翡翠の騎士たち

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  09  

 オリム城主、ベルナール男爵は執務に追われていた。
 民からの訴状に目を通して適切な判断を下し、近隣の領主と会合して物資の流通量を決め、関税のことで苦情を言ってくる者たちに謁見する。
 息をつく暇もない量の仕事をこなしていた男爵は、執務机の前で書類に目を通していた時、執事が控えめに入ってきたことで中断を余儀なくされた。
「失礼致します、旦那様」
「どうした。また先代のお抱え商人たちが苦情でも訴えに来たか?」
「いえ、お父上のお知り合いと名乗る語り部の方が参っておられます」
 初老の執事は恭しく一礼しながら用件を告げた。
「父上の知り合い? しかも語り部――悪いが、そんなものに関わっている暇はない。適当に理由をつけて追い返せ」
 普段ならばこれで大人しく命令を実行する執事だが、珍しくさらに言葉を重ねた。
「ですが、彼らは生前お父上に王宮にてお会いし、正式なご招待を受けたと。さらに、語り部の方は王宮にて様々な茶会などにお招きをあずかった、一流の語り部であると自称されております。――もしも本当ならば、追い返せば王宮の方々に角が立ちましょう」
 ベルナール男爵は顔をしかめ、執事に訊いた。
「それが騙りではないと証明できるものは持っているのか?」
「いえ。しかし、語り部の方はおっしゃいました。バルタス殿下の誕生祭の宴にて、剣を模った紋章を縫い取った、紺の麗しき衣装をまとわれていた男爵様のお姿を拝見し、お言葉を頂いたと」
 舌打ちしたい衝動をかろうじて封じ込め、男爵はそれをため息に変えた。
「父上も、付き合う相手くらい選ぶ才能はお有りだっただろうに」
 剣を模った紋章を縫い取った、紺の衣装。それはベルナール男爵家の正装であり、滅多とまとわれないものである。
 クラナリア王国の後継者であるバルタス王子の誕生祭であれば、父はもちろんそれを着て宴に出席しただろう。
 死んでなおこれほど迷惑をかけられるか、と暗澹たる思いで男爵はもう一度だけ息を吐いた。しかし、さすがに数年で町を興した領主である。執事に命じた時には、既に打算と体面を考慮した、一城の主の顔になっている。
「その者を、今宵の晩餐に招待すると申し伝えよ。その者が王都に戻るかどうかは知らぬが、せいぜい我が家の風評を落とさぬようなもてなしをするように――それから、くれぐれも例の秘密は悟られぬようにな」
「かしこまりました」
 執事は今度こそ主人の命令に従い、入ってきた時同様静かに立ち去った。




「素晴らしいお城だ――私はこれほど堅固な城を、王都以外で目にしたのは初めてです」
 人当たりのいい笑みで、黒髪の若者がまんざらお世辞でもなさそうに城壁を見上げて言った。
「そうでございましょう。このオリム城は、幾代か前のベルナール男爵様がいつ隣国から攻められてもいいようにと、特に気を配ってなわばりをなさったお城でございますから」
 執事も物柔らかな態度でクロノアの言葉に答えている。
 差し支えなければ城内を見学させていただきたいと言ったのはクロノアだった。語り部として、客人として当たり前の願いだったが、狙いはユーリーとやらを探すことだとアーサーにも分かっていた。
 そのアーサーは、先導して案内する執事、それに着いていくクロノアから一歩退いた、従者としての位置で二人に続く。
 アーサーは、二人の話を聞きながらもできる限り耳を澄ませて、不審な物音や声が聞こえないか、あるいは何かそれらしきものが見えないかと見学するふりをしながら探していた。
 一方、クロノアは目線をあちこちに動かしながらも執事と熱心に話している。
「それはそれは。ベルナール男爵家と言えば、王国に比類なき忠誠心の持ち主として有名であられますからね。確かに、いつマークドが攻めて来てもこの城ならば十分持ちこたえられるでしょう」
 しきりと頷きながらクロノアはさり気なく城壁に触る。
 どうだ? と目配せしているのが分かり、執事に見えないようアーサーは首を振った。
 いくらアーサーが魔法使いでも、石の声を聞いて居場所を突き止めるのは難しい。
 クロノアはそれを確認すると、再び執事との会話に戻る。
「私も職業柄色々な地方を渡り歩いて参りましたが、ベルナール男爵様の高名は他の地方にまで響き渡っています。数年で町を興した辣腕のお方と、すこぶる評判ですよ」
「それは、仕える者として嬉しゅうございます」
 執事はあくまで召使いとしての分を守った笑みを浮かべ、クロノアに言った。
