闇色遺聞

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 恒例となった夜の公園で待ち合わせだが、京輔が思わず声をかけ損ねるくらいには眉間に深く皺が刻まれていた。
 進展のないまま過ぎ去った四日に、裕貴は苛立っているようだった。
 昼間の一方的な罪悪感も手伝って、気まずさはメーターの極値を指している。
 挨拶のために手をあげかけて下ろした京輔に気づいた裕貴が、ブランコから立ち上がる。ついに壊れたのか、電灯が瞬きもせずに沈黙していた。
 それでも遠くの光に照らされて機嫌が分かるのだから、余程だろう。むっつりとした顔のまま、ひどく平坦な声だけが冷え冷えとしていた。
「こんばんは、綾倉くん」
 険しい顔つきをしていても、三十二相揃って非常に見栄えがいい。
 再確認しながら、京輔は整った顔に笑みを浮かべた。例え彼女の機嫌が悪くても、京輔は会えるだけで充分楽しいし、嬉しい。
「こんばんは。今日も早いね」
 半ば意地で裕貴より早く着こうとするのだが、必ず裕貴は京輔が来る前に来ている。
 きっちりしているのか、対抗意識を燃やされているのか。
「昨日より、五分早くなったわね」
「もしかして、俺より早く来ようとしてる?」
 それには答えず、裕貴は歩き出した。赤いスニーカーが、ズボンと靴の隙間から見える白い地肌によく映えている。
「今日もよろしくね。収穫はないかもしれないけれど」
「なければないで、パトロールの脅しがきいてるってことじゃないかな」
「どうかしらね」
 綺麗に弧を描く桜桃を歪め、彼女は笑った。そこに快さがないのは、やはり思うところがあるからだろう。
「私がやれることなんて限られてるわ」
「でも、やれることはやるんだろ? すげえよ」
 世辞と受け取られるかと思ったが、裕貴はきゅっと唇を真一文字に引き結んだだけで何も言い返しはしなかった。
 パトロールの時は、沈黙が半分、場繋ぎのようにぽろぽろとこぼれる会話が半分。
 常人ならば気まずくて途中でやめてしまうかもしれないが、京輔にそんな気は毛頭なかった。
 今まで見ているだけだった裕貴から話を聞けるし、その過程で気づいたことだが、彼女はひどく素直だ。嘘のない真っ直ぐな言葉は、聞いていて心地よいものだった。
「そういえば、今日夜サスペンスドラマ特集だってさ。色々俳優出るみたいで姉貴が録画予約しろってうるさいんだ。裕貴ちゃんはそういうの、好き?」
「うちはほとんどテレビ見ないわ」
「厳しいんだ?」
「そうね、父が娯楽の類をあまり好きでないから」
「テレビは娯楽かもしんないけど、そういう家今時珍しいな。裕貴ちゃん、ちなみに趣味、何?」
「銃器の分解、手入れ……?」
「えっ、それ、趣味!?」
 思わず声を大きくして尋ねた京輔に対して、裕貴は真剣に続きを答える。
「後は、うちの子たちの世話かしら」
「うちの子?」
「式神、使い魔ね。――噂をすれば」
 裕貴はふと宙空に手を伸ばして、指の先を見つめた。
 空をすくいとるように手を握り、裕貴は京輔に拳を差し出してくる。
「ほら、この子」
「ああ……なるほど」
 常人が見れば、何かを掴んだように丸くなった手を少年に差し出す奇妙な少女に見えるだろう。
 何とコメントしていいか分からず、京輔は曖昧に頷いた。
「その子が裕貴ちゃんの使い魔なわけだ。それで、どうしてここに?」
「そうね。情報でもあるのかしら?」
 拳の先に耳を傾けていた裕貴は、ハッと顔色を変えた。
「どうした?」
 裕貴は京輔に応えることなく、地面を蹴って走りだした。
「ちょ、ちょっと!?」
「聞こえなかったの? 吸血鬼のくせに耳が悪いのね」
 追い縋る京輔に、裕貴は苛立ったように叫ぶ。走りながら喋っても、彼女は全く息を乱さない。
「今、鼠の妖怪と何かが交戦中だそうよ」
「何かって?」
「それが分からないから向かってるの!」
「どこで?」
「駅前商店街!」
「商店街!?」
 妖怪を襲うには随分とひとけが多い場所だ。シャッター通りと名前を変えて久しい場所もあるそうだが、この町では飲み屋があることもあり、会社帰りのサラリーマンやOLなどで夜はいつも賑わっている。
「何だってそんなとこで……」
 言いかけて、京輔は唇を噛んだ。
 一般人には異形の姿は見えない。見る人間に霊感があったり、誰にでも見えるようなレベルのモノであったりするケースを除き、滅多に人が妖怪を目にすることはない。
 ――どこでも良かったわけだ。
 どこで事を起こそうとただの人間には見えるはずがないのだから、どこで妖怪を殺そうと楽なものだっただろう。
 となると、殺した相手も同じく人から見えない妖怪だろう。人間が姿の見えない妖怪に対して何かしていたら、滑稽なパントマイム以外の何者でもない。遠隔操作性を持った術を使える人間という可能性もあるが。
