闇色遺聞

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  追憶 壱  

 卒塔婆に埋もれて、襤褸切れが転がっている。
 おや、と目を瞬かせてよく見れば、それは人の骸のようだった。薄汚く粗い目の布を身につけ、ぴくりとも動かない。
 卒塔婆は死者を祀るもの。まさか墓穴から這い出でたかと勘ぐったが、周囲にそれらしき穴はなかった。
 このご時勢、屍一つくらい珍しくも何ともない。普段ならそれすら風景と受け取って、すぐさま忘れ去っていたことだろう。
 だが、その時だけは何となく気になった。勘、と呼んでもいい。何故か、そのまま打ち捨てて置けない気がした。
 錫杖の鳴環を鳴らしながら、一歩、一歩と近づく。ほとんど見下ろすまでに近づいてようやく、何故捨て置けなかったかを理解した。
「生きているか? そこの人間」
 山伏は、からかうように軽快な声を発して、錫杖を逆さに向け、先で突いてみた。
 しゃんしゃんしゃん、と鳴環が場違いに陽気な音をたてる。
 突かれた小さな人間は、う、と微かな呻き声を出すとゆっくりと顔をあげて、こちらを見た。
「生きているか?」
 動いたのだから生きているという答えは得られただろうに、その山伏はにやにやと人を食ったような笑みで尋ねた。
 子供の方も、見れば分かる、などとは返さず、
「いきている。――はらがへった。ほどこしてくれ」
 掠れた喉から搾り出したような声で、食べ物をねだった。ぼさぼさと伸びて、結いもしない髪の中にうずもれた目が異様にきらきらと輝いていた。
「図太い童だ。お前を起こしてやっただけでも凍え死ぬことから救ってやったのに、これ以上救うことなどできるか」
「だったら、ノラはおまえのものをうばって、くう」
 山伏は首を傾げた。ノラ、と舌足らずな口から発せられたのが一体何を指し示すのか、皆目見当がつかなかったからだ。
「ノラ、とは何だ。お前の親分の名か?」
 野党の一味か何かだろうか、と思ったが、少女とも少年ともつかない童は首を振った。
「ちがう。ノラは、ノラだ」
 言いながら子供は自分の掌を自分の胸に当てた。それは、一人前の名前をもらった武家の子供が初めて名乗る様によく似ていた。
 山伏は、目を丸くする。
「ノラ――とはまさか、お前の名か」
「うん、ノラは、ノラのなまえだ」
 誇らしげに、ノラは微笑む。対照的に、山伏は苦りきった顔になった。
「人間はどうかしているのではないか? 子供に『野良』という名をつけるなぞ」
 だが、ノラは一向に気にする様子もなく、ぎこちなく手を差し出す。
「はらがへった。なにか、くうものをくれ」
「それが物乞いの態度か」
 呆れながらも、山伏はノラに対する興味が湧いてきたようで、その場に腰を下ろした。
 荒れ果てた地面の上に座り、背負っていた笈を下ろす。
 竹で編まれた笈を興味深げに見つめていたノラは、出てきた饅頭にぱっと顔を輝かせた。山伏の掌からはみ出すくらいに大きな、うまそうな饅頭だ。
「その前に、お前。どれだけ何も食べていない?」
「どれだけ?」
「日が何度も昇って沈むくらいの間、何も食べなかったのか?」
 ノラはこっくりと頷いた。山伏は納得する。それではこんな小さな子供は行き倒れるはずだ。
「では先に、これを飲め。水だ」
 腰に提げていた竹筒の栓を外してやり、ノラに渡してやる。ノラは宝物でも扱うかのようにそろそろと竹筒を受け取ると、おそるおそる口をつけ、少しずつ飲んだ。
 飢餓状態にあって急に飲食すると、体が拒絶を起こして最悪の場合死に至る。
 この年でそれを知っているということは、何度か身を持って経験したことがあるのだろう。でなければ、いくら頭で分かっていても食べ物を求める本能を抑えることは難しい。
 この子供の境遇が透けて見える気がした。
「ほう、飢えた後の飲み食いの仕方は知っているか、感心感心」
 山伏は謡うような調子で言い、ノラがゆっくりと全て飲み干したのを見ると、饅頭を差し出した。
「食え」
「ん」
 竹筒を丁寧に返し、ノラはこちらも遅すぎるくらいにゆっくりと噛んで食べる。
 その饅頭を残らず平らげてから、ノラはふう、と満足の息を吐いた。
「ヤマブシのくせにきまえがいいんだな」
「お前の会った山伏は皆気前が悪かったか」
「うん、とまったやつらはそうだった。ヤマブシなのに、カタナをもってオンナをつれこんでいた。でていくときは、ジニンにおわれていたりしたな」
