翡翠の騎士たち

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  11  

 語り部というのは因果な仕事だ――とアーサーは思う。
 歴史という事実は、結局真実を指すことはない。権力者たちの都合のいいように、民衆たちが望むように語られ、それが後世に受け継がれていく。
 そして最後には、結局華美と欺瞞で塗りつぶされた、原色など跡形も残さない色を映し出すのだろう。
 目の前の語り部が物語るのは、紛れもない歴史で、決して招待主に逆らわない歴史だ。
 都合のいい言葉で装飾し、機嫌を損なわないように余計な部分を削り落とし、されど嘘は言わない、男爵のいる角度から見れば完璧な彫刻のように見えるのだろう。
 しかし、少し離れた所でそれを聞くアーサーは、嘲笑のような表情が浮かんでくることを抑えられない。
 アーサーには、その彫刻の側面が見えていた。その側面は闇の色にべったりと塗りつぶされた、おどろおどろしい色をしている。
 クラナリアは二百余年前、魔法使いの追放という名目を最大限に利用し台頭してきた国だ。それ以後、この大陸で魔法使いは表立って生きていけなくなった。
 神経をすり減らし、自らが持つ力を押さえ込んで、怯えながら矮小に生きてきたのだ。
 クロノアの話は、やがてクラナリアがサルサードの姫君を王妃にもらい受け、完全に三国を併呑した話を通り過ぎ、歴代の王たちがどれだけ素晴らしい偉業を残したかへ移っていく。
 しかし、つまらない話と思いながら、くだらない美辞麗句と思いながら、アーサーはただその一点だけは認める。
 クロノアが語れば、まるでその美辞麗句が極上の音楽のように美しい物語に聞こえてくる。何も知らなかった、ただ純粋に王というものに尊敬を抱いていた、子供の頃を思い出させるような。
 アーサーはそう思い、ふと我に返った。
(疲れているんだな、俺は)
 言い訳だというのは、自分でも分かっている。
 ただ、アーサーはクロノアと一緒にいるこの仕事が悪いものではないと思う。ただ、どうやったところで、アーサーはクロノアと住む世界が決定的に違う。
 ならば、今から壁を作っておくべきだ。
 もしこの先振り返って、ああ、あんな奴もいたな、と懐かしさに微笑できるくらいに、壁を作っておくべきだ。
 アーサーは、この語り部の傭兵に語ってもらえるような、端役にも加えてもらえない舞台の裏方なのだから。
 そして、時折葡萄酒で喉を潤しながら、クロノアは物語を紡いでいく。
 男爵は身を乗り出し、しきりと満足そうに頷いている。
 アーサーはどこか冷めた目で、それでも懐かしそうにその物語を聞いていた。
 やがて、クロノアが語る歴史は、今代の王の誕生にまで近づく。
 今代の王の名をソーディン、跡を継ぐべき後継者もおり、齢は五十を越えて立派な君主として慕われている。
 クロノアは男爵が親王派だと知っている上で、ソーディン王の素晴らしさを並べ立て締めくくった。
「……この後も、ソーディン陛下とバルタス殿下をレイヴィアス第二殿下のお支え、そして男爵様のように忠義厚き臣のお支えがあって、クラナリアは今後ますますの発展を迎えることでございましょう」
 ベルナール男爵ユアン・エトナは愉快そうに喉を震わせた。
 頬は上気し、実に楽しそうだ。
 クロノアは胸に手を当て、一礼する。
「今宵の物語、お気に召していただけましたでしょうか」
「うむ、非常に素晴らしい。できればこのまま一生我が城に住んでもらいたいくらいの腕前だ」
 クロノアは残念そうに微笑する。
「真にありがたい男爵様のお言葉ではございますが、それはできかねます。私は故郷に待ってくれている人がいますので」
「妻がおるのか?」
「いいえ、まだ契りを交わしただけの間柄でございます。ただ、私が男爵様のお城に住まえば、道楽以上でこの仕事をしないと誓った言葉が嘘になってしまいますので」
「とても道楽とは思えぬがな」
「ありがとうございます。できれば、私もこの仕事が本業であればよかったと心の底から思います」
 その言葉ばかりは真実だろう。クロノアは陰りを含んだ微笑を浮かべて言った。
「いや、今宵は実に楽しかった。どれくらい我が城に滞在してくれる?」
「さて……私の行く先は、風のいくままでございますので」
 男爵が、気に入った、とでも言うように笑い。
 それを合図にその日の晩餐は終了した。




