翡翠の騎士たち

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  07  

 ――シドゼスの風に殉じよ。
 ダニエラに言っていた、あの合言葉の意味が、不意にアーサーの頭の中で符号した。
 銀貨百枚単位の袋を気前良く渡す経済力、匂わせていた情報網の広さ、傭兵が敬われている不思議な光景。
 そうか、と思った。そう考えれば、納得がいく。いままでその可能性を考えなかった自分がおかしかった。
「……くだらない話だ」
 もう一度、自嘲するように呟いたのは部屋に入ってからだった。
 馬鹿らしい。何が、と言えば自分自身だ。
「……所詮は使われる道具じゃないか」
 くっくっくっ、と喉の奥で嘲笑が漏れた。
 閉めた扉に寄りかかり、アーサーはなおも笑い続けた。
 同情ではない。ただ、幼い頃同じように旅芸人だったという彼に、仲間意識にも似た何かを感じたのは確かだった。
 得体の知れないところもあるが、付き合いにくいところもあるが、何となくその一事が、忘れかけていたアーサーの人間味をほのかに色づかせていた。
 それなのに。
(――裏切られた、と思うのは虫が良すぎるか……)
 勝手に、自分が期待しただけだ。
「くだらない……」
 舌打ちして、吐き捨てる。
「本当に、くだらない……」
 最後は、嘲りとも憤怒ともつかない、泣きそうな表情になった。
 そうして、アーサーは背を扉に預けたまま笑い続けた。
 子供のように、どうしていいか分からない、迷子の表情のまま。




「……何だよ、アーサー。しけた面してんな。二日酔いを百日続けたような顔だぜ」
 クロノアは、ほんのりと上気した顔で部屋の中に入ってきた。葡萄酒の臭いがまとわりついている。
 広間の観客相手に語り尽くしてきたらしく、興奮で顔が染まっていた。
 アーサーは身じろぎも返答もせず、ただ自分の寝台に腰掛けて床を見つめている。
「……どうした? 具合でも悪いのか」
 クロノアが怪訝そうに言って、アーサーの顔を覗き込もうとした。
 瞬間、アーサーが顔をあげる。その鋭い、斬りつけるような目つきにクロノアは動きを止めた。ゆっくりと、一歩後ずさって、低く問う。
「――本当に、どうした? アーサー」
 アーサーは何がおかしいのか、肩を細かく震わせて笑った。
「どうもしない。少しうたた寝をしていたのが、急に覚めただけのことだ」
 決して愉快そうではない笑い声をたてるアーサーを見て、クロノアは一つため息をつくと、自分の寝台に腰掛け、アーサーと向き合う。
「……何でそんなに怒ってるんだ」
「怒っているものか」
「目が怒ってるじゃねえか」
 その言葉に、ぴたりとアーサーは震えを静めた。青色の、冷えた瞳にちらつく炎を乗せてクロノアを睨み、口を開いた。
「――お前、神殿騎士団の一員か」
 シドゼス神殿騎士団。
 それは、神院の本拠地である神殿付きの、引いては王家の私物とも言える騎士団の名だ。通称は神殿騎士団と言い、本来の名であるシドゼス騎士団の名で呼ばれることは滅多とない。
 その上、シドゼスと言う名はもう一つの意味を持っていて、アーサーが気づくのが遅れたのもそのせいだった。
 もう少し早く気づいていれば無様な感情をさらけ出すこともなかったのに、とアーサーは内心自分に腹を立てていた。
 神殿騎士団は、神殿という富と権力を兼ね備えたものを背景にした、特にアーサーたちのような者にとっては忌むべき敵の本拠地と言ってもいい。
 クロノアはアーサーの視線を受けてもなお、泰然と会話を続けた。
「やっぱりそれが原因で怒ってるのか。そうじゃねえかとは思ったんだ」
「……答えろ、お前、あのシドゼス騎士団の一員なのか?」
 声が氷のように鋭く凍っている。
「シドゼスが……神殿が憎いのか? 神官のお前が?」
