翡翠の騎士たち

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  17  

 自分のかけた魔法が、破られた。
 その気配に、はっ、と男は息を呑んで顔を上げた。
「……どうした、ゴードン」
 男爵に訊かれて、傍に控えていた中年の男はあわてて頭を下げた。
「門番が破られたようです」
「何?」
「見て参ります」
 立ち上がったゴードンを制したのは、ベイフォード卿だった。
 手でゴードンを押し留め、尋ねる。
「確か、王宮親衛隊の一人を捕らえてあるとの事でしたな?」
「ああ、何者かが破ったらしい。巡回の兵にはあそこを通らないように言いつけてある、内部の者の仕業ではないはずだが……」
「そんな真似ができる者が、そうそういるとは思えない」
 ベイフォード卿の言葉に、ベルナール男爵は頷く。
「だから、早急にゴードンを向かわせる必要がある。――この場から外すのはやむを得ない」
「待っていただこう。――私も向かう」
「何?」
 ベルナール男爵に、竜騎士という最高位を与えられたジャック・ラトレルは笑顔を向ける。
 竜すらも殺す、狩人の笑みだった。
 二十歳にも満たない、少年とすら呼べるような年齢の男とは思えない威圧感だった。
「ゴードンの腕は私も知っている。それを破った者相手ならば、一人よりは二人だ。どちらにせよ、ゴードンがいなくては話にならん。私も行こう。すぐに戻る、エトナ殿はこのまま待っておられよ」
 異存は認めない声だった。十以上も年上の男爵が気圧されている。
 返事を待たず、ベイフォード卿は立ち上がった。
 フードをかぶり、颯爽と裾を翻してその小屋の外に出た。あわててゴードンがついてくるが、ベイフォード卿は全くそれに頓着せず、すたすたと歩く。
 薄い月明かりの下、二人の足音だけが響いていた。ややあって、ベイフォード卿は立ち止まって訊いた。
「……おい」
「はっ」
「気づいているか?」
「……は?」
 心底訝るような声に、ジャック・ラトレルは舌打ちする。
 剣の柄に手をやって、闇に向かって呼びかけた。
「――この男が気づいていないから、俺が気づかないとでも思っているのか?」
 ゴードンも、一拍遅れてそちらを見た。
 何の変哲もない分厚い城壁の影の部分、そこに積み上げられているのは煮炊きに使うための薪である。
 その影に向かって、ラトレルはさらに言い募った。
「それとも、名前を呼ばれるまでは出てこられないか――クロノア?」
「心外だな。その名で呼ぶな、と何度言えば分かる?」
 闇から、ふわりと人影が立ち上がった。
 闇色の瞳と、漆黒の髪、均整の取れた体の青年――クロノアだった。
 厳しい顔つきで、柄に手をかけている。今にも抜きかねない気配だった。
「それは失礼した」
「思ってもいない事を口にするな、竜騎士。敵国の貴様がどうしてここにいる」
 いつもとはがらりと違う、突き刺すような口調だった。傭兵然としていたぶっきらぼうな調子は微塵もない。まるで騎士のような喋り方だった。
 隣国における最高位の騎士に向かって、恐れ気も畏敬の念もなく、クロノアは吐き捨てるように尋ねた。
 だが、ラトレルは、無礼な、などとは言わない。うっすらと笑みを浮かべて言った。
「それこそ心外だ。マークドとクラナリアには、今現在講和が結ばれている。敵国と呼ばわるからには、クラナリアは腹の中に一物あると見てもいいのか?」
 嘲笑に、クロノアは同じく嘲りをもって応じる。
「和議を結んだ国の城に、密入国してくる奴がどこにいる? 城の外に停まった馬を見たぞ。ご丁寧に荷駄付きだ。恐らく中身は武器だろう?」
 ゴードンが身を硬くする。それに対し、ラトレルは楽しげに笑った。
「貴様がどうやって入り込んだかは知らんが、ご苦労な事だ。いちいち貴様がやるまでもない密偵の役だぞ。わがままで王位継承権もない王子のままごとに付き合っているとは、貴様も哀れというよりは奇怪な男だ。望めば栄達など思いのままだろうが」
「望みもしないのに、その位置を手に入れざるをえなかった貴様には言われたくない台詞だ。ベイフォード卿」
 ベイフォード卿は、その言葉に表情を消す。
 しばし、嫌な沈黙が場を支配した。
「――何にせよ、見られた以上生かしてはおけないな」
