闇色遺聞

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  12  

 往復十分、走った時間はたったそれだけなのに、息が上がり、相当足に負担が来ている。
 もっと受身などを練習しておくべきだったかと悔やみながら、できる限りの早足で京輔は裕貴へ近づいた。
 裕貴は汗一つかいていない涼しい顔で、取り出した拳銃を壊れた電灯へ向けている。
「遅かったわね」
 京輔には目もくれず、裕貴はブランコの近くに立った影へ視線を注いでいる。
 肩を大きく上下させながら銃口が向いた先を見て、京輔は目を見開いた。何か言おうとしたが、驚きのあまり口から声が出ない。
 代わりに、という訳ではないだろうが、裕貴が僅かに首を傾げて訊く。
「あなたが、今回の犯人なの? 石本恵さん」
 目立たず、ガリ勉というイメージばかりがついて回る優等生が、そこにはいた。
 チカッ、と一瞬だけ電灯がつき、また消える。僅かな光の瞬きが、彼女を照らした。
 恵は動揺もせず、ただ薄暗い目でこちらを見返すだけだ。確かにそのふてぶてしいまでの冷静さは、嫌という程見覚えがあるものだった。
「名前、覚えててくれたのね。光栄よ、相良裕貴さん」
「クラスメイトの名前ぐらい全員把握してるわよ」
 ちっとも嬉しくなさそうな恵に、裕貴も淡々と言い返す。
 京輔は目立つ人間や仲のいい友人はともかく、全員は覚えていない。優等生はさすがだな、とこんな場だが妙な感心をしてしまう。
 中学時代からの友人に目を向けると、恵はいたずらを見つかった子供のようにふてくされた表情で立っている。彼女に化け鼠を殺す度胸があるとは到底思えなかった。
「石本、お前……」
「私じゃないわよ」
 京輔の言葉を遮るように、恵が言う。
「私じゃないけど、ある意味、私」
「え?」
 両眼を覆う厚いガラスの底で、視線がたゆたう。
「そうよ。見える? これが『私』よ」
 厳かに宣言するかのように、恵が色の薄い唇を開いた。
 ひゅう、と先ほど聞いた耳に残る風の音が脳を叩き、地面も自分も動いていないのにぐらりと視界が揺れる。
 凄まじい圧迫感が、石本恵という少女から溢れ出た。
 ただでさえ暗いその闇を押し伸ばし、塗り潰し、存在そのものの濃さが周囲を圧倒する。
 張り詰めた空気が全身を支配し、呼吸一つすら自由に操れない。
 とてもではないが、クラスで勉強以外の発言をしないと揶揄される、小さな女子の存在感ではない。
 彼女が禍々しい風を生み出す中心となって、じっとこちらを見つめていた。
「すごいでしょ。勉強以外で、私にもこういうことができるのよ」
 ――いいえ。私、相良さんに勉強で勝てないことは別に嫌じゃない。
 そう言っていた恵の本意がうっすらと透けて見えた。あの台詞は、勉強だけではない居場所があるから言えたものだったのだ。言い方からして、恐らく彼女は裕貴の稼業も知っていたのだろう。
「私、いっつもそうだから。勉強できてすごいねってずっと言われ続けてきたから。でも、高校入って、いくらでも上がいるって知ったから」
「だから、オカルトに手を染めて、やることが弱小妖怪殺して憂さ晴らし? 幼稚ね」
 切り捨てた裕貴に、京輔はひやりとした。
 恵は裕貴に敵愾心を持っている。勉強ではない恵の得意分野で勝負したいという心持ちがあってもおかしくはない。
「相良さんなら、そう言うと思った。違うわよ。あれは、粛清」
「粛清?」
 随分と時代を履き違えた単語に、京輔は思わず頓狂な声を出した。
「おいおい、時代錯誤にも程があるぜ。お前、時代劇か時代小説にハマりすぎじゃねーの」
 恵は答えない。ただ、眼鏡の奥にあった目玉が不穏な光を帯びた。
 来る、と二人して身構える。
 どんな攻撃か、裕貴は大丈夫だろうか、躱せるか、万が一避難する時はどこに――。
「あれ、お前ら何してんの?」
 脳天気な声によって、思考の均衡は破られた。
 振り返ると、村主が笑顔を浮かべて公園の入口にいる。
(ついてきたのか!?)
