翡翠の騎士たち

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「この度はお相伴にあずからせていただきましてありがとうございます」
 クロノアは美しい都風の一礼をして、上座にいるベルナール男爵に言った。
「いや、父の招待した客人ならば、私の客人も同然だ」
「ありがとうございます。――申し遅れました、私の名はエリック・ベイントン。こちらは従者にして友のアーベルと申します」
「そうか。私は、第七代目ベルナール男爵、ユアン・エトナだ。どれほど滞在するかは知らぬが、できる限りもてなそう」
 クロノアはユアンと名乗った男爵を見た。
 三十数歳と見受けられる、大人しそうな男だ。ゆったりとした上物の服を着、いかにも文官といった、覇気のない面構えをしている。
 だが、その分狡知には長けていそうで、クロノアを見下ろす視線も打算めいたものを秘めていた。その証拠に男爵はアーサーの方に見向きもしない。
 良かれ悪かれ、従者というのはそういうものだった。クロノアもアーサーも、内心助かったと胸を撫で下ろしていたが、それは男爵の知るところではない。
「男爵様自ら名乗っていただけるとは、末代までの光栄でございます」
 クロノアはにっこりと笑って礼を言った。わざわざ名乗るところを見ると、案外律儀な性格をしているのかもしれない。貴族の中には自分の名前を知っていて当然とふんぞり返る輩がごまんといる。
「座りたまえ、晩餐を始めよう」
 その言葉と共に、後ろに控えていた楽師たちが弦を爪弾き、美しい音楽を奏で始める。
 男爵は尊大な態度で手を打ち合わせ、給仕たちに合図した。
 その内の一人が、晩餐用に整えられた長テーブルの前の椅子を引いた。クロノアは腰掛けると、優雅な手つきでナイフとフォークを握り豪奢な晩餐に手をつけた。
 それを後ろで眺めていたアーサーはまた瞠目する。
 優美なクロノアの動きはまるで、王侯貴族のように堂々としていて無駄がない。礼儀に則った、実に綺麗な動きをする。
 とてもではないが、村の宿屋で庶民相手に親しみやすい語り部を演じていた男と同一人物とは思えない。
 ベルナール男爵もそれには驚いたらしい。クロノアを見る目を改めて、
「驚いたな。君はただの語り部ではないらしい。実に雅な仕草だ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「誰かに学んだのだろう?」
「ええ。父が亡くなってから遠戚に引き取られたのですが、育ての父と兄たちが非常に礼儀に厳しい人でして。私を育てる以上は徹底的に教え込む義務があるのだと、随分と指導を受けました」
「ほう――それは良い父上と兄上たちを持ったな。非常に素晴らしい家族だ」
「父たちも光栄に存じましょう。今度里帰りをした時は、男爵様とこのお城の話を一番の土産にしたく存じます」
「ははは、この城はいいだろう。エトナ家が代々継いできた城だ。マークドと幾度となく衝突したが、一度たりとて落城したことがない。その事では歴代の陛下からも高く評価されている」
「それはこのお城が素晴らしいだけでなく、歴代の男爵様の指揮が素晴らしかったからでしょう。例え鋼の壁に槍で埋め尽くされた堀を持った城を持ったとて、指揮官が無能ならば城というものは砂の楼閣同然です」
「ほう?」
 面白そうに男爵は上等の葡萄酒を喉に流し込み、厚く切りとられた豚の肉を口にした。
 それを見ながら、そういえば腹が空いたな、とアーサーは思った。従者は主人と共に食事の席につくことなどできはしない。
 お前一人ばかりずるいぞ、とアーサーはクロノアを睨んだが、当の本人はその視線に気づいているだろうにどこ吹く風で話を続けている。
「例を挙げるまでもなく、愚将に仕えることほど悲惨なことはありません。吟遊詩人たちも詠うではありませんか。『無能の主を頂いて、日が落つるまではそびえた城が、日が昇らば影形もなく崩れ落つ。炎は町を焼き払い、恋人たちの嘆きの歌が満ち足りぬ。そして残るは黒の屍それのみ』……と」
 クロノアが諳んじてみせたのは古い戯曲の一節だった。余程の教養がなければ知りもしないその物語を抑揚をつけて語ってみせたクロノアに、男爵は初めて愛想ではなく唇をほころばせた。
「これは嬉しい。実に素晴らしい客人が訪ねて来てくれたものだ」
「エルマエルがお好きですか?」
「当世風の戯曲も好きなのだがな。やはり長きに渡って語り継がれてきた物語には格別の趣がある。何十年も地下の倉で保存した酒のような、そのような味がするのだ」
「なるほど、なるほど。さながら、この国に流れる王家の血のようなものですか」
 ベルナール男爵は楽しそうに声をたてて笑った。
「それはうまい事を言う。そう、その通りだな。王家の御血筋と酒蔵の酒とを一緒くたにしてはワルター神に天罰を下されるだろうが、古く、正しいものは良いということだ」
「そして味や人柄が良ければなおのこと、でございますか?」
「分かっているではないか」
 楽しそうに談笑する二人に、アーサーは無表情の影でおかしいと感じていた。
 神殿騎士団は王室の私物のようなものだ。神殿の主とも言うべき大神官長はまず間違いなく王族の中から選ばれる。そうやって神院の頂点に立つ神殿を牛耳る事で、クラナリアの王は代々神院を支配し、その神院を信仰する人々をも支配してきたのだ。