「お前のは随分と豪勢な晩餐だったな」
「アーサー……目が怖いんだが?」
「気のせいだ」
 召使いの待遇としてはかなりいい食事だろう、それを続き部屋で食べているアーサーは何故か少々不機嫌だ。
「うまそうだなー」
「あれだけ食べてまだ言うのか」
「別にねだってるわけじゃねぇぞ?」
 クロノアはよいしょ、と隣に腰を下ろし、黙々と飲み食いするアーサーに言った。
「どうやら、奴は親王派らしいな」
 そうは思っていなかった、とでも言いたげなその言葉にアーサーは首を捻る。
「最初から分かっていたんじゃないのか?」
「まさか。それらしいって噂は知ってたけどな。ただ、男爵の態度は権勢に媚びへつらうために、俺に言ったわけじゃなさそうだ。――アーサー、エルマエルは知ってるか?」
「さっき言っていたな。一体何だ?」
「エルマエルは、クラナリアが巨大国家として勢力を伸ばし始めた時、クラナリア王宮で絶大な権力を握っていた貴族の一人だ。腕前を買われて要職についてたらしいんだが、王の絶対崇拝者でな、結構過激な本を書き残したりしてる。さっき言ってたエルマエルの戯曲ってのは、お前が聞いたら耳が潰れそうなくらい王家を美化しまくった戯曲でな。胸が悪くなるような世辞をまとめた芝居なんざ、そのうち廃れてくもんだろう? 今じゃ、エルマエル自身に興味のある奴か、よっぽどの親王派じゃない限り読まないようなもんになっちまってる」
「あのやり取りは――かまかけだったのか?」
 返答の代わりに、クロノアはにやりと笑ってみせた。
 呆れた男だ、と嘆息しながらもアーサーは指についた肉の欠片を舐め取る。
「……と、なると――これは困ったな……」
「何がだ?」
「ユーリーが既に死んでる可能性もある、ってことだ」
 それきりクロノアは口を閉ざした。
 何かを考え込んでいるのか、時折舌打ちを漏らしたり、頭を掻いたりしている。
 アーサーはそれを邪魔しないようにひたすら食事を取っていたが、それが終わっても一向にクロノアが横から退かないので痺れを切らして尋ねた。
「クロノア、もしユーリーとやらが死んでいるなら、ここはすぐに退散するべきだろう」
「そりゃ分かってるさ。問題はユーリーがまだ生きていて、ここにいる場合、だ。……逆に、牢屋は考えづらい」
「何故だ?」
「……ユーリーの血筋から考えて、それはねえ。奴が親王派なら、とる行動は二つ。王のことを考えてユーリーを殺すか、ユーリーの血筋を尊重して丁重に保護するかのどちらかだ」
「――そいつは、王族に連なるような貴族なのか?」
「……そうなる、かな」
 どうも歯切れが悪いクロノアに内心怪訝な思いを抱えながらも、アーサーは言う。
「しかし、城内はかなり見て回っただろう。牢以外の、どこにいると?」
「俺たちは部外者扱いで、肝心な所は見れてねぇだろ。――最初に、ダニエラに会った時、あいつが言った言葉を覚えてるか?」
 アーサーは突然の質問に口を噤み、回想するように目を泳がせた。
「……ま、覚えてねえわな」
 苦笑しながらクロノアは言い、指を振る。
「彼はやはり密輸をしているようです――と、言ってたんだが」
「密輸?」
 穏やかでない単語に、アーサーは眉をひそめた。そんな事を言っていたような気もするが。
「どこから、一体何を?」
「……マークドから、武器を」
「な」
 大声をあげかけ、アーサーは寸でのところで飲み込んだ。
「――何だと?」
 極力抑えたアーサーの声に対し、クロノアは薄く笑った。
「笑っている場合か、武器密輸なんて――男爵は反逆でも起こす気か?」
「親王派の奴が、そんなことをすると思うか? おそらく、もっと別のことを企んでやがる」
「別のこと?」
「豊かに作り上げたとは言え、まだオリムは一都市に過ぎねえ。……エルマエルなんかに憧れる教養人が、このままこんな所で燻っていたいと思うか?」
「中央に出るために……? だが、そのために何故敵国から武器を密輸する? 親王派ならばどれくらいの厳罰か分かっているだろう」
「それは俺にも分からねえ。一体どうしてマークドから武器を密輸したのか……」
「大体、そのことは一体どうやって知った?」
「――アーサー。神殿騎士団の情報網なめるなよ? 俺たちだけじゃない、神殿を始めとして各地に神院はあるんだぜ? そこから、いくらでも情報は集まってくる」
 だが、クロノアはそこでため息をついた。
「だからこのオリムってのは厄介なんだよ。この町に入ってから、何かおかしいとは思わなかったか?」
「――そういえば、この町では――鐘が鳴らないな」
 時を告げる鐘は、神殿から各地の神院に配給される。神殿だけが造り方を知っていて、神院のある町という町にはその鐘があり、それがなくては時を知ることができない。
「半分正解、半分外れ。――ここにも鐘はある。あるんだが、聞こえにくいだろう」
 クロノアが言ったまさにその時、ごーん………………、と金属を叩いた鈍い音が耳に届いた。だが、それはアーサーが常日頃聞き慣れている神院の鐘とは全く違う、薄っぺらな音色。まるで児戯に等しい、軽い鐘の音だった。
「……神院の鐘が、ここにはねえのさ。正確には、神院自体がない。だから鐘がこんなにも響かねぇ。――神院自体がなけりゃ、必然と情報を収集できる手段は限られてくるだろう」
 面倒くせぇ、とクロノアは舌打ちしながら言う。
「おかげでユーリーのこともろくに掴めやしねえし。ったく、あいつらもくだんねー派閥作りやってる暇あんなら権力ぶちこんで神院の一つでも建てろってんだ」
 余程苛立っているのか、がしがしと頭を掻くクロノアにアーサーは静かに声をかけた。
「何にせよ、情報は壊滅的に少なく、ユーリーとやらがどこに捕らえられているかもはっきりしない。だが、間違いなくこの城にはいて、あるいは死体になっていて、それを確認するまではどうしようもない。――どう動く?」
「忌々しくなるほど面倒くせぇ状況だが……ユーリーに祟られるのだけは御免こうむるからな。武器を密輸するなんて大それた違反を犯してる以上、男爵たちが動く日も近いだろう。だが、逆に俺みたいなどこの馬の骨とも知れない語り部を招きいれたことから、まだ少し猶予はあると考えていい。だが、むざむざと時間を無駄に潰すわけにもいかねえ」
 クロノアの目を彩る漆黒の闇が、光った。
「今夜動くぞ、アーサー」
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