翡翠の騎士たち

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  13  

 突然、それは村を襲った。
 村の外から騎馬で仕掛けてきたのは、いかにも無頼者といった格好の男たち。
 彼らは火矢を放ち、あっという間に村の様子を一変させた。
 目の前に展開されるのは、地獄のような光景。
 村の要所には火が放たれ、煙が天を覆い尽くしていた。
 手に武器を取って戦おうとした者たちもいたが、盗賊団の数は遥かに多く、多勢に無勢という言葉がまさにぴったりだった。
 成す術もなく村が蹂躙されていく。
 呆然と立ち竦めたのは、僅かな時間だけだった。
 逃げろ、と誰かの声に背中を押され、無我夢中で走り出た。母の手に引きずられるように、アーサーは走った。
 絶叫と悲鳴、血の臭いと熱が村中を満たしていた。
 声が自分のものか、母のものか、あるいは他の村人のものか、それすらも判断できない。
 まさに、そこは地獄だった。
 途中、襲ってきた盗賊からアーサーたちを庇い、父が斬られるのをまともに目撃してしまった。
 それでも、アーサーの足は止まらなかった、止まれなかった。
 どこに逃げればいいのかも分からず、転げながら必死で逃げた。
 つないでいたはずの母の手は、混乱の中でどこかへ消え失せ、気づけばアーサーは小高い丘まで逃げていた。
 煙は遠く、まだ炎は追ってこない。しかし、見知った顔はどこにもいなかった。
 自分以外の人間を探して、周囲を見回したアーサーの目に飛び込んできたのは、紅蓮と煙の色の中ではためく旗だった。
 それは丁度村の入り口あたりで翻っている。
 その紋章は、見覚えがあった。
 村には存在しなかったが、町に行く度、物珍しさから訪れていた神院の旗。
 どの神院も太陽を象った紋章は同じだが、その後ろで二本の剣がしている。アーサーはそれが何であるか、知識として知っていた。
「神殿……騎士団?」
 シドゼス神殿騎士団。王宮の神院、唯一神殿の称号を得ることのできる聖堂に仕える、護国の騎士たち。
 家庭教師から聞いた単語が、無意識に頭の中で羅列されていく。
 どうしてこんな所に。ここは王都から遠く離れているのに。
 それでも、そんな疑問はすぐに打ち消された。
 その旗を掲げた、銀色に輝く戦装束の彼らは村を襲った盗賊たちを追い始めたからだ。
 助けに来てくれた。
 これで村は救われた、そう思ってアーサーはその場にへたりこみそうになった。
 安堵して力が抜けかけたのも束の間、アーサーは信じがたい光景を目の当たりにする。
 神殿騎士団は、盗賊を成敗し始めたが、それだけではない。
 逃げ惑っていた村人たちをも手にかけ始めた。
 アーサーは愕然として声も出なかった。
 我が目を疑い、何度も目を擦ったが、それでも眼前の光景は変わらなかった。
 悲鳴と血の臭いはますます濃さを増すばかりで、一向に収まらない。
 熱でからからに乾ききった唇で、アーサーは呟いた。
 何故。
 国を守るはずの騎士団が、どうして自分たちを殺すのだ。
 どうして、盗賊だけではない?
 つい先程まで穏やかそのものだった村は、殺戮の本能と死臭漂う戦場へと変貌していた。
 何故、とアーサーは声にならない咆哮を搾り出した。握り締めて食い込んだ爪が皮膚を破り、大地に赤い染みをつける。
 その光景を忘れまいとするように、心に刻み付けるように、アーサーは燃える村を見下ろした。
 どんな理由があったのか、その時のアーサーは知りもしなかった。
 だが、確実なのは、盗賊団も、神殿騎士団も、アーサーの仇であるという事だった。
 アーサーにはそれで、十分だった。
 その気持ちは、旅芸人の一座に拾われ、珍しい見世物として飼われること二年、やがてそこから神院に買い取られても、消える事無く未だに燻り続けている。




