闇色遺聞

BACK | INDEX | NEXT

  07  

 つくや否や、京輔は早々に厳しい顔の裕貴に詰問された。
「あなた、何か隠してるわよね」
 朝っぱらから屋上に来るような物好きもいないため、昨日と同じように屋上は閑散としていた。
 誰もいないか入念に確かめた後、彼女は開口一番ずばりと切り出す。
 ぎくっ、としたのが思い切り顔に出たのだろう。裕貴は柳眉をひそめて下から京輔の顔を覗きこむ。
「やっぱり」
「あっ、いや、その!」
 京輔は無意味に胸の前で手を振る。京輔としては裕貴も裏切れないが長船も裏切れない。
 どうやって弁明しようか、と頭の中で虚しく思考を回転させる京輔を、裕貴は鋭利な視線で貫いた。
「最近起こってる事件、あなたの仕業?」
「は?」
 完全に想定外の質問に、京輔はきょとんと目を丸くした。今度は京輔が訝る表情になり、逆に裕貴に尋ねる。
「事件って、え……何? 何か起こってるの?」
 とぼけているわけではなさそうな様子の京輔に、裕貴が訳のわからないという顔をした。
「知らないの? あなた吸血鬼なのに」
「え、何、じゃあ妖怪絡みの何かが起こってんの?」
 裕貴は深く考え込むような顔つきになると唇に手を当て、しばしうつむいた。
 長い睫毛が目を彩って、どきりとするような大人っぽさを匂わせる。
 思案に沈んだ顔も美人だと場違いな感嘆をしていると、不意に裕貴が顔をあげた。
「あなた、本当に知らないのね?」
「本当だ。相良に嘘はつかないよ」
「それはどっちでもいいの」
 ポイントアップを狙ってみたはいいがあっさりと玉砕し、京輔は軽く泣きそうになる。デススター並に落とし難い。昨日画面の中で苦戦していたスター・ウォーズのパイロットの気持ちがよく分かる。
 裕貴はそんな京輔の心情には全く頓着せず、話を続けている。
「最近、小さなあやかしだけを狙った事件が多発してるの。人の目には見えないからそっちでは騒ぎになってないけど、あやかし同士の間では相当な騒ぎになってるみたいよ」
「へえ、そりゃ知らなかった。というか――いや何でもない」
 京輔は言葉尻を濁す。その態度に首を傾げながらも、裕貴は事務的に話を進めた。
「私がそれを知ったのも、使い魔たちが騒いでたからよ。狙われたあやかしは皆、血を吸い取られたみたいにひからびてたって」
「あー、それで俺か。言っておくけど相良、俺は無闇やたらに血を吸うことはしないし、すったとしてもそのせいで相手が死ぬようなことはないからな。どれくらいのデカさかは知らねーけど、あやかし一匹分の血なんて、丸々飲み干したら絶対腹下すし胃にもたれる」
 げんなりした口調で言う京輔に、裕貴は信じたのか信じていないのか、判然としない態度で念押しする。
「そう。でも、あなたは無関係なのね?」
 神にかけてと言いたいが、吸血鬼が言うとあまりに嘘くさいだろう。京輔自身も現代っ子で、都合のいい時だけ信じるタイプだ。
 京輔が頷くと、裕貴は決意したような面差しで真っ直ぐに目を見てきた。
「でも、まだ信じるわけにはいかないわ。だから、今夜からちょっと付き合って」
「は? いや、相良となら喜んで付き合うけど。どこへ何しに?」
「パトロールよ。夜はあやかしが最も活発になる時間帯。トラブルが起きやすい時でもあるわ。だから今夜からパトロールするの」
「パトロールったって……危ないって相良! 夜道は危険だって! ていうか相良みたいな女の子が歩いてたら本当に危ない! あやかしだけじゃなくて人間だって危ないのいるだろ、ほら、変質者とかに狙われやすそうだし!」
「昨日言ったでしょ、私は職務に忠実なの。それに、人間相手なら拳叩き込めば済むじゃない。あやかし相手なら銃を向ければ済むことよ」
「銃だけでどうにかなるようなレベルの妖怪じゃなかったら?」
 恐らく大抵のあやかしにも銃は通用するが、当たらなければ意味はないし、銃が効かないものもいるだろう。
 かくいう京輔が分類される吸血鬼というカテゴリーも、ただの銃は効かないとされている。使うなら魔を寄せ付けない銀の剣か弾、聖水に杭といったものをマストアイテムと叫ぶヴァンパイアハント指南書も少なくない。
 心配になった京輔だが、裕貴は涼しげな顔で答えた。
「その時用に退魔の札も持ってるわ。元々、銃は強大な妖怪に対しては時間稼ぎでしかないもの。本命はそっちよ。――言っておくけど、この銃も普通のものじゃないわよ。教会の鐘を溶かして作った銀の弾丸も用意してるし、何ならあなたが敵に回って確かめてご覧なさい」
「……それだけ聞いてると陰陽師っていうか、エクソシストっぽいね。っていうか、陰陽師って確か道教じゃなかった? それに教会もごちゃまぜって神仏習合ってレベルじゃなくない?」
「都合のいいもの取り込んで好き勝手やれるのが日本人のいいところでしょ?」
 事も無げに言ってのける美少女に、京輔はがっくりと肩を落とす。
「分かった。俺も付き合うよ」
 どの道、そんな話を聞いた以上放ってはおけない。
 何で俺の周りにはこうもたくさん厄介事が降ってくるんだ、と嘆いた心中とは裏腹に、想い人は大変満足そうに笑った。
 大人びた雰囲気がつきまとう彼女にしては、目元を細めて笑うと年相応の可愛らしい笑顔になる。
 長船が笑うと花が咲いたような感覚が周囲に広がったが、彼女が笑うと陽だまりがそこにあるかのようだ。
 そういえば今まで笑ったの見たことなかったな、という感想と衝撃が脳裏を掠めた瞬間、その表情は掻き消えて裕貴は校舎に続く階段を降りかけていた。
「今日の午後七時、児童公園の遊具のところで待ち合わせよ。いい?」
 言いかけて去ろうとした裕貴は、ふと思い出したように立ち止まって京輔の方に振り向く。艷のある黒髪がふわりと風になびいた。
「そういえばもう一つ。これも使い魔たちからの情報なんだけど、あやかしの死体の傍には狐の臭いが残っているそうよ。関係は?」
「狐?」
 その単語に、思わず目を見開いた。狐の臭いが残っているあやかしの死体。昨日、急に訪ねてきた長船。鞄の中の物が何かも言わずに、開けることも禁じられている。これは何かの符合だろうか。
 しばしの逡巡の後、京輔は唇の端を持ち上げた。少しばかり無理やりに無難な答えを返す。
 嘘は言わないと言った先から、嘘かもしれない言葉を唇が紡いでいる。
「関係は、ないよ」
 ――そう信じたい。
 かろうじて心の中で付け加えた注釈のおかげで、申し訳ない顔にはならなかったと思いたい。
 そう、と怪しむ風もなく踵を返した裕貴の背を見送りながら、京輔は嫌な汗が流れ出る額を拭った。
 自己嫌悪と責任感と恋情の三つに圧迫されて、京輔は抜けるように青い夏の空を仰いだ。
 鞄が急に重力を増したように感じられ、さらに気を重くする、予鈴の音が学校中に鳴り響いた。
「貧乏籤引いてるなあ……」
 京輔の世知辛い呟きは、誰にも聞かれることなく空中へ溶けていった。  
BACK | INDEX | NEXT
Copyright (c) 2012〜 三毛猫 All rights reserved.
inserted by FC2 system