「よろしければ、庭の方もご案内させていただきます。今は庭師が丹精を凝らして咲かせた百合が見頃でございますが」
「おお、それは実に嬉しい。何しろ、道中はむさ苦しい男二人旅でしたもので。せめて女性の代わりに、美しい花を見て心を洗いたいものです」
「お望みならば夜にこそ艶やかに咲く、美しい百合をお目におかけ致しますが」
 女性をお世話いたしましょうか、という婉曲な言葉に、さすがにクロノアは笑って辞退した。
「いえ、お気遣いは痛み入りますが、結構です。真に残念ながら、私には将来を誓い合った人がいるのです。義理立てする訳ではありませんが、非常な悋気持ちでして。万が一にも彼女に知れたら、私は神院に駆け込んで一生神官として暮らさなければならない目にあうでしょう」
「おやおや」
 執事はおかしそうにくすりと笑った。結婚する前からこれでは先が見えているとでも思っているのだろう。
「しかし、こちらの従者殿と私が口を噤んでいれば未来の奥方には永遠に分からぬ謎なのではありませんか?」
「その通りです。ですが、我が友にして従者であるアーベルは、嘘がつけない人間でして。ユリアに問われれば、ありのままを答えてしまうに違いありません」
 その時、僅かながら執事の表情が強張ったように、アーサーには見えた。
 不審に思ったのも一瞬、執事はにっこりと笑って言う。
「ユリア、とおっしゃるのですか、奥方は」
 クロノアは笑顔のまま執事の言葉に頷いた。
「ええ。あの悋気さえ直してくれれば、非の打ち所がない、素晴らしい女性です。そういえば、ベルナール男爵様は、三十過ぎと伺っております。まだ奥方の噂はお聞きいたしませんが、いかがなのでしょう?」
「今までは、先代男爵様であるお父上の喪に服されていたのと、領地の管理に追われて中々そういうお話を具体的に進めることができなかったのです。もうそろそろ、と我々も口を揃えて申し上げているのですが……それどころではない、今は領地の経営を第一にと仰るのです」
「それは……お察し申し上げます。もしよろしければ、私も微力ながらお手伝いさせていただきます。今夜の晩餐で、男爵様が私にお話をお望みでしたら、結婚と言うものがいかに良い方向に人を変えるかという話をお聞かせいたしましょう」
「それは実にありがたいお申し出でございます。男爵様は魅力的なお方で、頭脳明晰なお方ではあるのですがその一事だけを理解なさろうとは致しません」
「それは、男爵様だけではなくこの地方の、いいえ、王国全土への損失です。このエリック、及ばずながら、お力添えさせていただきましょう」
 表情を引き締めてクロノアは執事に重々しく言い、執事もありがたそうに頭を下げた。
 大真面目に言っている様子のクロノアに、アーサーはこれは演技なのか本気なのか、と半分呆れながらそのやり取りを見つめていた。




 ひとしきり見学という名の偵察で城の内部を見て回った後、二人は旅塵を落とすため風呂を借り、用意された新しい服の一式を身に纏った。
 簡素だが、しっかりと丈夫な厚手の生地で、縫い目も実に細かく手が込んでいる。少なくとも少し枝に引っ掛けたくらいでは破れそうにない。客人への配慮が行き届いていた。
 風呂の後は用意された客間に案内され、クロノアは立派な寝台が整った客室を、アーサーはその隣に位置する小者用に割り振られた部屋をあてがわれた。
 従者用に作られた部屋と客間は繋がっていて、外の廊下を介せずとも自由に行き来できるようになっている。身の回りの世話をする従者には当然の造りだった。
 晩餐の準備が整い次第お呼びします、と言い残し執事が去ってしばらくして、大部屋からクロノアが辟易した顔をしてアーサーの前に現れた。
「参った、枕が柔らかすぎて寝れやしねえ」
「だったら俺のと替えてやる」
 客人用と従者用では一段階もてなしの質が違うのである。
 アーサーは窮屈な芝居から抜け出し、寝台に腰掛けたままぐったりとクロノアに言った。
「――見張りはいないだろうな?」
「たかが語り部にいちいちつけるかよ。好機だぜ、アーサー。……っと、何かお前気づいたか?」
 クロノアは肩をならしながら尋ね、アーサーは首を振った。
「全く何も。俺が見た限りでは何も不審な様子はなかったし、牢と思しきものも見当たらなかった。お前は何か気づいたか?」
「ああ、とっておきの収穫を得た。――ユーリーは間違いなくこの城の中だ」
 そういえばそこからがまず問題だったな、とアーサーは疲れきって肩を落とした。
「それは、さっき言っていたユリアとやらと関係が?」
