翡翠の騎士たち

BACK | INDEX | NEXT

  08  

 その日は、秋晴れの空が広がる何の変哲もない日のはずだった。
 小麦畑がさやさやと風に揺れ、村人たちはいつものように太陽と共に起き、平和な一日が過ぎると信じて疑わなかった。
 突如として、あの男たちが現れるまでは。
 彼らはその武力をもって、ほぼ一瞬で何もかもを村から奪い去った。
 そして、あの戦は後にこう名づけられる。
 デルハイワーの戦。
 悪逆の限りを尽くしたデルハイワー盗賊団を討ち取った神殿騎士団の英雄たちの話は、今もなお、語り草になっている。




「んーっ、いい天気だ!」
 アーサーは、薄ぼんやりとした暗闇の中から、のんきな声に引きずり出された。
「天気で良かったぜ。曇りなら雨の心配をしなきゃならねえし、雨なら進めねえしな」
 陽気な声は間違いなく旅の連れのもので、アーサーは薄目を開ける。
 木目の天井が目に飛び込んできて、同時にクロノアの顔が間近からひょいと現れた。
「おっ、目が覚めたかアーサー」
「……覚めたから、そんな風に近くに寄るな、気色の悪い」
「ひでぇ言い草だ」
 クロノアは笑いながら顔をどけ、自分の荷物を整理し始めた。
「天候が順調なら、明日にはオリムにつけるだろう。――いい仕事を期待してるぜ、アーサー。いや、アーベル?」
「……分かっている。要するに俺はあまり喋らなければいいんだろう」
「そうそう。念のため確認しとくぞ。エリックは自分の父が治める領地に興行に来た旅芸人一座のアーベルと意気投合して、アーベルを一座から引き取った」
「それ以来、半分友人で半分従者という形でエリックの傍にいる――だったな?」
「そ。後は俺がうまく誤魔化すから、お前は牢にいる奴を助けることだけを考えててくれ」
「そのことだがな、クロノア。これから助けようとしている奴のことを教えてくれ。――お前は、そいつの事をどう思ってるんだ?」
「どう、とは?」
 クロノアがシャツの首元を整えながら返事する。
 アーサーも起き上がり、着替えながらの会話だった。
「そいつの事を命がけでも助け出したいのか、俺が犠牲になってもいいのか――そういう意味で、どう思っているか、だ」
 クロノアは呆れたように振り返って、アーサーを見る。
「お前、俺が死ねって言ったらそうするのかよ?」
「どうだかな。今まで依頼主にそう言われたことはないからどうか分からないが」
 少々投げやりな口調だった。
 言われた通り、硬貨を小分けにする作業を行うアーサーに、クロノアは同情とも哀れみともつかない視線を向ける。
「……アーサー。お前、神院がどうの、シドゼスがどうのと言う前に、自分を大事にした方がいいんじゃねえのか?」
「大事に……?」
 アーサーは、考えたこともない、というように首を振って硬貨を小さな袋に詰め分ける。
 かちん、かちん、と哀しい金属音が鳴った。
「……ま、それがお前の生き方なら文句つけるつもりはねえさ」
 クロノアはそれ以上言及せず、窓から外を見上げた。
「捕らえられてると思われる奴の名前は――ユーリー。俺の知り合いで、王宮に仕える親衛隊の一人だ」
「……友人か?」
 神殿に仕える騎士団である以上、シドゼスも王宮に本拠地を置く。王宮を守護する親衛隊の面々と親しくてもおかしくはない。
 だが、クロノアは首を振った。
「友達じゃない。むしろ、俺の友人の方がユーリーを助けたがってる。俺としても、ユーリーを助けたい。だが、俺がユーリーを助けるために死ぬのは問題外だ。お前が死ぬのも、俺としてはできる限り避けたい」
「だが、保証はできない、と」
「当たり前だ。命を懸けた秘密の仕事だ。一体何があるか分からねえし、人間なんて意外に呆気なく死んじまうもんだからな」
 暗い闇色の瞳が、波をたてたように見えた。
 その目が一体どこでどれだけ人の死を見てきたのか、アーサーは少し薄ら寒いものを背筋に感じる。
 だが、それも一瞬のことで、クロノアは笑顔の中に真剣なものを滲ませて振り返った。
「とりあえず、城の中に潜入してから行うことは三つ。ユーリーの居場所を突き止めること、脱出方法を考えてユーリーに伝えること、これが最も大事なことだが――ベルナール男爵に気に入られること、だ」
「それはお前の仕事だろう? 俺は気に入られるような受け答えができるとは思えないからな」
「もちろん、俺は全力でベルナール男爵のご機嫌をとるさ。だけどな、お前もある程度は、不機嫌にならない程度には会話してくれよ。従者が何も喋らないとなれば、普通は何か企んでいるのか、変な奴と思われて不機嫌になられるかのどっちかだ。まあ、もし話しかけられたら、だけどな」
「……とは言ってもな。俺はお前のように語り部の修行をしていたわけでもないし、神院ではほとんど人と話さなかったからな」
「待て待てアーサー。俺は、別に語り部だったわけじゃねえぞ」
「違うのか?」
「俺は、父親が旅芸人の一座に雇われて傭兵をしてたんだ。だから、俺のはその一座にいた奴の真似事だ」
「……真似でそこまでやられては、本職の語り部が泣くぞ」
 クロノアの話術を、一体誰が真似で始めたものだと分かるだろう。
 それくらいに堂に入り、見事としか言い様のない技術を、この男は身につけていた。
「正確には、弟子入りできない弟子だったのさ、俺は」
「どうしてだ?」
「聞きたいか?」
 にやりと笑ったクロノアに、反発心が少し刺激されたのは確かだが、好奇心の方が勝った。
「――興味がないと言えば、嘘になる」
「素直に知りたいって言えよ、アーサー。……まあいい。俺の親父はな、傭兵で剣一本に生きてる男だった。息子の俺にもそうしろと、まあそういう訳だな。親心といえば優しいが、当時は何で語り部になってはいけないんだと猛反発してな。こっそり一座の語り部の話を聞いたり、稽古してもらったりはしてた。そうこうしてる内に、あのデルハイワーの戦だ。……何の因果か、俺はなりたくもなかった傭兵になって、生計をたててるって訳さ」
「なるほどな」
 珍しくはない話である。だが、アーサーが何か言う前に、クロノアはやんわりとそれを遮った。その話はここで終わりだ、という意思表示だった。
「……っと、話が逸れたな。今はそれより、ユーリーを助ける方法だ。おそらく、ユーリーはオリムの地下牢に捕らわれている。牢番を騙すか昏倒させるかしてユーリーを助け出すのが今考えてる方法だ」
「荒っぽいな」
 非難するような口調に聞こえたのか、クロノアはおどけて言ってみせる。
「おいおい、アーサー。その場合はお前にも力を発揮してもらうことになるんだから、準備は整えておいてもらわねえと」
「いつでもそれは万全だ」
「それは頼もしいねえ」
 軽口を叩いたその時、行商人がクロノアたちを朝食に誘う、遠慮がちなノックの音がした。