「村主、来るな!」
 制止の声をあげた京輔を、裕貴が体当たりで突き飛ばした。
 鋭い鎌風が髪の毛を数束奪い、空に散らす。
 裕貴が庇ってくれなければ、確実に首を持っていかれていた。先ほど、京輔を襲った風と同じものだ。
 確実に殺す気できている恵に、心臓が氷に漬けられたように凍える。
「この!」
 すぐさま起き上がった裕貴が銃口を向け、迷いなくトリガーを絞った。
 破裂音と共に鉄の電灯に着弾し、火花が飛び散る。
 恵はうっすら笑ったまま余裕綽々で避けた。身体能力まで別人のようになっている。
 京輔は恵の笑みがさらに深まるのを見た。
 得体の知れない悪寒に襲われ、京輔はふと、恵が自分たちの後ろを見て笑っているのに気がついた。
 そこでようやく、京輔は違和感を覚える。
 午後七時台とはいえ、新しい公園に人が流れたとはいえ、この過疎具合はどうだ? 周囲を見回しても人っ子一人見当たらない。昨日まではこんなことは一度もなかった。
 その事実と恵の笑みから導き出される答えは、一つ。
 振り返る暇もなく、確証もないまま、拳銃を握っていない裕貴の手を掴み、引き寄せる。
 バランスを崩して倒れこんできた裕貴の上を、視認できない速度で質量を持った何かが通過した。
「ちっ」
 それは悔しそうな音と共に盛大に土の地面を抉って勢いを殺し、一回転して、恵の傍にうずくまった。もうもうと砂埃が立ち込めて、京輔は小さく咳き込む。裕貴は、眉をひそめただけだった。
 地面に屈んだまま、それはもう一度舌を鳴らす。
「あーあ、残念。仕留め損なった」
 余裕を見せつけるように膝立ちからゆっくり立ち上がったのは、背後から裕貴を攻撃した村主だった。
 恵はちらりと村主の方を向いて、別段失敗したことを責めるでもなく、ただ虚ろに笑っている。村主はお人好しそうな顔に、至極残念そうな表情を浮かべていた。
「全く。頼むからちょろちょろしないでくんね? ふたりとも」
 何故村主が?
 驚きとショックはすぐさま、怒りに取って代わった。
「おま……っ何だその言い草は! 当たり前だろ、当たると死ぬんだから!」
「おいおい、逆ギレかよ」
 困ったように笑う村主は、恵とは逆にいつも学校で出会う村主そのままであり、この修羅場で不自然極まりなかった。
 まだ倒れたままの自分たちから注意を逸らすために、京輔は口を開く。
「おかしいと思ったんだよな、一人も人がいねーから。結界か何か張ってんだろ」
「ご名答。綾倉、お前頭いいな」
「当てずっぽうだ、馬鹿野郎」
 拍手した村主に、京輔は舌を突き出してみせた。
 正直、京輔のオカルト知識は乏しい。自分の体に関することならばともかく、オカルトそのものには興味がほとんどない。
 結界と一口に言ってもどういうものがあるのかほぼ知らないが、不自然への勘働きだけはくぐり抜けてきた修羅場のおかげで一人前だ。
 問答している間に体勢を立て直した裕貴が、二人から距離をとって銃を構える。それを横目で確認した京輔も、ショルダーバッグから埃を払って直立した。
「ま、これでお互い条件はイーブンってことで。どうだ、取引しねえ? いいよな、恵」
 村主の言葉に、恵が顎を引く。にや、と笑った村主は、京輔を真っ直ぐ見据え、言った。
「大事なモンを俺たちにくれたら、お前のことは同じ妖怪として見逃してやるよ。いいだろ?」
「大事なモンって何だよ?」
「ガードが甘いぜ綾倉。――その鞄に入ってる、木の箱だよ」
 首筋を汗が流れ、冷たい風がそれをすくっていく。
 京輔はごくりと唾を飲み込んだ。  
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