翡翠の騎士たち

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  28  

 その日は、秋晴れの空が広がる何の変哲もない日のはずだった。
 立ち寄った村の小麦畑は揺れていて、旅芸人たちが出て行くことを惜しんで見送りに来てくれた村人たちもたくさんいた。
 また来ておくれ、と何人もの声が背を打った。
 だから、クロノアは手を振って笑顔で叫んだ。
 また来る、必ず来るからそれまで元気で。またご馳走を期待してるから。
 今度来るときには、俺は語り部になっているから……。その言葉だけは、胸の中に押し込めた。
 ――そしてその約束が果たされることは、なかった。




「デルハイワー盗賊団……クラナリア全土にその名前を轟かせた、悪名高き盗賊団だ。あれがいたことは嘘じゃない。奴らは王国中にその根城を作って、当時の役人たちを煙に巻いてたそうだ」
「――だから、そいつらをけしかけ、俺たちの村を襲わせたんだろう。そうすれば、そいつらがどこにいつ出没するかも把握できる。――俺たちはそう、レイトクレルの神院長に教えられた」
 いつの間にか、狼は焚き火の傍にうずくまっていた。どうやら争い事の気配が収まったと見て安心したらしい。
 枝の爆ぜる音が、時折会話の中に潜りこむ。
「ああ、その通りだ。デルハイワー盗賊団は何も知らなかった。ただ、使われただけだ。――これから先、自分たちの活動をある程度役人たちは黙認する。その代わりに、反逆者が潜伏している村、旅芸人に扮している間者、屋敷に定住している奴らを襲えというのが、口上だったらしい」
「そんなことを、盗賊団は信じたのか?」
「信じるような状況だった。デルハイワー盗賊団と役人たちの決着は長い間ついていなかった。双方共に疲弊していた状況下で先に国側が折れた――そんな風に見えたんだろうな、あいつらには」
「……それで、俺たち魔法使いを殺すために利用されて、結局口封じのために神殿騎士団に殺されたのか」
「神殿騎士団側には、デルハイワー盗賊団と同じような内容が伝えられたらしい。王国への反逆者に制裁を加える。そのために盗賊団を利用しろ、ってな――神殿騎士団の連中も、デルハイワー盗賊団の連中も、知らなかったさ。自分たちが襲っているのが、まさか二百年前に死滅したはずの魔法使いだなんてな」
 クロノアはそこで軽く言葉を途切れさせた。傷の痛みがぶり返したのか、熱のせいで朦朧としたまま喋っているからか。
 アーサーは口を挟まず、無言で続きを促した。
「……デルハイワー盗賊団は襲撃を繰り返した。魔法使いのいる村、魔法使いがいた旅芸人一座、魔法使いが住んでいた屋敷。おそらく、お前が神殿騎士団を見たというなら、お前の村は最後の村だったんだろうな。――クラナリアは、どうして、そんなことをしたか知ってるか?」
「怖かったんだろう、魔法使いの生き残りが。自分たちに報復することが――」
「……だったらどうして、もっと早くにしなかった? 大陸中で魔法狩りが行われてからずっと、魔法使いたちがこっそり生きていることを黙認し続けていたわけは?」
「急に知れたんじゃないのか? だから滅することを決めて――」
「魔法使いの村を全て把握できるか。村だけならともかく、当時脅しをかけて生き残った連中の子孫は論外として――旅芸人として生き残った連中までどうして知ってる? ――答えは一つだ。最初から、仕組まれてたんだよ」
「最初? ――一体、いつの話だ」
「二百年前」
 口にされた言葉は、あまりにも重いものだった。
 アーサーは弾かれたように洞穴の壁にもたれかけさせていた身を起こして、クロノアを見る。未だ地面に横たわったままのクロノアは、その反応が目に入っていないかのように虚ろに続けた。
「――唯一だ。唯一、大陸間の国同士が協議し、合致した案。それが、魔法使いの排斥だった」
「ばか、な。二百年? 二百年の――どこからだ?」
 一人の人間が受け止めるには重すぎる年数に、アーサーは混乱の収まらない頭で尋ねる。
 クロノアは、熱に浮いた目を静かに閉じて、口を開いた。
「……クラナリアが、まだ大国としての力を持っていなかった頃だ。西から侵攻したスウェルダに対抗して三国協定が結ばれて、その終結も間際という頃に――魔法使いによる暗殺が相次いだ」
 クロノアが、オリム城の広間でベルナール男爵に語っていたことが思い出された。この国の民なら誰でも知っている歴史。だが、とてつもない秘密がそこにあるのではないか。
「やがてクラナリア国王暗殺に続き王都は悪しき魔法使いによりて半壊す――」
 いつだったか神院で読んだ歴史書の一節を口走ると、クロノアもそれにかぶせるように声を出した。