「やれるものならやってみろ、と言いたいところだがな。勝手にそんな事をしたら、ベルナール男爵の不興を買うのではないか? どうやらあの男は、血統にご執心の様子だからな」
 ベイフォード卿ジャック・ラトレルは迷いも笑いもしなかった。
 ただ、すらりと剣を抜き放った。
 切っ先は鋭く、細く鍛えられた刃がぎらりと月の光に反射する。見ただけで血を吸っていると分かる、極上の剣だった。
「心配するな、俺がそんな下手をうつような人間なら、竜騎士などという腐りきった居場所にはいない」
「なるほど」
 頷いて、クロノアも剣を鞘から走らせた。
 どこにでもあるような、やや幅広の長剣だ。決して名剣とは言えない、ありふれた剣だった。ラトレルの持つ業物に比べれば、貧相に見えるのは間違いない。
 緊張が対峙して、冷や汗を風がさらう。
 どちらかが斬りかかると思われたその時、それまで控えて口を出さなかったゴードンがベイフォード卿に言った。
「申し訳ないが、私にその方のお相手を譲っていただけませんか」
「!」
 その声を聞いて、クロノアは目を見開く。
「貴様……まさか」
 クロノアの声に応えるように、ゴードンはフードを下ろし、目礼した。
「……お久しぶりです。このような形でまたお会いするとは思いませんでした」
「――なるほど。国内で見つからないわけだな、ハンフリー。隣国に魂を売ったか、裏切り者」
 挑発的なクロノアの言葉に対して、ハンフリー・ゴードンは静かに首を振る。
「いいえ、決して。私は例えどのような形を取ろうとも、この国のために戦うのみです」
 真摯な声で紡がれる言葉に、しかしクロノアは静かな怒声を返した。
「同胞殺しが国のためか。その上、事もあろうに敵国から武器を密輸とはな。愛国の士が聞いて呆れる。貴様のやった事はただの犯罪だ」
「そして貴様もな。クラナリアの民が貴様たちのしている事、した事の半数を知れば暴動を起こすぞ。それが例え、クラナリアの利益につながるものだとしてもな」
 ラトレルは会話に割り込み、刃の先を真っ直ぐクロノアに向ける。
「ゴードン、お前は先に行け。この男が一人で入り込んだとは考えにくい。誰か連れがいるだろう。そいつを連れて来い」
「……しかし」
「こいつとお前では相性が悪い。それはお前が一番分かっているはずだ」
 言うと、ラトレルは何の前触れもなくクロノアに斬りかかった。殺気すら感じさせない、自然な動きだった。
 一拍遅れて、互いの剣がぶつかり合う金属音が響く。
 腰を落とし、ぶつかったその衝撃を利用してベイフォード卿はクロノアの剣を真横に払った。
 跳ね除けられた勢いが刀身を伝って柄にまでびりびりと響いてくる。
 額から冷や汗が飛んだ。
 クロノアは一旦後ろに下がり一瞬で体勢を立て直すと、剣をラトレルに向かって突き出した。
 だがラトレルは、常人ならば串刺しになっている速さをかわし、再びクロノアの剣に自分のそれを振り下ろす。
 竜騎士は鍔迫り合いになっている間も余裕の表情を崩さず、振り向かないままゴードンに話しかけた。
「――行け。さっさと行かなければ、貴様が苦心してきたものは全て台無しになるぞ。感傷が通用するような相手か、この男が?」
 ゴードンは佇んでいたが、その言葉に背を押されたか、フードをかぶり直して踵を返した。
「……っ、待て、ハンフリー!」
「他所見をするな、貴様の相手はこの俺だ」
 力がさらに増し、危うく剣が傾ぐ。
 ラトレルは酷薄に笑って、焦るクロノアに言葉で追い打ちをかけた。
「安心しろ。その連れもお前も、もうすぐ同じ場所に辿り着く」
 ぎりぎりの所で上にも下にも滑らない均衡を保ちながら、ラトレルはさらに重ねる。
「貴様に残された時間は僅かだ。警備の兵が来るまでに俺に勝ち、ハンフリーを倒せるのか? そもそも、それまで生きていられるか、貴様は?」
 挑発だと、焦りを誘発させるための言葉と分かっていながら、クロノアは内心の不安が加速していくのを止められない。
 理解している事のはずなのに、見捨てる事にも見捨てられる事にも慣れているはずなのに、焦る。
 あの男を、死なせたくはない。
「ちぃ……っ!」
 唇を噛みしめ、心中で悪態をつく。
 背中を、悪寒が駆け抜けた。




