りは国境ではなく、ただの田舎に過ぎなかった。当時の男爵は愛国心厚く、長くを宮仕えに費やした人間でな。その褒美として、煩わしい神院の目を取り除くことを許された」
「随分と迂闊な王だな。その男自身は反逆しなくとも、子孫は違うと考えなかったのか」
 神院がないということは、王の目が届かないということだ。
 その時の男爵自身は信用できたのかもしれないが、事実何代目か後になってこの様だ。
「全くだ。おかげでこんな羽目になる」
 アーサーは嬉しくなさそうな響きに驚いた。
 心底うんざりした様子は、謀反を企む男のものに思えない。どちらかといえば、こんなことはしたくなかったとでも言いたげだ。
 問い返そうとしたアーサーを封じるようにゴードンは空を見上げて太い息を吐いた。
 人生が下りに差しかかった年齢相応の光を目に湛えて、まだ比較的若いアーサーを振り返る。
「この計画、君はどう思う」
「どう思う、とは? 俺はお前の計画を何も知らない」
「そういえばそうだったな」
 苦笑したゴードンは話を変えるかと思いきや、そのまま声を低めて続けた。
「この計画は、もともと私が立てたものではない」
「あの竜騎士か?」
「いいや。彼は単なる協力者に過ぎない――もっとも、ベイフォード卿が協力してくれたのは他に目的があるからだろうがな」
「他?」
 武器を密輸し、その結果を見届ける。そのためにジャック・ラトレルはここにいるのではないのか。
「謀反を成功させる以外に、目的があるのか?」
 隣国と停戦協定が結ばれているとはいえ、戦争はいつ起こってもおかしくはない。どちらかが隙ありと判断すれば、いとも簡単に始まるだろう。
 マークドにも魔法使いがいるが、それはそれとして、この造反が成功すれば男爵は政権の中心に据えられるだろう。
 魔法という禁忌を閉じ込めたのは両国とも同じだから、これを切り札には使えない。ただ男爵の反逆に便乗しただけでは、周囲の国から強い批判を浴びてしまう。いくら男爵に政権が移っても、クラナリア国内も承知しないだろう。
 あの竜騎士に下手なことはできないはずだ。
「まあ、こちらと第一の本懐は同じはずだがな。私たちにはさして関わり合いのない、副次的なものだ」
「何だ、それは?」
「随分と、好奇心が強くなったな」
 苦笑混じりの台詞に、続けかけた疑問と騒ぐ探究心が掻き消えた。
 ここで下手に深入りすると、文字通りアーサーの首が飛ぶ。
「そう警戒するな。欲のなくなった人間など、既に人間ではない」
 緊張したアーサーの顔を読んで、ゴードンは表情を和らげる。
 細めた目尻に皺が寄り、経験を詰んできた師が弟子を見るような、優しげな眼差しになった。
 驚いたのも束の間、アーサーがよく見る暇もなく、ゴードンは感情を殺して唇を結ぶ。
 次に息を吐いた時には、クロノアに対峙した時を思わせるひどく威圧的で暗い光が瞳に灯っていた。
「我々の叛乱は、兵力によっては行われない。交渉のみで行う。武器の密輸は、ただの口実に過ぎない。それにかこつけて、ベイフォード卿を呼ぶことが目的だった」
「何?」
「我らだけでは証人として乏しい。最悪、虚言だと言い張られてしまえばそれまでだ。だが、隣国の有力者までが調停に乗り出してきたらそうはいくまい。この状況下で彼を殺せば、確実に戦争になるのはどんな馬鹿でも分かる」
「待て」
 アーサーは思わず振り返り、衛兵たちがいないことを確かめた。
 汗が額を濡らし、冷たい熱が体を循環する。
「何故俺に言う? 俺は、言わば……」
「囚人だとでも? ベイフォード卿がそう言ったか? 私は真実、君のことを見所のある若者だと思っている。仲間に引き入れたいと願っても不思議はないだろう」
 どんな反応が正解か、全く分からない。
 息と言葉を呑み込んで、ゴードンの話を聞き続けることしかできない。
「魔法使いの存在を暴露し、諸侯に認めさせる。だが、魔法使いなどという存在は、公に存在しないことになっている。急に言ったところで向こうは認めようとはしないだろうな。では、魔法使いでなければどうだ?」
「……どういうことだ」
「魔法使いという蔑称があるから、人々は我らの力を恐れる。では言い方を変えてやればいい。そう、例えば神官――神に仕える清らかな身故、特別な力を授かったと」
