翡翠の騎士たち

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  37  

 月が、地上を照らしている。
 どこまでも続くような草原と、その横手に走る道。
 時折草むらの間から顔を覗かせるのは夜に活動する生き物たちで、狼のように危険性がある獣ではない。
 ろくに均されていない土の道を行く馬と荷に注意を向け、危害を加えるものではないと判断してか住処へと帰っていく。
 小動物たちが立てるかそこそという音を耳にして、クロノアは呟いた。
「状況が状況じゃなきゃ、のどかな風景というところなんだがな」
 二人の馬はそこそこ速く走っているが、全力でとはいかない。引いている荷があるし、夜に速度を出しすぎるのは危険だ。
「旦那様がそこまで切羽詰まっていらっしゃるのは珍しいですね」
「借りを作っちまったからな。なるべく早く返しに行きてえのさ」
 軽く言うクロノアに、エリックは微苦笑する。
「そんな怪我で、相変わらず無茶をなさるお人だ」
「無茶だけが俺の取り柄だからな」
「その無茶で一体何度勘当されかけているのでしょうね、あなたは。私たちの馘首もかかっているのですから、少しは緊張感を持ってください」
 嗜めるような言葉だが、エリックの口調に怒りや呆れはない。
 クロノアが選んだことならば、どんな結果が出ようと着いて行くと決めている声音だった。
「あなたがそこまでこだわる理由――単なる謀反ではないのでしょう?」
 エリックが、執事としての分を越える発言をした。
 公爵家という大きな権力に仕える者としては失格だが、クロノアは咎め立てしない。クロノアにこうやって協力してくれる時点で、エリックもただの執事ではない。
「聞いたら呆れるぜ?」
「どの道他にする話もありませんからね。代わりにご婚約者様のお話でもしましょうか?」
「いや……シシリのことは、今はいい」
 好悪とは関係のない、微妙な表情になりながらクロノアは目を逸らす。
 そんな主人に笑みながら、エリックは懐を探って木彫りの鳥を取り出した。
 アーサーがクロノアに救援をこれで求めろと渡した、彼の力がこめられた鳥だ。
「この持ち主は、魔法使いですか」
 笑顔を崩さないまま尋ねてくる執事に、クロノアは真顔になった。
 しばらく、馬の蹄鉄が地を踏み、車輪が回転する音だけが聞こえる。
「そうだと言ったら、お前は俺の手助けをしなかったか?」
「基本的にあなた以外の魔法使いは憎いもので」
 台詞と合わない優しい表情を浮かべたままエリックが言い、手綱を操りながら小鳥を器用に掌の中で弄んだ。
「あなたにとっては同類でも、私にとっては間接的に仇ですからね」
「それは向こうから見ても同じことだと思うぞ」
「そうですね。そうやって全ての争いがやめられるのなら、何といいことでしょうね」
「皮肉を言ってる場合か?」
 クロノアの語調にはうんざりした調子はあったが、鋭さはない。
「何故旦那様はこの緊急時に、他に幾つもある偽名でなく、『クロノア』の名前を使って依頼をしたんです? あの時の旅芸人の仲間の誰かが、もし魔法使いとして神院に匿われていたとしたら、自分の名前に反応してくれると思っているからではないのですか」
「エリック……お前のそれと俺のこれは、別に関係は」
「ありますよ。私の気持ちも、あなたの気持ちも、自分の根底になっていて動かせないものでしょう?」
 饒舌な己の下僕に、クロノアは嘆息した。何故ここまでよく喋るのか、何となく察したせいだった。
「八つ当たりはやめてくれ、エリック」
「あなたが勿体ぶって私に中々教えてくださらないものですから」
 思わず吊り込まれそうな穏やかな笑みで、辛辣なことを言う。クロノアを洞穴で見て愕然としていた男の表情とは思えない。
 先ほどとは違う意味合いのため息をついて、クロノアはぼやいた。
「何て執事だ、全く」
「元デルハイワー盗賊団の一員ですからね。そんな男を公爵家の執事にしたあなたご自身にも何て貴族だ、と言わせていただきましょうか」
 デルハイワー盗賊団の生き残り。
 クロノアの仲間たちが聞けば即座に剣を抜く。生きていられてはこの国にとって困る、そんな存在に対してクロノアはあっけらかんとした口をきいた。
「口が減らねえなあ」
「誰かさんを見習った結果でしょう」
 懲りずに減らず口を叩くエリックに、クロノアは沈黙で答える。