「……アーベル……おい、アーサー?」
 ふ、と目の前の暗闇が消えたような気がした。
 微かな呻き声を発して、アーサーは頭をもたげる。どうやら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
 クロノアがどこか心配そうな表情でこちらを覗きこんでいた。
「うなされてたぞ、平気か?」
 そうか、と呟いて、アーサーは額に手を置いた。じっとりと汗をかいている。どうやら、本当にうなされていたらしい。
 クロノアがまだこちらを見ていることに苦笑して、アーサーは呟くように言った。
「――村が燃えた時の夢を見ていた。最近はあまり見ることもなかったんだが」
「俺が余計な事思い出させたか?」
「まあ、それもあるだろうな」
 否定しないのな、と今度はクロノアが苦笑する。
「事実だ。お前と会ってからこのかた、俺は引きずられっぱなしだからな」
「はは、ま、それはしょうがない。俺と組んだ運命と思って諦めろ」
「ひどい雇い主だ。しかし……運命、か。随分都合のいい言葉だな」
「俺もそう思う」
 笑いながら同意したクロノアに、アーサーはふと疑問を呈してみる。
「お前、どうして神殿騎士団にいるんだ?」
「前に言ったろ? この国に飼われていればいい思いができるのは……」
「いや、そうじゃない。別に、傭兵を雇うような騎士団ならどこでもいいだろう。傭兵として生きるなら、この国を出ても良かったはずだ。それが何故、よりによって神殿騎士団なのかと思っただけだ」
 神殿騎士団は、彼にとっても憎むべき敵のはずだ。わざわざそこを選んだ理由が分からない。
 クロノアは、何故か薄く唇を歪めた。
「……簡単だ。多分お前と同じだと思うぜ、アーサー。拾われた先が、神殿騎士団だっただけの話だ」
 アーサーはその言葉に、少しだけ眉をひそめる。
「騎士団は孤児院の真似事もするのか?」
 自分たちでその種を蒔いておきながら、都合のいい話だと言わんばかりの口調だった。
「あー、違う違う、そうじゃねーよ。……単に、俺を拾った男が、神殿騎士団と深いつながりを持ってたってだけだ」
 その後は、想像に難くない。拾った恩を返す代わりに、神殿騎士団で働けと言われているのだろう。
 見返りは、今までの恩と、帰れる場所と、困らない食べ物。
 それに嫌気が差したとしても、神殿騎士団と関わりのあるような男だ、逃げてもすぐに追いつかれるだろう。
 結局、やはりこの男の立場もアーサーと変わらない。
「……そうか」
 アーサーは、それだけ言って、上体を起こした。
「――で、今日はどうする?」
「そうだな。とりあえず、できる限り城内見回って、案内を頼んで――こいつを埋めることを目標にいくか」
 クロノアは、手にしていたオリム城の地図を、ぽん、と叩いた。
 その日も翌日もその次の日も、二人は城内の見取り図を埋めることに専念した。可能性が一つずつ潰れていき、空白の方が少なくなってくる。
 昼は執事や召使いたちの案内で、夜は警備の目をかいくぐってひっそりと、ユーリーを探し続けた。
 しかし、見事と言っていいくらい見つからない。
 クロノアは傍目から見ても分かるくらい、日を追う毎に苛立っていく。
 それもそのはず、昼は虱潰しに城内を探索し、夜はアーサーと隠密行動、それに加えてベルナール男爵に毎日晩餐に呼ばれて物語を話しているのだから無理もない。
 黙って突っ立っているアーサーも大変だが、クロノアの労力はそれ以上だろう。
 絶えず機嫌を損ねないように機敏な受け答えをして、男爵の言葉から少しでも何かを引き出そうと常に頭を回転させていなければならない。
 疲れているのは、部屋に帰ってきてから少なくなる口数だけでも察することができた。
 だが、それでもクロノアは弱音を吐こうとはしなかった。
 オリム城に入城して四日目の晩、オリム城の地図は表面上一通り埋まった。
 だが、ユーリーがいる気配はない。
 クロノアは真っ黒になるまで色々と書き込んだ地図を見て、眉間に皺を寄せていた。
「……ありえねー」
「これだけ探してもいないなら、本当にいないんじゃないのか……?」
「いや、それこそありえない。あの執事がユリアに反応した以上、絶対いる、いなきゃおかしい。だが実際いる気配はなし……。ユーリーはどこへ消えた……?」
 ぶつぶつと呟いていたが、クロノアは不意に顔をあげた。
「……アーサー。俺たち、まだ行ってない所あるよな」
「それは幾つか。人の多い召使いたちの部屋付近や、主塔は行って……」
 そこまで言いかけて、アーサーはまさか、と口を噤む。
「……クロノア。まさか、主塔に忍び込むのか?」
「もう、それしかないだろう」
「だが」
「アーサー、元からな、ここに忍び込んだ時点から俺たちは命懸けなんだぜ。――腹括れ」
 自身はすっかり覚悟を決めたような清々しい顔だ。
 アーサーはどっぷりとため息をつく。
「……城主の部屋がある主塔は最難関だぞ……」
「しょうがない、もう諦めろ」
「……分かってはいるんだがな……」
 どうにも踏ん切りのつかないアーサーに、クロノアが重々しく腕を組んで言った。
「まあ、それも無理はないけどな。囮役は俺が引き受けるから」
「囮?」
「主塔の警備をなめるなよ。それも、牢にはいないと決まってるんだから、いるとすれば主人の部屋の近く。――まあ、つまりは最上階付近だな」
「頭が痛いな」
「全くだ。ユーリーの奴、もう少し人に迷惑をかけない方法ってのを教えこんどくべきだったか」
 お前が人の事を言えるか、とアーサーが白い目でクロノアを睨む。
 だが、クロノアはそれをあっさり無視して、アーサーに言った。
「んじゃ、ユーリーの特徴を教えとくぞ。顔は普通に綺麗、金髪で、ちょっといけ好かない硬い顔で――」
「ちょっと待て、何で俺がそのユーリーを探さなくてはいけない? お前が知り合いなのに、俺が行ってどうする?」
「じゃあお前、囮役できるか? 相手の目を引きつけつつ、捕まらずに待ち合わせの位置まで逃げてくる。もちろんその時には追っ手を撒いてる事が条件だ」
「……お前、できるのか?」
「言ったろ? 俺はやれもしねぇ事は言わねえ」
 自信たっぷりに言い切るクロノアに、アーサーは笑った。
 こんな台詞を、笑って言える事が自分でも意外だった。
「お前が失敗したら、俺も死ぬ羽目になるんだからな。気をつけてくれ」
「任せろ」
 返ってきたのは、命を懸けるにしては随分と軽く、楽しそうな言葉だった。
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