雪白の花

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  118  

 高階と久保が部屋の外へ出ていった後、その場に残ったのは重苦しい陰気さだけだった。
 佐伯も言葉を選びかねて口をつぐむ中、九条は険しい顔のまま一つ息を吐いた。換気でもしたいが、空気を変えたところで雰囲気はそのままだろう。
「まだ、伺っていないことがあるはずです」
「ああ。いくつか説明する前に、久保が来てしまったからな」
「……重ねてお尋ねしますが、久保王司は本当に、何も知らないのですね?」
「その通りだ。何か、気にかかる点でもあったかね?」
 九条は恐らく高階も感じていたであろう懸念を口にした。
「普段の久保王司らしくないと思いまして。私が知っている久保王司は、理不尽で理由もない上からの命令に、即座に従う人間ではないはずです。どちらかといえば、むしろ牧野側に同情して攻撃の手を緩めそうなものです。それとも、誰か人質でもとったのですか」
 佐伯がさらに増していく暴風の気配に冷や汗を滲ませるが、九条の鋭く冷えた質問にも、総合統括長は顔色一つ変えなかった。
「彼には身寄りがない。部下でも抑止力にはならない……のは、見た通りだろう。家族や、それ同然の人間はとっくの昔に死んでいる。今回の彼は、ただ単に命令に従っただけだ。先ほど言った通り、彼には何も伝えてはいない」
 不審さを、総合統括長自身は感じていないようだった。
 だが――。
 九条はなるべく表情を変えないように気をつけながら、総合統括長に対する評価を更新する。
 確かにこの男の秘密保持と、組織運営、今までこの〈交錯する道〉を守ってきた手腕は確かなものだ。善悪を考えなければ、手腕が確かで有能なのは、今まで側にいた九条がよく知っている。
 しかし、反面自分の弟ですら駒として見ていたこと、その造反に気づかなかったことを考えると、感情面への洞察は深くないようだ。久保への彼の主観も鵜呑みにしない方がいいだろう。かといって、不安や不満があるからといって九条も命令に逆らうことはできない。
「九条、君は高階のように、不満を並べ立てたりはしないのか」
「ご冗談を。私の代わりに誰かが死ぬのはごめんです」
 九条はかろうじて微笑んでみせ、まだ床に転がったままの、霧積晏の右腕であったものを見下ろした。胃液が逆流しそうになる感覚が、久々に舌の裏に滲む。
 九条の場合は、婚約者である財部つぐみか。郷里の家族か。それとも他の部下か。いずれにせよ、大切な何かが失われてからでは遅い。今のところ、総合統括長に異を唱えることが許されない立場に九条はいた。
 誰が枷にされているのかも突き止めなければならないが、その前に聞いておかなければならないことがあった。
「私のことは良いとして――佐伯のことも、さておきましょう。高階王司にとった行動も理解はできます。私が一番解せないのは、ここに樋室大河がいること、そして先ほどあなたは彼のことを『倉海』と呼んだ、この二点です。……彼は、あなたにとっての何なのでしょう?」
「物分かりがよくて助かる、九条」
「伊達にあなたの側近を務めてきたわけではありませんから」
 さすがに九条の声音は沈んだ。
 この上司の言い分を信じていたし、この組織の建前も信じていた。命をかけた同僚も命を失った人間もたくさん見てきた九条からすれば、裏切られたという感は否めず、どちらかと言えば牧野たちよりも総合統括長に手向かいたくなってしまう事が悔しかった。
「彼は……そうだな、いわばジョーカーと言ったところか。彼本人がどうこう、というよりは、彼の血筋の問題だが」
「血筋?」
「彼の父親は倉海陽一郎。牧野と京屋の師であり、私の友人であった男だ」
 佐伯の口が、空気を求めるように薄く開きかけて、すぐに閉じた。
 今言ったことが本当なら、と九条は考える。
 牧野や京屋の発言、総合統括長の言葉と照らし合わせると、樋室大河の父親は目の前にいる男に見殺しにされたことになる。
 大河がどう感じているのかと窺い見れば、相変わらず苛立ちで柔和な顔を乱し、憎さというよりは腹立たしさともどかしさを感じている様子だった。総合統括長の話を、聞き流しているという以上のものではない。
 話している総合統括長の方も、大河を気に留めはしなかった。
 この二人が感情の上ではどういった関係性なのか、樋室大河、今は倉海と呼ばれている彼が腹の底で何を思っているのか、全く掴めない。