「気遣っていただかなくとも結構ですよ。あなたのご命令ならば例え神殿騎士団であろうと助けます」
 逆に気遣われていたことに、自嘲が頬に昇った。
 普段はそんな気回しをさせてしまうことはないが、今はそれだけ自分の気持ちに余裕がないのだろう。
「ハンフリーが謀反の張本人だ。マークドと組んで、魔法使いが存続していることをこの国の貴族共にばらまこうとしている」
 自分を駆り立てている一端の事実を伝えると、エリックは目を見開いた。
「ハンフリー・ゴードンですか? 何度かお屋敷にも見えた、あの人が?」
 意外そうな顔にどこか悔しそうな表情を滲ませ、面を伏せる。
 クロノアはまだ何か言いたげな面差しに、黙って次の言葉を待った。
「……驚きました。数回会っただけですが、そんな人には見えなかった」
 歩みが緩んだ馬に手綱の一鞭をくれて急かしながら、エリックは眉をひそめる。鋭い視線を向け、どこか詰問のような口調で言う。
「お気付きにならなかったのですか? 直属の部下である彼の造反に?」
 そんなことはありえない、とでも言いたげな執事の視線に、王国屈指の大貴族である主人は錆びた微笑みを浮かべる。
「俺も鈍ったもんだ。ほんの二月前まで共にいた男の変心にも気付かなかった」
「二月で、あなたが部下にする程信頼していた男が変わるものでしょうか」
「俺の目が節穴という可能性もあるな」
「そうやって自虐的なことを言えている内は、まだ大丈夫でございます」
 ふ、と呆れた息を吐いてエリックは真顔になった。
「あなたと離れたその二月で、何かがあったのではないですか。それまでの自分を覆すような何かが」
「そうかもな。今更考えても、何にもならねえが」
「殺す気ですか」
「機会は与えた。あいつはそれを拒んだ。もう引き返す段階は過ぎてんだ。だが……」
 いっそ気怠そうな調子なのは、内心の虚無感が引き起こしているせいだ。
 信じていた部下に裏切られたという衝撃は、思ったよりも精神に支障をきたしていたらしい。
 もう戻れない、殺し合う以外に道はなく、負ければクロノアの守りたいものが壊れてしまう。ならばどちらかが消えるしかない。その未来ははっきり見えている。覚悟はできているが、それでも、何かが引っかかる。
 感情的ではあるが、そんな男ではなかったとまだ心のどこかが訴えている。
「何か、見落としている気がする」
 釈然としない何か。覚悟や虚しさとはまた別の場所が、引っかかりを感じている。
 眉をひそめて呟くクロノアに、エリックはいとも軽く言い放った。
「でしたら、納得するまで突き詰められてはいかがです?」
 クロノアは目だけでその先を促す。
 エリックは国を揺るがす盗賊であったことなど微塵も感じさせない品のいい微笑みをクロノアに向けた。
「後々悔やんでいる旦那様を慰めるのは大変そうですから。使用人一同、気を揉みますので」
 実際後悔したとしても、そんなことを安々と他人に見せるはずもなく、安易な慰めを受け付けるような男でもない。
 熟知しているエリックなりの冗談に、クロノアはにやりと笑った。
 眼光に人を翻弄するような光を宿し、傍らの男と同じく軽口で応える。
「そうだな。お前に慰められてるようじゃ、俺はどの道納得してないだろうしな」
 いつもの調子をようやく取り戻した主人に、忠実な執事は微笑んだ。
「だからといって、また無茶はなさらないようにお願いしますよ。傷は塞がりましたが、まだ本調子ではないんですから」
 釘を刺すエリックから顔を逸らし、クロノアは馬が引く荷を振り返る。
「それにしても、かなりの量だな。何を持ってきたんだ?」
 完全に話を変えようとしているクロノアに嘆息しつつ、エリックは律儀に答えた。
「何と言われましても、かのご婦人に贈るものと、ディートリヒ伯ご自身への貢物です」
「それは分かってる、内容だ。よく短時間であれだけ用意したな?」
「一応、体裁は整えなければならないでしょう? まあ、うまく事が収まった暁には公爵様もお怒りにならないとは思いますよ」
 クロノアの頬が、やや引きつる。
「お前、どんなものを持ち出してきたんだ?」
「南方の珍しい香木、繻子の扇などを姫君に、お父上には柄に紅玉をあしらった剣と――」
「ああ、もういい、よく分かった。これで何も手柄を立てなかったら贈り損だ。今度こそ俺は兄貴に田舎で蟄居を申し付けられる」
 頭を抱えて呻くクロノアに、エリックは肩を震わせた。