「うるさい、神殿の狗」
 冷ややかな声に、クロノアは軽やかな笑い声をたてた。
「神殿の狗ねえ。そうだな、その通りだ。俺はシドゼス神殿騎士団の一員だ」
「雇われ傭兵か……」
 騎士団は、正規の騎士だけで構成されるわけではない。一口に騎士団と言ってもその種類は様々で、特に神院付きの騎士団では人数と兵力を補うため、金で傭兵を雇っているのだ。それは、神院を統括する神殿でも変わらない。
「……俺は、神院も神殿も大嫌いだ」
「だったら、逃げ出せば良かったんだ」
 その一言に、アーサーは思わず床を蹴ってクロノアの胸ぐらを掴み上げていた。
 間近に、真っ直ぐに、アーサーはクロノアの底知れない闇色の瞳を覗き込む。
「……逃げ出せば、良かった、だと?」
 心臓が脈打つ音が聞こえてくる。忌まわしい思い出が甦る。
 眉を跳ね上げ、奥歯を噛み砕きそうなほど噛みしめて、アーサーは絶望とやりきれない想いを腹の底から吐き出した。
「お前たちが何を言う! よりにもよって、シドゼス騎士団のお前たちが!!」
「……アーサー。何を思おうと、どう俺のことを言おうとお前の勝手だがな。……宿屋で大声あげるのは感心しねーぞ」
 軽薄な声に、アーサーは掴んでいたクロノアの服を振り払った。
「……くだらん」
 吐き捨てて、寝台に座ったアーサーは、浅い呼吸を繰り返し、言葉を繰り返した。
「……全部、くだらない。いっそ、あの時死んでいれば良かったんだ」
「ふざけるな、アーサー。そんな台詞、冗談でも言うな」
 今度は、クロノアの声が氷柱の冷たさと鋭さを持ってアーサーに落ちる。
 先ほどまで村人や旅人相手に話していた声音とも表情とも違う、容赦の一辺もない氷点下の温度を伴った口調だ。
 だが、アーサーも負けてはいなかった。黒く煮え滾る憎悪を、まともに目でクロノアにぶつける。
「ふざけてなどいるものか。命を軽んじたのはどちらだ? クロノア。ただ――ただ、魔法が使えるということがそんなにおかしいか。常人より風の声が、海の声が、山の声が聞こえるからどうだと言うんだ。お前たちだって、天候を読むことくらいできるくせに。大地の声を聞いて、占うことがおかしいか。自然の恵みを利用することが、そんなに異常なことか。お前たちは神を信じるくせに、魔法のことなんて信じもない。神も魔法も変わらないのに――俺たちに、あんな地獄を見せた」
 荒い息をついて呪いの視線を浴びせてくるアーサーに、クロノアは平然と言った。
「そういう恨み言は、神様にでも言うんだな」
「ああ、聞いてもらいたいね、ただ残念ながら俺は神も王も信じちゃいないんだ、お前くらいにしか言う相手がいないだろうが!」
 言い切ると、アーサーは寝台に転がった。クロノアの視線を避けるように、あえて反対の壁際を向いて寝転んでいる。
 クロノアはやれやれと息を吐くと、アーサーが窓際に置いていた蝋燭の火を吹き消した。
「蝋燭だって高いんだ、無駄遣いするなよ」
「うるさい、雇われ傭兵」
 間髪入れずに尖った声が返ってきて、クロノアは苦笑し、自分の寝台に転がった。
 ぎし、と安物の寝台が軋む音がして、それきり部屋から音が途絶える。
 時折、広間からまだ騒いでいる人々の声や、窓から何の鳥のものとも知れない声が聞こえてくる他は完全なる静寂だった。
 月がささやかな光を窓からアーサーの頬に投げかけた。
 まだ胸の昂ぶりが収まらず、目を開けていたアーサーは、その光を見て思い出す。
 月の歌を教えてくれた人がいた。
 海の笑い声を聞かせてくれた人がいた。
 風の踊りを、土の語る歴史を、獣たちの物語を、紡いでいた人たちがいた。
(何が、いけなかったと言うんだ)
 拳を握り締め、唇を噛みしめる。とめどない洪水のような想いを嚥下して、目を瞑った時だった。
「おい、まだ起きてるか? ひねくれ神官」
「……何だ、神殿の狗」