「されど賢明なる民と騎士との力によって国は生き、悪しき魔法使いは潰えたり、そしてまた正しき主君は君臨せり……。何故、生きられたと思う? 中心である王都が半壊するほどの打撃を受けて、どうして? たった一人の魔法使いのためにそこまでされて、どうしてクラナリアは滅びなかった? どうして、戦争で浪費しつくしたはずの国庫に復旧の余裕があった? ――簡単だ。仕組んでたんだよ、全部、自分で。クラナリア国王が暗殺された後には、当然代替わりが起きる。一体誰がその座におさまったか知ってるだろう。有能な家臣たちに推挙されて、本来なら一生日陰者で終わるはずだった男――」
「……キルディール、王。暗殺された国王の――腹違いの、弟」
「ああ。キルディールは、恨んでいた。兄を、クラナリアを。自分が妾腹だから国王になれないことを。だから国内と国外の混乱を通じて、王の座をもぎ取った」
「それと――それとこれと、どう関係がある?」
 血で血を洗う王位継承争いなど珍しくもない。そのせいで国が滅んだ例などいくらでもある。その二百年前の陰謀劇に、一体魔法使いの何が関わっているというのか。
「――その二百年前の魔法狩りが、お前たちの村が襲われた理由だからだ。キルディールの案に、当時の大陸の国家は軒並み賛同した。当時、魔法使いは普通に人間として扱われていて、貴族の中にも平民の中にもいた。だから――血が、薄くなりすぎた」
「血……?」
「魔法の系譜は、血によって継承される。……貴族と一緒だ。貴族で近親婚が多いのは違う階級層と交わることが褒められた行為じゃないからだが、魔法使いの場合もそうだった。色んな層と混じりすぎて、魔法使いの血が結果的に薄くなっていた。昔はもっと魔法使いはすさまじい力を持っていたのに――そう、どの国も思っていたときだった」
「まさか」
 嫌な予想に、胸が締め付けられるような感覚を味わう。
「……だから、キルディールは諸国にこう持ちかけた。魔法使いの血を復活させよう。密かに。彼らすら気付かないように。追い立てられれば彼らは同族で固まり、血を濃くするだろう。魔法使いたちが冷遇されている今が好機だ。今、我が国が先陣を切って魔法を弾圧すれば、事情を知らない国でも右に倣う。クラナリアの王都を半分壊滅せしめるほどの恐ろしい力を持った、邪悪な者たち――そう、魔法使いたちが烙印を押されれば」
「馬鹿な……! キルディールは……そのために、玉座が欲しいがために、それだけのことをしたのか!?」
「玉座には、それだけの価値がある」
 熱にうかされていても、しっかりした声音だった。同時にそれはしっとりとした憂いを含んでいた。
「――そう、思ったんだろうな、あの王は。だが俺には……玉座は、屍で作られた墓標に見える。血の臭気を嗅ぎながら平然と玉座に座り続けることができるあいつらは……きっと、人間じゃない」
 思わずぐ、と握り締めた拳があの日を想起させた。忘れまいと思ったあの光景。憎み続けてきた、村が燃える火を見下ろしながらアーサーはあの日もこうやって拳を握った。
 それからずっと、振り下ろす場所も知らないままに過ごしてきた。
「キルディールの言葉は、諸国を動かした。クラナリアの王都を半壊させるほどの魔法使いがいる、その恐怖にかられて諸国は魔法を弾圧した。その裏で、追い立てた魔法使いたちが、どこに逃げ込んだかも記録して、監視し続けて――」
「馬鹿げている……! そんなことをして、他の国に得はあったのか!」
「あったさ。少なくとも、クラナリアに事前に話を持ちかけられた国々はそうだ。内部は崩壊したとはいえ国の形は残っていたスウェルダ、内乱で揉めていたとはいえ強国としての力を保持していたマークド皇国。その二国が魔法使い擁護の体制をとったら、魔法狩りなんて成立しなかった。クラナリアだけが魔法を弾圧したところで、終わりになるはずだった。他の国々だって悩んでいたんだ、魔法使いの能力劣化には。だが、魔法使いは魔法使い同士で婚姻を結ぶべし、なんていう法が可決されてみろ。階級が乱れて、結局は国力の低下に繋がる。そこに提案されたこの誘い――自分たちは何もしなくていい、火種は勝手にクラナリアがつけてくれる。後は各国がそれぞれ作ってやった檻に追い立てて、監視すればいい。簡単、だったろうぜ」
 嘲笑するような語尾に、アーサーは爪の食い込みが深くなるのを感じた。
「……それで……どうして、その魔法使いたちを殺す? 何故だ!」
 もしクロノアの話が本当なら、血が十分に濃くなった魔法使いたちを召し上げるならばともかく、クラナリアはどうしてその魔法使いたちを全員殺そうとした。
 それでは二百年前の目論見が台無しではないか。
「……血が、濃くなりすぎた。近親婚を限られた枠の中で繰り返し続けたから。想定外だっただろうな。濃ければいいというもんでもなかったらしい。それが分かったときにはもう遅かった。極端に濃淡が出すぎていた――強すぎる力か、弱すぎる力か。二極化されて、役立つには程遠い強度のものができてしまった。クラナリアは、時期を逸したんだ」