 神殿騎士団は、そういう意味合いでは親衛隊を除いたどの騎士団よりも王の支配に近い場所にいるはずだ。
 その神殿騎士団の傭兵が密命で動いている以上、てっきりユアン・エトナは王国の反逆者か何かだとばかり思っていたのだがそうではないらしい。
 男爵の王を語る口調は、熱心な血族信奉者そのものだ。
 一体ユーリーとやらは何故捕らえられたのか、王の命じるまま動くはずの家臣と傭兵が何故秘密裏に対立しているのか。
 考えなくとも構わなかったが、アーサーは神院に入ってそのやり方に慣れてからは感じることを制御してきた疑問心というものを確実に刺激されていた。
 何から何まで普通ではない依頼主に、かなり影響を受けているのかもしれない。
 クロノアと男爵は、アーサーには理解できない戯曲や詩の話を楽しげに話している。
 何でそんなものを知っているんだ、と昨日の朝に聞いたばかりのクロノアの生い立ちを思い出しながら訝しく思い、アーサーはそろそろ本格的に空いてきた腹をこっそりさすった。
 やがて、優雅な食事は済み、楽師たちが弾いていた音を下げる。
「どうだろう、エリック。君の話をもっと聞きたい。ここで一つ、腕を披露してはくれんかね?」
 口調こそ尋ねているが、男爵は断られることなど微塵も考えていない表情だ。
 もちろん、クロノアは否とは言わない。
「喜んで。――何かご希望はございますか?」
「そうだな。……今日は久しぶりに気分がいいのでな。良い酒のように、良い物語ならば何でもよい」
「ではこの国の、歴史の話を致しましょうか」
 単純な題材だけに、話し手の技量が問われるものだ。ただ単に歴史をなぞればいいわけでもない。だが、クロノアは自信たっぷりに自ら提案した。
「うむ」
 男爵が満足そうに頷くと、クロノアは一つ咳払いをして、クラナリアの歴史を朗々と語り始めた。
 知らず、その場にいたアーサーも、給仕たちも、その物語に引き込まれていく。
 それは、今彼らが立つ大地の、はるか昔、その成り立ちの物語。




 クラナリアは、当時西から迫ってきた強国、スウェルダに対抗せんと、同じく蹂躙される運命にあった、同規模の国と手を組んだ。
 サルサード、ティレスという国と三国同盟を結び、さらにはその下に十数もの小国を従えてスウェルダとの戦に臨んだ。
 その戦いは、およそ五年の長きに渡る。その年月は、スウェルダに存在する内紛の火種に火をつけるには十分だった。
 また、三国は間者を総動員し、スウェルダの王宮に潜り込ませ、あるいは武器商人として化けさせ、内部から少しずつ切り崩していったのである。
 やがて、大陸一の強国と言われたスウェルダは、内部からの崩壊によって自滅する。その時をもって、クラナリアはサルサードとティレスへの侵略を開始した。同時にスウェルダと戦う前から伏せさせていた間者を使い、サルサードとティレスに攻撃の一部をそれぞれの国によるものと認識させ、戦力を分散した。
 今度は三国間で国をまたいでのすさまじい攻防戦が繰り広げられる。
 しかし、長年の戦争で三国は互いに消費し尽くし、疲弊し尽くしていた。どこかの国がそろそろ倒れてもおかしくない、そんな時に事件は起こった。
 魔法使いによる、クラナリアの騎士、それも親衛隊長という王宮の守護者の暗殺である。
 同時に、サルサードとティレスでも魔法使いによる暗殺が発覚した。どちらも、互いの王国に不可欠な、重臣や王侯貴族であった。
 もはや戦争どころではない。内部の犯行と考えるよりも、恨みを買った覚えは三国とも敵国にあった。明日は自分が呪い殺されるか、と恐怖した三国の主要人物たちはあわてふためいて講和した。
 それを機に、魔法使いというものは冷遇されるようになる。そうして、それが決定的になる事件が起きた。
 クラナリアの国王が魔法使いの一人によって殺されたのである。
 それだけではなく、その魔法使いは当時の王都を半壊せしめ、民衆の恐怖をあおった。
 その魔法使いに関しては、ほとんど何の記述も残っていない。かろうじて、性別が男であったことと、その魔法使いが強大な力を持っていたことが古い話で伝わっているだけだ。王を殺害し、数多の民を巻き込んで都を破壊した理由についても、誰も知らない。
 何にせよ、当時の民草たちには脅威であったに違いない。ただでさえ、スウェルダの復活とこれ以上の戦争を恐れている国民である。あっという間にそれは魔法使いを排斥する動きにつながった。
 そしてそれは次第に大陸全土へと広がる。
 クラナリアは普段から蓄えを作り、平民からはある程度余分に資源を集めたが、出費を最大限に抑えていた。そして、何より国力の疲弊をおさえたのは、有能な家臣たちが崩御した国王の代わりに働き、また、騎士たちのみが動き平民が農業に専念できたことである。
 この史実があるため、クラナリアでは他国に比べて貴族への信頼が厚い。
 戦争で疲弊していたと言えど、条件が揃った国は復興の早さも並ではない。せっかく復興しかけたものを潰す魔法使いを、クラナリアは先頭に立って追い詰めた。
 時を同じくして、サルサードとティレスでは貧困への不満と王室への憎悪が爆発する。瓦解した国二つを、そうしてクラナリアは見事に手中に収めてみせたのである。
 それが大国クラナリアの始まり――年代にして、二百余年も昔の話である。
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