 アーサーは、隠し戸を開けて思わず目を見張った。
 そこは廊下で、奥の扉へと続く一本道になっている。
 窓はなく、薄暗い闇の奥に、扉の姿がかろうじて見えるだけだ。扉には何重にも鎖がかけられ、錠前がつけられている念の入れ用だ。
 一瞬ためらった後、アーサーはその廊下へと足を踏み出し、扉に向かって歩き出した。
 自分の足音が辺りの壁に反響し、鼓動の音が耳元でうるさく鳴っている。
 さほど距離がないため、すぐ辿り着いた扉の前で、アーサーはノックをした。
 扉は、丁度顔の高さあたりが格子になっている。
 格子は簡単に取り外しができるようになっているので、恐らくここから食事を差し入れたりするのだろう。
 その格子から、冷徹な、少年のような声音が聞こえた。
「言ったはずだぞ、私は貴様らには協力などしない」
 その言い方はどこか尊大で、貴族のものだと聞いただけで分かる。
 アーサーは半分確信しながら、声を発した。
「……あなたが、ユーリー?」
 王宮の親衛隊にいるような貴族相手に、クロノアに対するような口調はまずい。
 少し軟化した敬語で話しかけると、訝るような声が返ってきた。
「貴様は、この城の者ではないのか?」
「私は、クロノアという者と一緒に、あなたの救出を命じられた者です。――今すぐ出られますか?」
「クロノア……? まさか、あの方がここに!?」
 がたん、と扉が揺れて格子に影が映った。格子の隙間から見えた顔は、存外若い。
 アーサーが咄嗟に思い出したのは宿屋で会ったダニエラだった。彼女もこれくらいの年齢に見えた。
 男物の簡素な服を着ていて、どこにも縛られたり繋がれたりしないでいるところを見ると、ベルナール男爵はクロノアの予想通り、監禁はしたが丁寧にこの人間を扱っていたらしい。
 しかし、アーサーは違和感を覚えていた。内心首を捻りながら、問う。
「本当に、あなたが……ユーリー?」
「ああ、間違いない。あなたは本当にル……クロノア様のお連れなのか?」
 親衛隊の連中から様付けとは、余程慕われているらしい。
 だが、そんな事に頓着している暇はなかった。
「はい。お疑いならば本人に会ってください。――今、ここの鍵を開けます。時間がありません、早く――」
 言って、錠前を魔法で壊そうと呪文を唱えかけたアーサーを、ユーリーが遮った。
「お待ちを。――私に構わず、あの方にお伝え願いたい。私はここにいる限り安全だ。ベルナール男爵に私を害する気はない。それよりも、もっと大きな危機が迫っている」
 眉をひそめたアーサーに、ユーリーは告げた。
「神殿騎士団の裏切り者が、男爵と組んでいる。男爵は、マークド皇国から購った武器で叛乱を起こす気だ。ぐずぐずしていると、手遅れになる。大規模な火種になる前に、早く手を打たなければ」
「叛乱……?」
 予想以上の規模に、アーサーは思考が止まる。
 しかし、それ以上の衝撃がアーサーを襲った。
「ベルナール男爵は……魔法使いを使って、叛乱を起こす。秘密を……魔法使いを、神院を使ってこのクラナリア全土に匿っている事を、諸侯に暴露する気でいる」
 後頭部を鈍器で殴られたような気分だった。
 呼吸すらする事を忘れた。
 今、ユーリーは何と言った?
 クラナリア全土?
 神院を使って、匿っている?
 どういう事だ。
 神殿騎士団が、魔法使いたちが閉塞的に暮らしていた村々を襲ったのは、恐れていたからではないのか。
 その排除した者たちを掬い上げて、子飼いの神院に保護させる意図は何だ。
 まさか、と考えが浮かぶ。
 それすらも仕組まれていた事だったのか。
 ユーリーの言葉は、アーサーたちレイトクレルのユレタ神院だけではない、他の神院でも同じような事が行われていたと言っているように聞こえる。
 それが本当ならば、アーサーたち七人ではきかない。もっとたくさんの魔法使いが、このクラナリアで暮らしている事になる。
 自由を奪われて、神院の言いなりになる、鬱々とした日々を過ごして。
 考えられたのは、僅かな間だった。
 背後で足音がした。
 後方への注意を怠った己を叱咤する間もない。
 圧倒的な質量が、アーサーを飲み込んだ。
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