 彼らが魔法使いを閉じ込めたやり口を逆手にとった戦略。
 神官という建前があれば、諸侯は信じざるをえない。抵抗もなくすんなりと受け入れるだろう。
 おまけに普通の人々の中で魔法使いに対する印象は誇張されており、本物と物語の区別もつかないはずだ。真偽を知っている者は別として、奇跡が魔法であるなどとまず疑いはしないだろう。
 ――魔法使いが大手を振って歩けるように。
 確かにその方法ならば、日の当たる場所で自由を得られるのかもしれない。
 あの竜騎士が危険を犯してまでこの国に入ってきた理由がようやく分かった。
 自分に仲間に入るよう勧めるのも、一人でも魔法使いの味方は多くいた方がいいからだ。
 筋書きはさしずめこんなところだろう。
 ゴードンが神官であると名乗り、魔法を諸侯の居並ぶ前で披露する。神の奇跡として讃えられるだろうその場面で、あの竜騎士は笑顔で祝福するに違いない。
 ――ここに神の奇跡が起こったことを喜ばしく思う。これも神のご意思だろうが、我が国にも同様の力を持った者がいることが判明した。両国にこのような奇跡が同時に現れたことは、これからも我らが親しい友人であるようにとの神の啓示であろう。
 大勢の呆然とした、あるいは御業に恐れ慄く貴族たちの前で、朗々と手を広げて演説するあの男が目に浮かぶようだ。
 男爵が何を思ってこの反逆を企んだのかは知らない。だが、ベルナール男爵が中核でないのは明らかだ。単に都合のいい隠れ蓑として利用されたに過ぎないのだろう。
 この逆乱の首魁はゴードン。尻馬に乗る形で、恐らくは自国の有利に働くように仕掛けているのがベイフォード卿。
 彼の言動から察するに、マークド皇国でも魔法使いを認めさせたい気持ちはあるのだろう。同時に、彼自身がその力を持っていると言えば地位は磐石のものになる。
 他の目的とゴードンが先ほど言っていたのはそれだろう。
 コーネリアスというあの義弟は、さらにマークド側の証言を補強するために呼ばれたと見ていいだろう。
 目前にあった矢狭間に手を置き、アーサーは傾ぎそうになる体をどうにか支えた。
 まずい。
 元々が宙に張られた綱の上を歩くような博打だったが、今そこを踏み外しかけている。ほんの少しでも対応を誤れば真っ逆さまだ。叩きつけられる先は、地獄と相場が決まっている。
 ――お前は俺のわがままに付き合って死ぬ気は毛頭ないんだろう? だったら、逃げろ。あいつらに追従したふりをしてでも何でもいい、生き延びて、逃げるんだ。
 クロノアの声が耳に蘇る。
 嘲笑と自棄が混じった笑声を発しそうになる。そんな器用に生きられるなら、クロノアを逃がそうなどと考えてはいなかった。
 それなのに迷いがじわじわと滲み出て、心の中に広がっていく。
 ――もし、堂々と何にも怯えず日の当たる場所を歩けたなら。
 魅力的な考えだと思ってしまった自分がいる。彼らがやっていることも正しいのではないかと、そちらに肩入れすれば神院の仲間たちも含めて、ただ言いなりの玩具になるだけではない人生が歩めるのではないかと、そう思ってしまう。
 同時に、ずっと渦巻いていた不審が吹き出した。
「あの男は……本当に、やったのか?」
「何を?」
 分かっているだろうに、自分の口から言わせたいらしい。
 アーサーは低い声で、信じたくない答えを吐き捨てた。
「国王の――暗殺だ」
 ゴードンはしばらく答えなかった。耳には通りすぎていく風のそよぎばかりが届く。
 じっとりと汗ばむ掌を握り締めることしばし、ゴードンが風音に紛れそうな囁きを発した。
「ベイフォード卿が説明したと思うが、翡翠堂というものは知っているか」
「ああ、この国の裏を司る機関だと」
「そう。私もその一員だった」
 語るゴードンは、夜空や町ではなく遠く離れた王宮を見ているようだった。
「翡翠堂にも秩序というものがある。あの方は本来ならば姿を現すことなく動向を決定し、神院と王室のつなぎ目となる役割を持っていた。私はその下で働く、言わば実働部隊のようなものだった」
 ダニエラが言っていたことを思い出す。
 黒幕とは人の影で糸を引き、情け容赦なく不要な駒を引きずり下ろすもの。本来ならば表に出てくる必要などないのに、そうはしなかった。