 ジニンという舌っ足らずな物言いが、神人という単語に変わるまで少し間を要した。
 神人は神に仕える身、修験者である山伏とは折り合いが悪い部分もあるが、ただそれだけで追い出したりはしない。縄張りから他者を追い出す時は、利益を掠めとられる時か、庇護者にすがられた時と相場が決まっている。
 山伏はノラの話を聞いて、豪快な笑い声をあげた。
「はっはっはっ、それは本物の山伏ではないな。大方紛い物の祈祷師か、名を売るための兵法者の似非山伏に違いない」
「おまえは、エセではないのか?」
「ああ、俺もその一人だな」
 さらりと言ってのけ、似非山伏は自分も饅頭を口に入れた。
「実を言うとな、この饅頭も本当は俺のものではないのだ。ここを行った先の町があるだろう、そこの神社にあった供え物なのだがな、かっぱらってきた」
 平然と言って、男は饅頭を飲み下した。
 ノラは目を丸くして男を見上げる。
「ぬすんできたのか? シンバツがこわくないのか?」
「おお、怖いとも。神と呼ばれる連中は厄介きわまりないからな。人間の信仰心を得ていることをいいことに、呪いも神格化されるのだからやっておられぬわ」
 愚痴なのか、ノラには理解できない言葉をこぼしてから、男はにやりと笑った。
「だが、今はありがたいことに神無月だ。うるさ型の神どもは出雲の大社に集まって宴会に明け暮れておる。供え物をかっぱらったくらいで騒ぎはせん。せいぜい宮司が怒る程度だろうよ」
 楽しそうに言う男に、ノラは首を傾げた。
「カミさまに会ったことがあるのか」
「ある。会うのはしょっちゅうだな。下級の神にならすぐにでも会えるぞ。なにせ、ここは八百万の国。人が神と思えばそれが神になる国だ」
「ふうん」
 ノラはおざなりな返事をして、山伏の笈の中を覗き込んだ。
「こら、これ以上はやれんぞ。お前は旅の連れでも何でもないのだからな」
「けちなヤマブシだ。シュゲンジャはカミやホトケにつかえるんだろう。だったら、ほどこしくらいするものだ」
 男は、無礼な物言いにも怒らなかった。むしろ楽しげに笑い声をたて、ノラに言う。
「だから言ったろう。俺は山伏の格好こそしているが、山伏ではない。目の前で野垂れ死なれるのは後味が悪いから食い物をやったが、これ以上してやる義理もない。さっさとお前に施してくれる所にでも行くんだな」
 男は普段、人助けなどしない。ただ何となく行き倒れた子供を見かけ、生きていると分かったので気まぐれで施しをしてやっただけだ。
 冷たく言い放てば、この年頃の子は大抵怯える。だが、ノラは違った。
「……いくところなんて、ノラにはない」
 子供とも思えない冷徹な微笑を片頬に浮かべ、ノラは山伏を見る。
 饅頭を見て顔を輝かせていた子供とは別人のような、危うい煌めきのある微笑みだった。
「――ノラは、ヌヒだからどこにもうけいれられない。ヌヒだから、なにをしてもいいんだそうだ」
「何かされたのか?」
 奴婢は、この国に存在する民の中であらゆる面で最下層の人間だ。戦により乱取りされた、元から奴婢同士の子であったなどその出自は様々だが、売られるのも日常茶飯事、その生き死にすら自分で決めることもできないのが常だった。
「カワがはんらんして、ヒトバシラをえらぶことになったんだ。ゴシンタクが下って、ヌヒを、にじゅうにん――にじゅうにんだぞ、そんなにささげろって。どうして、あんなところのためにしななきゃいけないんだ。あんなの、キキンがおこったから、ジャマなごくつぶしをかたづけようってかんがえなんだ」
 ノラは、子供特有の声音と回らない舌の中に、大人顔負けの皮肉と冷たさを滲ませて呟く。
 他人から聞いたことを受け売りで喋っているのか、そうだとしてもノラは言葉が意味するところをはっきり理解しているようだった。
 防ぎようもない災難が起こった場合、まず人は神威を思い知る。そして神の機嫌を損ねぬように必死になる。その結果が人柱、しかし身内は可愛い。となると自然、殺しても情の湧かぬ者に目が向けられる。
 ――よくある話だ。
 男は同情の声もあげず、ただ静かに会話の続きを促した。
「それで? お前は逃げ出してきたのか」
「ううん。しずめられたんだけど、ながされてたすかった。イワにぶつかったらしくて、しばっていたナワがきれたんだ」
「それはまた、運のいい」