 そちらを見ずとも、声を殺して笑っているのが分かった。
「何を笑っている」
「いや、ひねくれ者はお互い様か。単にお前がガキの頃の俺にそっくりだと思ってよ」
「……誰が誰に似てるだと?」
「お前が、俺の子供の頃に」
「何で俺がお前の、しかも子供時代に似なくちゃいけないんだ。馬鹿馬鹿しい! 大体、お前いくつだ?」
「二十三」
「ほら見ろ、俺の方が年上だ」
「へぇ? お前何歳だ?」
「二十四だ」
「たった一つかよ? 自慢になるか!」
「元から自慢なんかしてないだろうが」
「いいや、自慢したね。年齢上なら俺の子供の頃に似てちゃいけないってのか?」
「いちいち腹立たしい奴だなお前は。何で二十四にもなって子供に似ていると言われなくちゃいけないんだ」
「事実を言っただけなんだがな? ――お前、神官ってことは親に死に別れたんだろ。いくつで亡くなった?」
 アーサーが反射的に起き上がって抗議しなかったのは、クロノアが亡くなった、と言ったからだった。
「……そんなもの、答えは逆算すればすぐに出るだろう」
「やっぱり……あの戦か」
「それ以外に何がある?」
「……やっぱり、俺たち、似た者同士かもな」
「まだ言うか」
「あの戦のせいで――この国のせいで、俺は父親を亡くした」
 冷えた息が喉を通った。頭に上っていた血が静かに降下していく。
 思わず寝返りをうって、アーサーはクロノアを見た。
「……だったらどうして、こんな国で、神殿騎士団の連中に仕えてる? どうせ、今回の仕事だって連中の後始末じゃないのか?」
「ま、否定はしねえよ? 俺らは上の言う通りに動くのが仕事だからな」
「だったら何故、逃げようとしない」
 言って、アーサーはハッと口を噤んだ。
「これでおあいこだな、アーサー?」
 今度ははっきりと、クロノアが笑うのを視認した。アーサーは自分の失言に苦い顔になる。
「逃げようと思えば、そりゃ逃げられるさ。ただ、逃げたところでその先に何がある? それはお前も同じだろ? まあ、俺はお前に比べれば傭兵だから自由だけどな。――俺だって、恵まれてるさ。上を見てもきりはねえが、下を見てもきりがねえ。飢えることがないだけ、ましってもんだろうな。それに、このクラナリアは有数の大国だ。飼われていれば、おいしい汁が吸えるのは間違いない」
「……お前、その口の悪さはわざとなのか? 俺を怒らせようとしてるのか、父親仕込みなのか、一体どれだ?」
「全部だ」
 即答したクロノアに、アーサーはため息をついた。
「……お前と話していると疲れる」
「そうか? 話し上手の聞き上手だと、よく褒められるんだがな」
「だったらそこに俺の相手をしている時を除く、という文句を付け加えておけ。……お前に文句を言っても仕方ない、明日も早いんだ、今日は寝る」
「ま、何かが腹にたまってる時は吐き出しちまうのが一番さ」
 はっ、とアーサーは呆れとも苦笑ともつかない息を吐き出して、また寝返りをうった。
「おやすみ、ひねくれ神官」
「おやすみ、雇われ傭兵」
 不思議な気分だった。
 胸につっかえていた黒い澱みが、波でも引くようにして表から消えてしまった。もちろん、胸の中から消えたわけではない。だが、ここまで姿を見せないのは、神院に入って以来初めてだった。
 今夜は、何故かぐっすり眠れる気がした。




 アーサーが静かに寝息をたてているのを、クロノアは聞いていた。
 眠っていると分かって、クロノアは心底困ったように独りごちる。
「……これは……まずいな」
 月の光が眩しいくらいに反射させている銀色の髪を眺めながら、アーサーが起きていても気づかないくらいの声音で呟いた。
「……アーサーにばれたら、俺、殺されるな」
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