 そう述懐していた彼女は、無事だろうか。
 幾度となく思った知りようのない情報に思いを巡らせたが、ゴードンの話はまだ終わっていない。
「翡翠堂の堂守――動向を決定する者のことをこう呼ぶが、彼らには必ず何か秘密がある。そして、王室はそれを命綱として握って、万が一彼らに裏切られた時の切り札にしている」
「それはあの竜騎士から聞いた。その堂守たちが死罪になるだけの犯罪をやった署名でもあるのか?」
 まさかそんな迂闊な真似をしているはずがないというアーサーの予想を裏切って、ゴードンは深く頷いた。
「……嘘だろう?」
 目を見開いて信じられないという表情になったアーサーに、ゴードンはかぶりを振った。
「彼らは皆、翡翠堂の『裏切りの騎士』の台座に名前を自ら刻む。シドゼス神を祀った像の下にある石だ。それさえ押さえれば、翡翠堂は手を出せない。それにつながる王家もな」
 怜悧な口調で、ゴードンは訥々と疑問を塗り潰していく。
「王家には、我らを止める理由がない。男爵は表向き、何の欠点もない、それどころか領民にとても慕われている領主だ。兵を差し向ける口実を作るのは難しい。事を起こすならスペンサー公爵かディートリヒ辺境伯。しかし、この二人が迂闊に男爵を粛清すれば、国の中心に近いだけに波乱を巻き起こす」
 だが、このまま手をこまねいているとは思えない。
 国王側は何らかの形で必ず反撃の手を打ってくる。
「彼らに必要なのは準備期間だ。悠長にやっている暇はない。今の内に諸侯が反男爵派になるよう必死で根回しをしているはずだが、たった一月でどれほどのことができたものかな」
 できたという過去形の言葉は、既に目的の一部が達成したことを示している。
 この男はすぐにでも動くつもりだ。だからアーサーにもこうやって具体的なことを喋っている。
「明晩、私たちは兵を置いて王都へ向かう。丸腰の相手を攻撃するのは騎士の恥。国王とてそんな真似はできまい。共に来るか?」
 咄嗟に返答ができないアーサーに、ゴードンは笑って革袋を渡した。
「これを君に返そう。中身は改めたが、何も取ってはいない」
 アーサーが腰につけていた、囚われた時に没収されたものだった。中には小刀が入っている。武器になる以上に、ゴードンはこれがどういう意味を持つかよく分かっているだろう。
 木や石を彫刻したものに心を通わせるのは神院で教えられた技法だ。ゴードンが知らないはずがない。
 罠か、それとも心底こちらを信頼しているのか。
 掌に置かれた革袋を握ることもできず硬直するアーサーに、ゴードンは憫笑とも蔑笑ともつかない表情を投げて寄越した。
「どうした?」
「……正直、お前のことはよく分からない。信用というには、一緒にいた時間は薄い。明日共に行けば、俺が国王側に殺されない保証はない」
「そうだな。出会って日は浅い。だが、君はあの方を信頼している。時間のあるなしは問題ではないだろう。君は信じるかどうかという点に置いて行動すべきではない。君が何を成したいか、そしてそのためには何をすべきか……よく考えることだ」
 ローブの裾を翻し、ゴードンはアーサーに背を向けた。
「ああ、そうだ。見張りがいては気が散るだろう。今夜からは彼らにも休むよう言っておこう。好きなだけ、好きなように考えるがいい」
 それだけ言うと、ゴードンは振り返りもせずに去っていった。
 彼がアーサーのことを信頼していると取るには危険すぎ、罠と思うには実直すぎる声音だった。
「俺が何を成したいか……」
 思わず呟いた言葉は、湿り気を含み始めた風にさらわれた。
 このままクロノアに告げることもできる。向こうが予想していればいいが、そうでなければ国王側はかなりまずいことになる。しかしその状況は、アーサーにとって決して不都合ではない。むしろ賛同する面が大きい。
 革袋がひどく重たくなった気がして、アーサーはその手をだらりと下げた。中で小刀と削った木片が擦れる音がする。
 ――俺が、何を成したいか。
 雨がやってきそうな風が鳴る中、アーサーは一人天を仰いで立ち尽くした。  
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