 天候は晴天と呼べる空が続き、絶好の旅日和が続いた。
 アーサーとクロノアは、予定通りその翌日の昼にはオリム城下に到着した。町をぐるりと取り囲む防壁の中に守備兵の検閲を受けてから入り込み、市場に到着すると行商人と別れの挨拶をした。
「またご縁がありましたら、エリックの旦那、アーベルさんも」
「こっちこそ、またどこかで会ったら酒でも酌み交わそう。その時はとっておきの葡萄酒を奢るよ」
「そりゃ楽しみだ、お二人にどうぞワルター神のご加護がありますように」
「――ユレタ神の加護があるように」
 アーサーは静かに呟いて、額に左手を当て、右胸に当て、一礼する。
 神の加護を願う、という意味のお決まりの仕草だ。
 ワルターは天地を創造し、その妹であるユレタは人を創造したと言う。故に、旅の人々はその二神に加護を願い、創造主の機嫌を損ねないよう無事に過ごせることを願うのだ。
 行商人も頷き、同じ仕草を繰り返すと、雑踏へと荷馬車を引いて消えていった。
 その後ろ姿を見送ってから、クロノアは「さて」と呟く。
「――いよいよだぜ。気合入れてけよ」
「……ああ」
 二人の視線の先には、賑わい店を並べる大きな町と、その基盤となった堅固に石でできた城がそびえている。
 決して華美でも壮大でもないが、先代の先代の、そのまた先代の男爵からの所有物である。田舎とは言え、国境付近にあって一度たりとて落城しなかったというその城だ。
 そこにたった二人で乗り込み、人一人を奪取してこようと言うのだから恐れ入る。
 そこまで考えてアーサーは自分もその一人であることを今さらながらに思い出し、そっとため息を落とした。
 そんなアーサーに、クロノアは城へと続く道を歩きながら至って気楽に話しかける。
「こんな話、知ってるか?」
「何だ?」
「あのオリム城は少々曰くつきでな。先代のベルナール男爵が無茶な施政をしてたのはお前も知ってるだろ? あの城の中には理不尽な処刑をされて死んだ民衆の恨み辛みが澱んでたまっててなあ……」
「そういうおどろおどろしい話を、どうして、よりによって今言うんだお前は!」
 眉尻を逆立てて怒るアーサーに、クロノアは心外だとばかりに口を尖らせた。
「俺は固くなってるお前の緊張をとるために話してやっただけなんだが……」
「余計に固くなる! お前はもう少し常識を学んでこい!」
「金の持ち方もろくに知らないようなお前に言われたくねえな。お前こそ常識学んでこい」
 何を言うかこの雇われ傭兵。
 喉元までそんな言葉がせり上がってきたが、アーサーは忍耐力を総動員して口に出すことを堪えた。
「……とにかく! あの城でユーリーとやらを助け出したら俺は即座に神院に帰るからな」
 ぎりぎりまで抑えた声音に、クロノアは歯を見せて笑う。
「おお。無事に済むように、それこそユレタ神にでも祈っときな」
「お前もな」
 軽口でも、互いにどれほどの難事かは分かっている。
「よし、行くか」
 あくまで余裕を崩さず、クロノアは警備をしている城の門番に、堂々と話しかけた。
 微かな緊張を孕んで、アーサーは今回の敵と言うべき城を見上げている。
 その耳に、密かな開戦の狼煙となる、クロノアの声が聞こえた。
「私は、オリム城主ベルナール男爵様に用があり参上した。城の方にお取次ぎ願いたい」
BACK | INDEX | NEXT
Copyright (c) 2009〜 三毛猫 All rights reserved.
inserted by FC2 system