闇色遺聞

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  06  

 狐の訪問から一夜明けて、朝日が昇った。
 梅雨明けと同時に元気に鳴き出した蝉の合唱に見送られながら、綾倉京輔は登校した。
 クラスに入って裕貴を真っ先に探したが、影も形も見当たらない。裕貴の机には鞄が置かれているから多分登校はしているのだろうが、今のところ教室には姿がない。
 ほっとしたせいで気が抜けて、まだ授業も始まっていないというのに京輔は自分の机にうつ伏せた。
「綾倉おはよ、ってうわどうしたお前! 何だその顔!」
 登校してきた級友が、机に突っ伏す京輔の顔を覗きこんで思わず腰を引いた。
 そうかそんなにひどい顔か、と、どんよりした息のついでに声も吐き出す。
「おはよう、村主……」
 若干引きつった顔の村主が隣に鞄を下ろし、まじまじと京輔の顔を見つめた。その視線に、ロートーンのまま尋ねてみる。
「そんなひどいか?」
「なんつーか、地球温暖化で悩まされてる白熊みてーな顔?」
「おー、何となく分かった。まさに今そんな感じだ」
 資源は大切にしないとなあ、と呟いて、京輔はまたくたりと机の面と仲良く頬を引っつけた。だが、右手は先程から少しも動いていない。何かを守るように鞄の縁を掴んだままだ。
 昨日長船がしてきた頼み事がもし万が一バレでもしたら、裕貴に殺される。いや、曲がりなりにも自分が惚れた人間に殺されるならいい。しかしこれが他の人間にバレたら、京輔は警察行きだ。警察は吸血鬼だからと同情はしてくれないだろう。
 結局、長船は意味深な言葉を残すだけで中身の詳細は教えてくれなかった。もしバレることがあれば警察沙汰になるとだけ釘を刺されたが、だからこそなおさら不安が煽り立てられる。
「くれぐれも、坊。そんなことにはならないようにしておくれ。いかに狐とて、司法の壁を幻術で破ることはできぬからなあ」
 申し訳なさそうなのが半分、ふざけた媚態のようなのが半分、しかし目が笑っていないのが恐ろしかった。
 勢いに負けた気の弱さか、お人良しさか、いや、この家系に生まれたことを恨めばいいのだろうか。
 朝から瘴気じみた気配を漂わせている京輔を村主が怪訝な目で見ている。
 何か話しかけようとした彼の声は、結果的に遮られてしまった。
 ぱーん! と戸がスライディングし枠に叩きつけられる音と共に、頬を紅潮させた裕貴が顔を出したからだ。息を切らしているところを見ると、あわてて走ってきたらしい。
 顔を合わせればやはり感じてしまう一方的な罪の意識と、顔が見られて純粋に嬉しいという気持ちが同時に存在した。その二つの思いはすぐに驚きに変わる。裕貴を凝視するクラスメイトたちの視線を物ともせず、一直線に自分に向かってきたかと思うと、胸ぐらを掴み上げるようにして立ち上がらされたからだ。
 咄嗟に言うべき言葉が見つからず、数瞬固まったあと、京輔は間を取り繕うような笑みを浮かべる。
「ゆ、あ、いや、相良。えーっと。お、おはよう?」
「おはよう。でも今言うべきことはそれじゃないわよね?」
「浮気なんてしてません!」
 昨日の長船の色仕掛けにはまってしまったことを思い出して反射的に叫んだが、返ってきたのは余計に赤くなった頬と早口になった言葉だった。
「違うわよ! 大体付き合ってもいないのに浮気なんておかしいでしょ!」
「うんそうだな、いやそれはそうなんですけど相良は一体俺に何の用なの?」
 まだ比較的登校時間にしては早い方で、クラスに揃っている面子も予習や部活のために早めに訪れた面々ばかりだ。数は少ないが確かに彼らの視線はこちらに注がれている。
 裕貴は気付いてハッと手を離すと、今さらのように京輔から距離を置いて囁いた。
「ここじゃ話せないから、屋上で」
 はぁ、という曖昧な京輔の返事を聞く気はあったのか、真っ赤になった顔のまま裕貴は競歩の選手もかくやという闊歩を見せてあっという間に姿を消した。
「何だ、ありゃ。どうしたんだ?」
 村主の呆気にとられた疑問に、京輔は苦笑して鞄を取り上げた。
「そんなの、俺が聞きてーよ」
「あれ、鞄持ってくのか? また早退?」
「ちげーよ、単に必要なだけ」
「あ、ひょっとしてイケナイ本とかDVDが入ってるとかー?」
 にやついた村主を小突いて、京輔はようやく本心から笑った。
「ばーか、そんなもん学校に持ってくるかよ」
「あ、そういう貸し借りとかはしない派か、綾倉は」
「そういう貸し借りは全般的に学校の外でやる派だよ、村主くん」
 村主には想像の範疇外にあるイケナイものが入った鞄を持って、軽口を叩きながら京輔は教室を出た。
 そこでばったりと石本恵に出くわした京輔は、訳もなく、おう、と声を出して一歩下がる。
 しかし、恵は京輔など眼中にない様子だった。
 廊下の端に消えていく裕貴の背にじっと視線を注いでいる。
「どうしたんだ、石本」
 恵は相変わらずきゅっと唇を引き結んだ能面のような表情のまま、呟いた。
「あれ、相良さんだと思って」
「ああ、うん。相良だな。それがどうした?」
「ううん、あの人、総合成績学年で五番なの。私より頭いいの」
「へえ」
 誰が何番目の成績か、京輔はあまり興味がない。自分の学力が中くらいより上だというのが分かれば、その時点で満足している。
 意外そうに目を見張ったのは、裕貴や恵の成績の良さに驚いたからではない。
 ガリ勉の恵ならば、裕貴のことを目の敵にしていてもおかしくないと思ったが、それにしてはさばさばとした口調だったからだ。
 だが、何の頓着もなさそうな口ぶりとは正反対に、目にはただならない気配が漂っていた。なんとなく良くない印象を受ける目付きだ。普段から恵は人を睨むようなところがあるが、それを差し引いてもどこか引っかかる。
「石本は、相良のこと嫌いなのか?」
「いいえ。私、相良さんに勉強で勝てないことは別に嫌じゃない」
 他に何か意味を含んでいそうな言葉だったが、恵が会話を切り上げて室内へ入ってしまったので聞けなかった。
 恵のことは気にかかったが今はその暇もない。ただでさえ面倒事に首を突っ込んでいるのに、これ以上クラスの内紛にまで関わりたくないというのも本音だった。
 京輔は音もなく閉まった教室の扉をちらりと見てから、裕貴の待つ屋上へと駆け出した。  
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