「鋭いなアーサー。その通り。まあ分かる奴が聞いたら分かる程度だが――はっ、二流執事が。考えを読まれるなんざ執事の風上にも置けねえ。その主人の底が知れるってもんだぜ」
 しかし、とクロノアは指で顎を叩きながら熟考する。
「……アーサー、この町に入ってくる時、逃走経路は考えたよな?」
 アーサーは昼過ぎに行商人と別れた時のことを思い出しながら頷く。
 オリムの町は、少々険しい斜面を削ってできている。背後には斜面の大元である急峻の山があり、前方を真っ直ぐ横切るように、太い川が流れていた。横に抜ければ身の隠し場所のない平原だ。
「ああ。まるで天然の要塞だ。逃げるのは難しいだろう」
「確かにな。川に架かってる跳ね橋を上げられたら、俺たちは出ることすらできなくなる。それ以前に、城の造りが丈夫過ぎる。別に攻め落とすわけじゃないが、ここを出るくらいの突破口は見つけておかないとまずい。できれば警備の兵の交代時間なんかが知りたいが――できるか?」
「その前に、ある程度範囲を決めておいた方がいい。どこを抜けるか、あらかじめ目星がついていた方がいいだろう」
「そうだな。――城から抜けるとすれば、召使いたちに紛れて、その通用口から抜け出す方法が一番手っ取り早いだろうな。正面突破じゃ無理があるし、裏は険しい山で抜けられそうにもない」
 アーサーは頷き、腰に提げた袋から小さな木片をいくつも取り出した。それは良く見れば鳥を彫ったものだと分かる。
「今すぐやるか?」
「頼む」
 アーサーは目を閉じ、神経を集中させると掌に載せた小さな木の鳥たちに、静かに息を吹きかけた。
 途端、動かないはずの木像の鳥はその翼をはばたかせ、窓から外へ飛び出していった。
「これで、大体のことは分かるはずだ」
「便利なもんだ。――まだ残ってるか?」
「ああ」
 何かに使うのか、と新たな木の鳥を袋から取り出したアーサーに、クロノアは掌を向ける。見せてくれ、という意味らしく、アーサーは素直にクロノアの手にその木像を乗せた。
 しげしげと小さな鳥を眺めたクロノアは、感嘆の息を漏らす。
 それは精緻の一言に尽きる、筋の一本一本までまるで生きているかのように美しい造形品だった。
「これは……すごいな。お前、神官なんかやめて彫り師になればいいじゃねえか。才能あるぜ?」
 無邪気に賞賛してくるクロノアに、アーサーは何ともいえないむず痒さを首筋に感じた。記憶している限り、こんなことで褒められた覚えもなければ、役に立った覚えもない。
「手慰みにやっていただけだ。それに――そんな才能があっても……俺は神官だ」
 無意識に口走った諦めの言葉に、しかしクロノアは楽しそうに返事をした。
「じゃあ、神官で彫り師だ。レイトクレルになら装飾店はいくらでもあるだろう。その内の一つに、神官が彫ったご利益のあるもんだ、って売りつければいい儲けになるぞ」
「お前な……それじゃ詐欺だろうが」
「だったら、本当に幸福なり魔よけなりのまじないをかけて売ればいい。なーに、上役だって止めやしねえさ。学者で神官だったりする奴なんていくらでもいるんだからな」
 何でもないようなことのように言ってみせる傭兵に、魔法使いの神官はとうとう笑い出した。
 アーサーは、心底おかしそうに、顔を歪めて声を抑えながらも肩を震わせて笑い続ける。
「おいおいどうした、笑い茸でも食ったか?」
「違う、お前がおかしなことを言ったからだ」
 眉をひそめて訊かれ、アーサーはようやく笑いを引っ込めて答えた。
「俺は今まで化け物だの人に非ずだのと言われてきたがな、彫り師になれと勧めてきた人間はお前一人だ」
「そりゃ見る目のねえ人間どもだ。俺なら真っ先にお前に勧める職業なんだがな」
 とぼけた表情で言われて、アーサーは再び口元を歪め、あわててそれを押さえた。
「別に笑ったって構わねえじゃねえか、アーサー。どうしてそんなに遠慮する?」
 アーサーは、今度は眉間に皺を刻み、
「……百も承知のお前に言われたくはないな」
 魔法使いを秘密裏に育てている神院がまともなはずもない。アーサーは常日頃から感情を抑圧されることに慣れて生きてきたのである。
 そのことを、雇う側のクロノアが知らないとも思えない。
 だが、クロノアがそれについて反論する前に、二人の耳に足音が届いた。
 ここからは遠いが、間違いなくこの階の廊下から聞こえてくる。時間的に考えておそらく二人を呼びに来たのだろう。
 クロノアは素早く内側の扉を通って客室へ戻って行った。
 はたして、ややあって聞こえたノックの音は、晩餐の準備が整ったことを知らせるものだった。
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