「ディートリヒ辺境伯は、公爵家にとっていかなる機会でも機嫌を取っておいて損はない相手です。公爵様もこの程度なら見逃してくださるでしょう」
「俺を大人しくさせるためなら、あの兄貴はどんな口実だって使うからな……」
 公爵としては当然のことであり、自分が破格の無茶ばかりやらかしている自覚はある。だからといって好んで幽閉されたいはずもない。
「兄上も兄上だ。何であの人は俺にあそこまで構うんだ」
 クロノアは無頼者の口調になる時、ハーヴェイのことは兄貴と呼び、ヒューゴーのことは兄上と口にする。
 冷たくあしらわれるのも、ひどく構われるのも、どちらも気苦労が多い。
 ため息をついたクロノアに、エリックは他人事だからだろう、気楽な笑みを見せた。
「ヒューゴー様は血統を何より重視されますからね。おかげで私は見向きもされませんが」
「お前、俺とたまに立ち位置変わってみないか? 日当金貨一枚で手を打つぞ」
「少なすぎます」
「即答かよ」
「あのような気性の貴族と、私のような元盗賊ではそりが合うはずがありません。どれだけ積まれてもお断りですよ」
 あえて冗談に本気で返すような無粋をするところを見ると、まだ機嫌が悪いのだろう。
 仮にも主人に向かって不機嫌が原因で毒舌を吐くのは、執事としていかがなものだろうか。
 俺の周りには色物ばかりが集まる、と独り言のつもりで言葉を漏らすと、エリックが肩をすくめて返事をした。
「旦那様ご自身が色物ですからね。これから助けようとしている魔法使いも性格に難があるのではないですか?」
「間接的に自分の性格も悪いって言ってるの分かってるか、エリック? 言っとくが、お前に比べれば、アーサーの方が何倍も素直だぜ」
 愚痴にも近い会話の終わり、ようやく人の手がしっかり入った道が見えてきた。
 街道だ。
 大きな都市へと続く均された道は、さすがに夜半だけあって人影がない。
 街道へ合流する脇道が終わる、その付近で二人は馬を止めた。
「一度お休みになってください」
 ここまで二人で来たのは、不測の事態に備えるためだ。太い道に出れば自然と人とも出会う。もし何かあったとしても、エリック以外にも助けを呼ぶことはできる。
 だが、エリックはクロノアの体を慮って忠言を呈してきた。
「その暇はない。俺はこのまま行く。お前は夜明けまでここで待って、ディートリヒの領地へ向かえ」
「危険です。まだ本調子ではないことをお忘れですか」
 都市と都市を繋ぐ生命線のような道だ。充分な整備はされているが、夜目で見誤って道を逸れれば命取りになりかねない。今のように時間がないと注意力散漫になっている時はなおさらだ。
 ようやく余裕を消して心配の顔つきになってきたエリックに、クロノアは意地の悪い笑みをこぼした。
「やっとあわてやがったな」
「ヴァレッテ様、冗談をおっしゃっている場合ですか」
 目付きを険しくするエリックに、クロノアもふざけた態度をやめて真顔で答えた。
「第一に、さっきも言ったが時間がねえ。いつあいつらが行動を起こすか分からない。謀反が起きたら前線に食い込めなくなる。第二に、兄貴は間 違いなく追手を出す。俺はできるだけ早く王都につく必要がある。第三に――」
 言葉を途切らせ、クロノアは空を仰いだ。
「よりによって敵は俺たちのことをよく知っているハンフリーと、俺が一番敵に回したくないジャックだ。一刻も早く行く必要がある。寝るなら、連中が全員集まってくるまでに時間に休息を取ればいい」
 後で休む時間があるというのは、平常時なら無理を押す理由にもなる。だが、まだ快調ではないクロノアには、単なる言い訳に過ぎない。
 怒るか呆れるかするだろうと思ったが、エリックは意外にも嘆息一つで済ませた。
「旦那様はお止めしたところで、聞くような方ではないですからね」
「まあな」
「旦那様にお怪我の一つでもあれば、私がハーヴェイ様に殺されます。どうかそれまでにはお戻りください」
怪我は避けられないだろうが、無事に返ってきてくれ。
 素直ではないその物言いに笑いを噛み殺し損ね、執事から鋭い視線を投げられたクロノアは降参、と両手を上げる。
「分かってる、お前が兄貴に殺されない内に帰ってくるさ」
 そのまま軽く馬腹を蹴り、クロノアは街道へと進んだ。
 一度も振り返らなかった主を、元盗賊の執事はその姿が見えなくなるまで見つめていた。  
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