「どこまで説明したのだったか……そう、〈万軍〉は遺産の護り手であるという話だな。〈万軍〉内の対立を防ぐためにアバドン及びアバドン機関は生まれた。しかし、さらにもう一つ別の目的もある。技術保持だ。あえてこういう言い方をすれば、我々は今現在の時点から見れば超科学的と言ってもいいし、超魔術的と言ってもいい、そういった技術を持っている。
〈万軍〉の創設者たちは、それを危惧した。創設者たちは本当にあの世界と技術を『守りたかっただけ』だからだ。強すぎる力は得てして不幸を生む。だから彼らはその存在をできるだけ秘匿しようと考えた。存在そのものは隠し仰せないとしても、存在の意義は隠し通そうと思ったのだ。
 ある一定の犠牲――つまり我々のような人間たちはさておき、できるだけ人間を巻き込まずに守るため、己の組織に枷をかけるシステムを作った。それが三竦みだ」
 総合統括長が淡々と続ける合間に挟んだ一呼吸で、佐伯がようやく息を吹き返した。
「お待ちください。できるだけ人間を巻き込まないというのが方針なら、何故こんなにアバドンは増えているのでしょう? 先程から伺っていると、この、我々の能力は……人工的なものだと思われます。ならば、管理ができるはずでは?」
「その通りだ。それについては、これから話す、システムについて関わってくる。私としては、君たちにそのシステムの一端を担ってもらいたい」


「人工的に作っておいて、管理できないとは。随分と甘いというか、杜撰というか」
 友行の言葉に、ヘレンは頷いた。
 彼女自身、そう思う。
「でもあなたは、人生でも、ビジネスでもいいけれど、突拍子もない、予想外のことが起こったことは、ない? 私はあるわ。〈万軍〉の創始者たちにとっても予想外の、その出来事が起こった。――エレメントと呼ばれる『超能力者』たちの出現よ」
「……いや、待ってくれ。あなたの説明では、確かエレメントと、エネルゲイアと、えー、ゼロだったかな、それらをひっくるめてアバドンと呼ぶのでは?」
「そうよ。それらは同種……というのが私たちの間での常識だったわ。エネルゲイアはこの世界では能力を使えないし、ゼロには力そのものがない。その代わりといってはなんだけれど、身体能力や治癒力が高い。エレメントはどちらの世界でも能力を使える。そういう違いはあるけれど、私たちは『アバドン』という、一種の種族であると思っていたわ」
「実際は違った?」
「ええ。逆だったのよ。エレメントがいたから、ゼロとエネルゲイアが生み出された。当初〈万軍〉は、もっと違う能力を、錬金術から派生した力を、何も知らない人たちに与えていた」
「ちょっと待ってくれ、そこも疑問なんだが、技術保存のために何故わざわざ力を他人に分け与える必要があるんだ? 技術の継承なら、身内で知識を伝えれば充分だろう」
 平和でもっともな意見に、ヘレンは何度目か、心臓のざわめきを感じた。
「モルモットが必要だったの。何も知らずに、技術を磨くことに協力してくれるモルモットが。全ての知識が、全て今まで〈万軍〉に受け継がれたわけではないわ。時代や人を経る毎に廃れていった知識もたくさんある。それらを取り戻すため、あるいはなくなった知識の穴を埋めるため。研究するためには、たくさんの実践が必要でしょう。錬金術師の中には、命の危機に迫られて新しい何かを生み出した人間もいたことでしょうね。そうやって、戦闘用だけではないけれど、〈万軍〉の技術は発展していった」
 逸れた話題を戻すため、ヘレンは前髪を払って表情を整える。
「ともかく、最初は錬金術師たちの想定の範囲内におさまっていた。自分が表向きは『悪役』を演じて、〈交錯する道〉のような代理機関を影で操る。代理機関はトップ付近しか、操られていることを知らない。そうしてうまくいっていたものが、破綻を迎えた」
「それがさっき言った超能力者の出現、か」
「そう。あなたの娘にも関わる重要な話よ」
 ヘレンは言葉を切ると、正三角形を一つ、頂点を重ねて逆三角形を一つ描いた図を見せる。それは、簡略化した砂時計の図、あるいは8という数字の角ばった描き方のようでもあった。彼女は上の逆三角形を黒く塗り潰す。
「これが、そのイレギュラーな事態を受けて創りだされたシステム。重なった点が『祭壇』よ。あなたの娘がこの役割を担っている」
「鈴が?」
 友行の目に、影がちらついた。何ヶ月も会っていない娘への思いが、父親の目を憂鬱と哀情に曇らせる。
「これは二重の三竦み。今までは〈万軍〉上層部のみで決めていた事を、代理機関にも背負わせるようになった。今までは与えなかった魔術的知識、科学的知識、それらを惜しみなく分け与えた。しかし、新たに得た力で反逆をされても困る。だから、枷をつけた。これによって、代理機関を抑えこむと同時に、〈万軍〉内部でも反抗する者が少なくなるように……そういった、システムを」