「うん。だから、がんばっていきのびようとおもう。けど、むらにもどったんじゃまたおなじことをされるにきまっている」
 要らぬ存在だというのは、己が誰よりも知っている。子供の目はそう物語っていた。
 しかし、そこに悲壮感や運命を呪う様子は微塵もない。
 嘆くしか能がない人間とは違うようだ、と男は少しばかり面白く思った。
「ではどうする?」
「おまえについていく」
 とんでもない発言にも、男はほんの少し眉を動かしただけだった。
「お前のようなお荷物を抱えていくような義理はないのだが?」
「だったらムリやりついていく!」
 にかっ、とノラは嬉しそうに笑った。男は肩を落として呟く。
「また珍妙なものと縁を持ってしまったな……」
 何となく捨て置けないと思ったのも、これも縁か。
 不機嫌になったのも僅か、男はノラに顔を近づけると殊更に意地悪そうな表情で尋ねた。
「もし俺が人売りならどうする? お前をかどわかしてまた同じ境遇に落とすかもしれんぞ?」
 精悍ではあるが、目付きは鋭い。略売を生業にする似非山伏と言われても信じる者は多いだろう。
 その顔をまじまじと見上げ、ノラは無邪気に一言を発した。
「オトコマエなんだな、おまえ」
「……あのな」
 まさかここでそう言う言葉が飛び出てくるとは思わなかった。
 激しく脱力した男に、ノラは一転して知性を感じさせる声で言った。
「ありえない」
 男も瞬時に表情を引き締め、元の性悪な声音で訊いた。
「ほほう? 何故?」
「だって、そのつもりならもっとアマいかおをするもんだ。ノラをくどくのにコワいかおしているのはへんだろう?」
「ふむ、なるほどな。ますますもって、ただの子供ではないな」
「そうだろう? それで、つれていってくれるのか?」
 不思議にきらきらと輝く目で見上げられ、男は腕を組んで唸った。
「ノラ、とやら。俺についてきて何をする?」
 ノラは、静かに口を開き、これ以上ないほど明瞭な声で、言った。
「いきる」
 男はその返事に深く頷き、にやりと笑った。少しばかり意地悪そうな、満足げな笑みだった。
「いいだろう、ノラ。俺についてくるがいい。ただ、その前に一つ大事なことを尋ねておく」
「うん」
 これ以上ないくらい真剣な表情で二人は向き合い、
「――お前、女か? 男か?」
「オンナだ」
「ふむ……ならばもう少し身綺麗にしなくてはな。俺の連れがこのように薄汚くては鴉天狗の名折れになる」
「カラステング?」
 ノラはきょとんと目を丸くする。
 男は、その様子に笑みを深めて言った。
「言わなかったか? 俺は山伏どころか人間ですらない。――怯えたか? 人間」
「ちっとも!」
 ノラはむしろ嬉しそうに笑って、怖がるどころか、なつくようにして男の方に寄る。
「そうか、ヒトじゃなかったのか、どうりでコワくないとおもった」
「……そう言われては、世の中の化け物どもの立つ瀬が干上がってしまうな」
 鴉天狗はほとほと呆れたように眉間に指を当て、楽しそうなため息を吐いた。
「そうなのか?」
「そうだ」
 きっぱり言い切ると、鴉天狗ははた、と手を打った。
「そう言えば名乗っていなかったな。俺の名は景秀かげひで。鴉天狗の景秀と言えば、仲間内でも有名な悪党だ」
「アクトウなのか」
「がっかりしたか?」
「ううん。どうせなら、ウワベだけのオトコより、オトコマエのアクトウにつきたいからな」
「お前は、何と言うか、人を――いや、妖怪をがっかりさせる名人だな」
「ありがとう」
「褒めてはいないぞ」
 景秀はしっかり釘をさすと、にやりと笑って立ち上がった。
「行くか、ノラ」
「うん」
 ノラはようやく立ち上がったが、ふらりと体を傾がせ、尻餅をついた。
「ん? どうした」
「チカラがはいらない」
「は、それは当然だな。しょうがない。乗れ」
 景秀は笈を手に提げると、肩を親指で示した。
 ノラはすぐさま呑み込んで、遠慮なく景秀の背中に覆いかぶさった。甘え方を知らない、獣のような乱暴さにさすがの鴉天狗も抗議をする。
「お前、力を入れすぎだぞ!」
「カラステングのくせにナマイキだぞ。はやくたってくれ」
「お前も人間のくせに生意気だぞ」
 軽口を叩きあいながら、風変わりな旅人たちは歩き出す。
 鳴環の音が遠ざかっていき、ようやく闇夜にその姿が溶け込んだ。  
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