 同じことを京輔よりもっと早く気づいていたのだろう、裕貴の顔は厳しい。
「とにかく、急ぐわよ」
 公園から駅前までの距離はおよそ五分。
 その間、女子高生とは思えないスピードで疾走する裕貴に、京輔はついていくのが精一杯だった。やはり、日頃からきちんと鍛えている人間とそれなりのトレーニングしかしていない者では差が出るのだろう。
 吸血鬼としてそれなりの事件に巻き込まれてきたせいで、そこそこの体力はつけるようにしているが、裕貴のように打ち込んで鍛えていないのが響いた。
 息を切らせて辿りついた商店街は、疲れた顔の背広姿や、タイムセールから帰ってきたと思しき自転車などがちらほら見かけられるが、それだけだ。
 どこにも乱闘や血の跡はない。
 右を見て英会話スクールの看板を発見し、左を向いて年配向け呉服屋のウィンドウ越しに景色を見、至って平和で問題がないのを確認する。
「本当に敵、っていうか犯人がいたのか?」
「間違いない、使い魔は嘘を言わない」
 裕貴が見ても痕跡は認められないのだろう、対決姿勢をとり油断なく目を左右に動かしている。
 京輔もそれに倣ってもう一度ぐるりを見渡すが、ただ行き交う人の群れと呼び込みのバイトたちが見えるだけだ。
 その中にちらほら交じる同じ制服たちは、京輔たちの学校のものだ。部活帰りなのか、大抵が集団で移動している。別段珍しい光景ではないので気に止めなかったが、その内の一つが群れから分離して京輔たちに近づいてきた。
「あれ、綾倉。と、相良?」
 隣席の友人の顔を認め、京輔は目を丸くする。
「村主、お前どうしてここに」
「どうしてもこうしても、俺ここ通学に使ってんだよ」
 あからさまに裕貴が邪魔なものを見る目付きで村主を見た。裕貴の視線を背中で遮り、京輔は半笑いで声をかける。
「あ、そっかそっか。んじゃ、気をつけて帰れよー」
「んだよ、デートかよ、お前。……傷心同盟、どうしたんだよ」
 村主はむすっとした顔になる。どうやら同盟相手の裏切りを徹底的に糾弾するつもりのようだ。
 どうやって誤魔化そうかと思案した時、背後から一陣の風が吹いた。
 振り向くよりも先に、背中を悪寒が駆け抜けて危機を告げた。咄嗟に横に転がった直後、足元の頑丈なコンクリート製タイルが砕けて宙に舞う。
 その事実に薄ら寒いものが首筋を這う。これが直撃していたら、今頃京輔は血の海に沈んでいただろう。
 破片がズボンの上から足を掠め、京輔は思わず顔をしかめた。悲鳴を上げるほどではないが骨に響く。
 裕貴が息を呑んで京輔の後方へと顔を向ける。
 ひゅう、と風が去っていく音を聞いて、険しくなった顔のまま、彼女は村主も京輔も置き去りに駆けて行こうとした。
「お、おいおい?」
 驚いたように京輔と裕貴を見比べる村主。状況が把握できないと書いてある彼の顔に愛想笑いをして、敏捷に立ち上がろうとした。
 その途端、鋭い痛みが足首を刺す。
(ヤバい、これは、ひょっとしなくても――捻った!)
 素直に足を引きずって歩ける程、状況は悠長なものではない。京輔は呼気を地面に叩きつけると、気合いで姿勢を正した。
「悪い、今ちょっと取り込み中だから! またな!」
 脹脛に走った疼痛に表情筋が引きつりながらも、ここで裕貴から離れてしまっては元も子もないとアドレナリンの力を借りて無視を決め込む。
 ショルダーバッグを肩にかけ直すと、京輔は人ごみに紛れて視界から消え失せようとしている少女を追って走りだした。
「くそっ、吸血鬼の体のくせにコンクリの破片に叩かれたくらいで情けねえ……!」
 呆気に取られているだろう村主の方は見もせずに、京輔は必死で裕貴の方に向かって走る。
 明日学校で会った時に何と言い訳しようと考えられたのは僅かな間だった。
 歯の間から搾り出した鼓舞の台詞は、逆に足へと突き刺さった。
 一層間隔を短くして襲ってくる痛みに耐えながら、裕貴を見失わないように足を運ぶ。京輔には見えなかったが、裕貴は恐らく犯人を見たのだろう。
 京輔を襲ったものが今回の犯人かは分からないが、関連性はあると見ていい。
(今のは絶対妖術だった。人間の力じゃない。やっぱり相手は妖怪か……?)
 あの風は人間の力でどうにかできるものではない。そういう術を使える人間がいるのかもしれないが、通行人たちに見咎められず去ることなどできないはずだ。
 体をフル機動させながら考えられたのはそれぐらいで、遅れないよう走るのが精一杯だ。
 右足が腫れていないように祈りながら裕貴の背を追って辿りついたのは、待ち合わせの児童公園だった。  
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