 黒い逆三角を指しながら〈万軍〉、白い正三角形を代理機関、とヘレンは口にする。
「この三角形の点は、役割だと思ってもらいたい。それぞれ『王』と『呪縛者』と、さっきも言ったこの重なった点が『祭壇』。『王』は『呪縛者』を、『呪縛者』は『祭壇』を、『祭壇』は『王』を抑制する力を持っている」
「三権分立か。日本でも……あ、いや、続けてくれ」
 関係のない話を言いかけたのに気づいて、友行はかぶりを振った。
 そもそも相手はアメリカ人なのだし、どれほど日本に詳しいか分からない。例え話を切り出してみたところで、理解してくれるか定かではなかった。
「ありがとう。では続けるわ。要するに抑制する力、というのは生殺与奪を握る力、と考えてくれて構わないわ。あなたが深く興味を持つのは娘さんのところだけでしょうから、その力が代理機関内でどう変遷したかという歴史は割愛するわ。
 結果として、システム上では平等であっても『祭壇』の力は『王』に押さえつけられる形となった。そして、『王』がこの中では圧倒的な力を持つことになったのよ」
「『呪縛者』、に対してではなく?」
「そう、『呪縛者』には元々絶対的な力を持つ『王』よ。それが『祭壇』に対しても発揮されたら……分かるでしょう」
「……娘は、鈴は、そういう人物に、命を握られているのか」
「安心して。あなたの娘には、今から話すけれど、加護が備わっているの。『王』といえども、直接彼女をどうこうするのは不可能。『呪縛者』が、その力を行使しなければ」
 抑えに抑えた友行の声音に、ヘレンは慰めの言葉をかけながらも、釘を刺すのは忘れなかった。
 最悪の場合、進藤烈がいようがいまいが、彼女が父親の目の届かないところで死んでしまうこともありえる。実際、どう転ぶか分からない今の不安定な状況下では、そちらの可能性が高いようにヘレンには思えた。
「……そして、何故『王』は『祭壇』を支配したがったのか、各々が分担する能力について話をするわ」


「最初からこの日本が、〈交錯する道〉が、代理機関だったわけではない。時代と共に、戦勝国、敗戦国、中立国、情勢を鑑みて様々な国に代理機関は置かれた。この機関が〈万軍〉の代理機関としての役割を果たすようになったのは、先の大戦以降だな。その時機関名も改称されている。代理機関の役割は、エレメントを管理し、逃がさないこと」
 佐伯が善悪の判断をつけかねて、膝を揃えたまま聞き入る中、九条は嫌な予感に眉をひそめた。
 嫌な想像が実を結びつつあるのだが、それを口にするのは憚られた。
「〈万軍〉は長い時間をかけて一つの方法を編み出した。新たに出現した超能力者たちの力を自分たちの魔術・超科学と組み合わせ、後世では同一となるようにした。だからある意味、お前たちの今の認識は正しい。エレメントも、魔術も、〈万軍〉も、科学も、全ては同じものだ」
「さながら、獣の交配といったところですか」
 違う血統の獣をかけあわせ、遺伝子を人為的に操作する。そうすれば、できあがった品種が、後世では既存する動物の一種として数えられるようになる。
 稲や植物に例えることもできたのに、獣という生臭い言葉を使ったことが、九条の心情を端的に表わしていた。
 目の前の鉄面皮は、そのような皮肉ごときで動きそうもない。
「そうだな。しかし、結果として旧勢力と新勢力との対抗は防ぐことができた。そして、それを防ぎ続けるために、手段が編み出された」
「異人種」
 断じる九条に、佐伯は目を見張り、総合統括長はほんの少しだけ口角を上げた。
「その通り。私が説明せずとも、もう大体の見当はついているのではないか?」
「ご冗談を。見当がついていれば、こうやってあなたと話してなどおりません」
「事前情報が少なかったのだから、悔いることはないだろうに」
 事前に本性を見抜けなかった九条を見下しているようにも聞こえ、眉間の皺は深くなる。
 ……いかん、これじゃ進藤だ。
 九条は無理やり苦しい笑みで、統括長を見返した。
「〈万軍〉にもアバドンにも第三の敵を作ることでさらに撹乱した。異人種などという第三勢力は、最初から存在していない。彼らは――我らは、こうやって事態を複雑化し、全てを管理下に置くことで、最悪の事態を未然に防ぎ続けた。さらに、もう一つ。〈万軍〉とお互いが裏切らないための制約――とでも言おうか。それが必要だった。先ほど説明した三竦みの構図は、そのためでもある」
 そこでようやく、統括長は今まで一切発言をしていない大河へと目線を転じた。
「紹介しよう。彼がその一翼を担う『呪縛者』だ」  
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