「――それで、口を封じたのか。もういらないから、これ以上魔法使いを増やさないために?」
「違う。強すぎる力でも弱すぎる力でも、自分たちが関与しない以上は害にならないと考えた。キルディールに倣ったんだ。……追い詰めても、生き残る。ただの一人も生き残らないなんてことはありえない。神殿騎士団に襲わせて、その上神殿騎士団には村人以外にも標的がいれば? 仕損じて、何人かは逃げ延びる。絶対に。生き残るほどの力を持った者を、匿えばいい」
「自分たちが関与しない以上? だが、俺は実際に――」
「お前に神殿騎士団の姿を見られたことは誤算だったんだろう。もしも逃げられるとすれば必ず早くに逃げ出した奴だ。神殿騎士団は後からやってきて盗賊団ごと始末するつもりだった。そうすれば、一人も目撃者を出さずに済む――そう思っていたはずだ。神院長は、お前たちだけにその話を教えて口止めしなかったか? 恐らくはお前しか、神殿騎士団を目撃した人間はいないはずだ」
「……確かに、仲間内ではそうだったが――しかし――まさか、お前の言い方ではまるで」
 続きを口にする勇気がなく唇を閉じたアーサーに、クロノアは無情に後を紡いだ。
「そうだ。レイトクレル、ユレタ神院。神院長は、王国に雇われてあの職についた。生き残った魔法使いを引き取って、道具として飼い殺すために」
「飼い殺す……?」
「不要と思われたときはすぐさま処分ができるように、それまでは道具として有効活用できるように……そういう意味での、飼い殺しだ」
 頭が、少しばかりの時間を置いてその意味を理解する。それが胃の腑に落ちるまでに、数瞬。
「――つまり、何か。俺たちは体のいい――飼い犬か?」
 末尾が震えた。クロノアは静かに目を伏せる。
「そういう……ことになるな」
 怒りと恨みと悲嘆と様々なものが混ぜ合わさった音が、呻き声になってアーサーの口からこぼれる。
 それは神を祟る、悪魔の呪詛に似ていた。
「ふざけるな……! そんなことの、そんなくだらないことのために俺たちは……!」
 これまで自分が行ってきたことに、生き延びる以上の意味がないのは知っていた。目的と呼べるような目的もなく、復讐にも安易な納得にも走りきれなかった中途半端者だと知っていた。
 だが、これはどうすればいい。初めて立ち向かった結果がこれならば、どうすればいい。
 やり場のない怒りをぶつける術を、アーサーは知らない。
 ただ、どうしようもなく震える腕を振り上げて、握り締めた右腕の拳を地面に叩きつけた。指の先がへし折れたかと思うほどの痛撃が押し寄せたが、それでもアーサーは止めなかった。
 何度も何度も固い地面が指とぶつかり、皮膚が擦り切れて血が滲み出た。骨が砕けたような痛みが腕を伝って涙腺を刺激する。
 吐き出してしまいそうな嗚咽を飲み込んだ喉が掠れた音をたてた。噛みしめた奥歯が、ぎりぎりと歯肉に食い込んで痛む。
 何十回、振り下ろしただろうか。何十回、声を飲んだだろうか。腕と指が痛みの感覚すらなくし、擦り切れた手から流れ出た血が地面に赤い染みを作っても、衝撃で震えた腕が悲鳴をあげても、アーサーは止まらなかった。
 だだをこねる子供のように、迷子の表情のまま、他に感情を吐露する術を知らない青年は、自身の体を痛めつけることでしかその痛みを吐き出せない。
「……もういい、アーサー。――もういいだろ」
 焚き火の明かりが小さくなり、燃えつきかけるような頃合になって、ようやくクロノアが呟いた。
 制止の声ではない。純粋に、何かを労わるような声だった。
「――こんな……こんなことのためにあのとき死んでいったのか……? 二百年も前から監視と策略の中でただ生かされていただけだなどと……!」
 父も母も、村の皆も。神院で十四年を共に過ごした仲間たちも、その家族も。
「こんな理不尽で不条理な結果があってたまるか……!」
 どうしようもない絶望と、憤怒と、郷愁が喉元まで押し寄せる。
 ふざけるな、と言いたかった。だが、一体誰に向かって言えばいい。
「……こんなことを考えたのは、どこのどいつだ? 国王か? それともお前たち神殿騎士団の大貴族たちか? こんな風に――……っ」
「こんな風に命を軽んじたのは、先代国王――オッドワルト。現国王ソーディンの父親、現殿下たちの祖父にあたる人間だ。――いけ好かない、男だった」
 クロノアの言い方に引っかかりを覚えて、アーサーは眉をひそめる。
 それを見上げて、クロノアは何の作為もない苦笑を、アーサーに向けた。
「昔話をするって言っただろ?」
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